軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国漫遊記23「漁民のピケに遭う!」

 21日月曜日朝、食堂に行こうと部屋を出ると、エレベーター前のロビーに控えている女性が「ニーハオ」と挨拶した。笑顔でなかったのが残念だったが、食堂でもコーヒーサービスを受けて驚いた。やはり国営企業、上からの指示が厳しい?のだろうか。この国は今「サービス特訓中」だと見受けた。
 8時40分にトヨタのマイクロバスで市内見学に出発した。上海国際問題研究所のメンバーとは昨日別れたのだが、北京などから参加していた軍人や研究者の一部が同行している。
 出勤のラッシュアワー時間帯だから交通渋滞は凄まじい。交通事故も多発しているようだが、歩行者を見た限りでは「つばを吐く者」は見当たらない。北京とは「進化の程度」が違うようだ。「巨鹿浴室」という看板があったので聞くと「お風呂」だという。「男女大交浴」とは「混浴」のことか。
 今日の予定は、まず世界第二のコンテナ基地、洋山港の鍬入れ式を見ることであった。まずミネラル水を購入するため店に立ち寄るというのだが、出勤時の市内の道路はどこも大混雑、そんな裏道を通過していると、街路樹に洗濯物が干してある風景に出会った。傍に工事現場のいわゆる「飯場」があるから作業員達の下着らしいが“使い込んだ下着”が歩道に堂々と干してある。しかも女性用もあったから下着泥棒さんは上海に行くと良い!
 歩行者用の信号機にも色々なタイプがあるようで、変わる前に点滅するものや点滅せず、一気に赤になるものもあるから使い分けが大変である。
成都南路付近の高速道を支える柱のなんと細いことか。柱の幅は1m位しかない。姉歯建築士も上海だったら仕事がし易かったに違いない!
バイクや自転車の大部隊が洪水のように動いているそんな道端にマイクロバスを止め、ミネラル水を購入する。それはホテルは高い、知らない店はまがい物が多いからだという。
 こんな裏道を通過していても至るところで公園の整備が進んでいる。しかし、とにかく空気が悪い。こんな時間帯からスモッグである。テレビで予報するぐらいだから、昔の日本を思い出す。合流地点はどこも大混雑、その割り込み方にも色々あるようだが、私は絶対にこの国では運転出来ないだろうと思った。面白いのは要所要所にパトカーがいると割り込みは少ない。どこでもそうだが「力」には人民は従うのである。シトロエンサンタナ2000、ビュイック、フォード、アウディ、ホンダ、トヨタ・・・、車のオンパレードが続く。
 漸く郊外に出ると故障車が立ち往生、大型トラックが二台、バスが一台、乗客が困った様子で眺めている。周りは一面の工場地帯、それに並ぶようにアパート群が林立している。米国企業が非常に多く星条旗がはためく様はまるで米軍が占領している様である!
 9時半に料金所「第2康格収費反站」を通過、インターチェンジ、分岐点が非常に多い。
10分も走ると今度は一面の農家群、3階建てが目立つ切妻屋根の近代的農家である。
着実に上海郊外の農民の生活は向上しており近代化が進んでいるのであろう。それは何によるものだろうか?通訳の説明では「土地所有権」を持つ農民の特権がそれを支えているという。彼らは「それ」に目覚めたのである。
0955、紅旗たなびく人民公社の傍を通過、「両港士道」と書かれた看板が見えた。広大な工場が建設中である。二年前には単なる空き地だったのだから確かに凄まじい変化である。
 1005、バイパスを出て一般道に下りた。洋山港の式展会場に向かうメインロードは交通規制されていて入れないから、それに平行した別の道路に入ろうと右折した時である。なんと、百人以上の市民達が道路を封鎖しているではないか!
最初は「フリーマーケットじゃない?」などとのんびり構えていた我々だったが、様子がおかしい。交差点のガードレールに布団などが積み上げられていて付近にはみかんの皮が散乱している。それを「近在の農民がみかんを売っている」と勘違いしたのである。蘇州での経験が勘違いさせたのだが、市民達はここで寝泊りして「ピケ」を張っていたのである。我々のバスを見ると一斉に立ち上がり取り囲み始めた。勿論両サイドを固めていた公安が最初に駆けつけてきたから案内人のS氏がバスを降りて対応した。「反日デモ?」などとのんびり構えていたが、バスの中から見ているとピケ隊の殆どが女性達である。何か「言い争い」が始まったが、公安の態度は「バスを動かせ、戻れ」といっているように見える。「多分農民達でしょう。立ち退きさせられた場所が不便だとか、立退き料が少ないという理由でよく抗議するのです」と言いつつT君が降りていった。5分間ほどもめていたが、公安が排除しつつバスをバックさせようとする。純朴そうな婦人たちであったが、どんどん増えてきてバスが動けなくなる恐れが出てきた。私は写真を取ろうとしたが変にもめても困る。S氏とT君が乗り込んできて「洋山港に行くにはこの道しかないのですが、この状態では通過できませんので一旦戻ります」と言った。その間にも公安から急かされた運転手はバスを動かし始める。婦人たちはバスの中を覗き込み、手を振り上げたりして何か訴えている。とうとう私の窓の下まで来たが、日焼けした老婦人達が多かった。
 公安が排除している間に、バスは現場を離れて一旦50mほど離れた場所に移動、案内人のS氏が「誠に申し訳ないが港に行く計画を変更したい」と説明している時、運転手が何か叫んでバスを再び動かし始めた。婦人たちが再び我々の方に移動し始めたので、公安が立ち去れと指示しているのである。広い道路の反対側に移動して、改めてS氏が説明したところによると「このバスは上海市の公用車だから、市長が乗っているはずだ」といってピケ隊は言う事を聞かないらしい。たまたま最後部に乗っていたT海軍大佐が「市長にそっくりだ!」という事も重なったらしい。S氏は「こんな状況だから申し訳ないが計画を変更して空港に向かい、リニアモーターカーの搭乗体験に切り替えたい」と言った。
 通訳のT君はピケ隊の代表から要望書を手渡されたそうだが、彼は市の関係者ではなかったので必至に押し返したという。「貰ってくれば面白かったのに」と私が言うと真面目な彼は「それは出来ません」という。「要望書には何と書いてあった?」と聞いたら、「洋山港建設絶対反対」と書いてありましたと言ったから、日本で言うと「成田空港建設絶対反対」というところである。彼ら(彼女ら)は上海港外の漁民達で、ここにコンテナ港が建設されると生活を脅かされるのである。夫達は漁に出ているから妻たちが泊り込みでピケを張っているらしい。その時運転手が何か言ったので外を見ると、100m以上も離れた場所に停車している我々のバスに向かって再びピケ隊が押しかけようとしていた。それはインドネシア津波のように壮観で、思わずカメラのシャッターを切った。
 こうして「逃げるように」その場を立ち去ったのだが、経済専門家のY氏は「年間7万件以上もデモが発生しているといわれるがこんなデモも含まれているのだろうか」と言ったから後で評論家の宮崎氏に聞いたところ「100人以下の場合は含まれていない。それを含めると年間20万件以上発生している」という。13億民衆の「権利に目覚めた実態」の一部を身を持って体験できて「幸運?」だった。            (続く)