軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

平成19年、始動!「年頭に思うこと」

1、松の内も明けて(最も昔は15日までだったのだが、近代化して7日に短縮された…)各界は始動開始!私もそろそろ…と思って充電中だったのだが、郵政公社に出鼻をくじかれた。
 私は毎年1000通を越える年賀状を交換しているのだが、今年は転居したこともあって元旦から届いたのは2割に達しなかった。最も転居挨拶状を全員に出す暇がなかったのだから私の責任なのだが、それにしても旧住所からの転送に5日以上もかかることは解せない。12月中に出された賀状も多数あるのに、局に問い合わせると「転送業務は2箇所に集中されていてそこで『手作業』で分類するから時間がかかるのだ』という官僚的な答えが返ってきた。
 屠蘇気分も醒めかかった5日の午後に300通、翌日にも300通が転送されてきたが、20通くらいずつセロハン袋に入っている。そのため折角の3連休は名簿整理と返事を書くのに大多忙になった。
 現役自衛官は転居が多いので、いつもこんな目にあっているのだが、一般サラリーマンだって同じだろう。もっと良い方法を考えないと、郵政公社出発の元年から時代に取り残されることになる、と忠告しておく。ちなみに宅急便のほうは的確に処理されていることを付け加えたい。

2、3連休の初日は台風並みに発達した巨大低気圧の影響で各地に被害が出た。現役時代はパイロットとして天気図から目を離したことはなかったのだが、退役したとたん、その緊張感から開放されてすっかり“弛んで”しまった。自分の身に降りかからないと、かくも無責任になるという証拠である!。
 ところで気象庁関係者に聞きたいのだが、台風並みの低気圧なのに、その危険性についてもっとうまく国民に伝達する方法はないのだろうか?
 台風だと、暴風雨の半径いくらという円を描き、進路予想と共に警戒感を示してくれるのだが、今回のような低気圧のときにも、暴風雨の範囲を円で示すなど、台風に準じた危険度を示せば、視聴者の緊張感も高まるのでは?と思った。お役所の規定にはないからなのだろうか?

3、松の内の報道で(産経新聞に限って言えば)さほど取り上げるべきものはなかった。勿論、元日の主張「凛とした日本人忘れまい」3日の主張「日本の安全・専守防衛見直すときだ」のような、読み応えのある記事はあったが、やはり「お正月」、記者の皆さんもそれなりに充電中なのだろう。そんな中、6日の「英国の核戦力検証」という6面の記事は、日本国民に良い判断材料を提供したと思われる。北朝鮮の核実験に伴い、国民の中に核武装論が取りざたされるようになったが、まるですぐにでも核武装できるかのような自信過剰論や、感情的な否定論がまかり通り、ついには核論議さえも「言論弾圧」されてしまった感があるが、冷戦時代に英国が如何にして核武装に踏み切ったか、そしてそれが何故継続できたのか、などについて、同じ狭隘な島国・日本の核武装論議する上での良い参考になる。
 ブログのコメントの中にもあったが、その昔、あの“謙日派?”のキッシンジャーでさえも日本のような「大国」が核武装するのは当然だ、と考えていた。それは英国やフランスなどの核武装を米国が承認してきたからである。しかし、アジアの大国・日本からの核武装論は米国世論を揺るがすほどの懸案にはならなかった。なぜか?
日本人は自分の生きる権利を「諸国の公正と信義で確保できる」と少女のように夢見ていたからである。その夢を無残にも打ち砕いたのが、皮肉にも中国の反日行動と、金さんの核脅迫、拉致であった。戦後60年たってようやく日本人はダチョウの平和から目覚め、「他国には公正も信義もないこと」に気がついたのである。そこで産経は元日に「凛とした日本人」を取り戻そうと主張した。
 現代日本人は、英国がいかにして冷戦時代を生き残ろうと真剣だったか、をこの記事から学ぶべきである。

4、8日の産経は読み応えがあった。1面トップの「給食費未納…」の現状は、凛とした日本人ならぬ「卑しい乞食」が如何に増えたかを示して余りある。しかも37%の“乞食”が経済的問題ではなく「責任感・規範意識の欠如」というからあきれて言葉もない。
 石原都知事の「10年後の東京」という文もインパクトがあった。世界に冠たる江戸時代の水利事業をコンクリートジャングルに変えてきた現代行政のお粗末さは、みんな自覚していたことだが、誰もそれに抵抗できなかった。郵政民営化と同じように、巨利に群がる政治家どもを誰も勇気を持って遮断できなかっただけのことであろう。それに絡んでいるのが何せ政界の“実力者”が多かったのだから。
 郵政省の貯金業務や郵便物の配達業務などは表向きで、裏で金と票に群がっていた連中を切って捨てた、それが小泉郵政改革だったと私は勝手に考えている。復党問題に小泉元首相が無関心なのは当然だろう。

5、イランの核武装を阻止するために、イスラエル空軍が作戦計画を立てているという。英国のサンデー・タイムズ紙が報じたものだが、イスラエルの安全保障担当者は報道内容を否定したというがそれは当然である。肯定するわけがない。軍の行動は、あらゆる危険事態を想定してそれに対処することにある。先日私は「大山鳴動してねずみ一匹」こそ、軍人の危機意識の根本であると考えて対処してきたと書いたが、それに「GO」を出すか出さないかは政治の判断である。それがシビリアンコントロールというものだ。
 ところで、防衛省が明日発足するが、初代“大臣”となる久間長官は「精強な自衛隊目指す」と語ったが当然である。しかし、軍は武器を操作する唯一の集団であることを忘れてもらっては困る。精強化を阻んでいるのは、武器使用を極端に制限するという軍事常識が欠如した今までの「庁組織」の欠陥にあった。勿論そうして来たのは政治家たちにある。郵政省同様、彼らの一部は防衛庁自衛隊という組織を単なる「票田」としてしか見てこなかったのである。
 また長官は、平成20年度をめどに「自衛隊に新たな階級2つを新設する」という。「将補」と「1佐」の間に、「准将」を設け、「准尉」と「曹長」の間に「上級曹長」を設けるというのだが、そんなことで部隊の士気は上がらない。「将補」という呼称を変える事が先決である。何故将官を4つにしないのか?もともと給料の区分で「1佐」には「階級内階級が3階級」ある。「1佐(1)」「1佐(2)」そして「1佐(3)」である。その中で、「1佐(1)」は、最も経験をつんだものが務める部隊の指揮官でありもともと米軍的に言えば「准将」の地位に匹敵している。だから今回の「准将」設置は当然である。しかし「将補」とは一体なんだろう?「将」の「補」だから、一般国民は「准将」のほうが上で、将補はその下だと考えるに違いない。「将補」を英語にすると「少将」として世界に通用するのだから、この際「少将」に変更すればよい。
 他方、幕僚長の「階級章」は、姑息にも内部規則で米軍比較上「大将」にしているのだから、4幕僚長の階級を「大将」に変えればよい。そうなると「将(陸将、海将、空将)」の呼称が浮くから、この際星の数に合わせて「中将」にすればよいではないか。こんなところが分かっていないから“軍事音痴”と揶揄されるのである。
 大量の年賀状を整理していて面白いことに気がついた。友人のマスコミ関係者や官僚たちの殆どが「省昇格おめでとう」と添え書きしてくれているのだが、OB(先輩も後輩も、下士官クラスでさえも)の大半は「看板よりも内容だ」とし、「改革の第一歩ではあるが、憲法が改正されない限りは看板倒れ…」と冷静に分析しているのである。さて、初代大臣、いかがお考えか。

 今夜はチャンネル桜に出演する。井上キャスターは「初日の出だ!」というのだが・・・。木曜日は岡山で講演することになっている。その準備もあるし、長くなったので、この続きはまた明日。