軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

多忙だった週末

  • 金曜日

航空自衛隊パイロットOB会で,40年ぶりに『戦友』に会った.懇親会で突然現れた彼は,若干白髪交じりで眼鏡をかけていたものの,青春時代の我が飛行隊,築城基地第10飛行隊で、F−86Fで格闘戦をやっていた当時そのままの姿であった.彼はバレーボールの名アタッカーでスポーツマンだったから,若若しい健康な身体を維持できたのだろう.
ところが今でも操縦桿を握っている!しかも航空会社のセスナに乗って飛び回っている、と言ったから,周りのOBはざわめいた.65歳である.
2年ほど前,150馬力のセスナで,霧がかかった山岳地帯を飛び越え様として,揚力が不足して森林に不時着したらしいが,前歯と足の骨を折った!と言ったので,誰かが「その事故の記事を読んだ!」と言い,私も思い出した.そして二人期せずして言った.「事故の内容や貴様の怪我の事なんかどうでも良かった.あの野郎!未だ操縦桿を握っているとは!なんと幸せな野郎だ!」と記事を見て思ったと言うのである.飛行機野郎の心情は皆同じ,不思議な事に「死ぬまで操縦桿を握っていたい!」と言う事であり,それが一番の幸せなのである.
会合では最年長は元陸士出身者、最年少は7月に退官した55歳まで,現職時代の階級なんぞ全く関係なく,思い出話に花が咲き.殉職者に話が及ぶと目頭を押さえる.そして「間もなく俺達もあいつに会える年頃に近づいた.俺達はこんな爺になったが,あいつは未だ30歳のままか!三途の川で会った時に俺が分かるかなあ」で大笑いになる.どうも我々は子供っぽ過ぎるのではなかろうか? 一般の会社を「卒業」した方々の会合ではどんな「大人の会話」に花が咲いているのだろう?と,少々気がかりなほど盛り上がったOB会であった.

  • 土曜日

私は随分前からインドネシア独立戦争に参加して生き延びた旧陸軍関係者と,親しくお付き合いしてる.86歳前後の方々が多いが,皆背筋が伸びかくしゃくとして記憶力も抜群である.
毎月一回基準に勉強会が開かれているのだが,さすがに最近は人数が減ってきた.危機感を感じた関係者は、どんどん若い人を連れてきてほしい,と言われるのだが、今回は四人ほど若い学生や青年が参加していた.
お一人は元第5師団の衛生兵で,マレー半島を進撃して最後はインドネシア終戦を迎えた方.もう一人は、21歳の時までジャワで過ごし,オランダ軍から追放されて帰国途中に,今村兵団の通訳官に採用されて再びジャワに戻り,オランダ軍を降伏させるのに貢献した方である.
インドネシア国軍創設に尽力し,終戦後,オランダ軍に虐待されたが生き延びて,独立戦争を援助し,独立に大きく貢献した方である.今のユドヨノ大統領や政府高官は,その時代の親友達の子供や孫にあたると言うから大変なものだが,昨年夏,私はそのお一人にジャカルタに招かれ,連日市内や郊外を歩き周り解説していただいた.丁度拉致被害者の曽我さん一家が,北朝鮮からジャカルタに到着する日の前後だったこともあり,大使館は多忙を極めていたが,大統領選挙に関する情報も興味深いものがあった.とにかく華僑やシナ人に対するインドネシア人の反発は並大抵のものではないことがひしひしと感じられたものである.
外務省はこれらの方々をもっと有効に活用して,難問解決にあたって欲しいとつくづく思う.
会合のたびに色々な「極秘?」資料を頂くのだが,これからは可能な範囲でどんどんブログに書き,日本人にアジア諸国との関係を知らしめて欲しい、と言われたから,機会を捉えて取り上げるつもりでいる.今回勉強会に参加した若者達も,あまりにも「信じられないような実話」がどんどん語られるので、ついて行けないようであった.今の日本では一般的に教えられていない日本の隠れた歴史を,どんどんオープンしていきたいと思っている.

  • 日曜日

横浜で,台湾問題に関する講演会が開かれた.田久保忠衛氏の講演と,台湾人医師の林健良氏の講演があったが,特に林氏の「台湾人から見た日本人」という話しは,身につまされた.
林氏は,日本と台湾は,次の点において全く同一だ,と語ったのである.
①国内に「反国家的活動家」がいるということ.台湾では「大陸に媚を売る国民党」のこと,日本では「親中派」である.
②国家目標が不明で,国民は気概を失っている事.特に教育部(文部省)が「個人の自由」を標榜し、厳しい教育を放棄するので子供がどんどんだらしなくなっていく.
③米国依存.台湾は日本以上に依存心が強く,常に米国の顔色を伺ってばかりいる.
④両国とも,中国恐怖症に陥っている.
日本は台湾の『先生』である.勤勉さ真面目さを学ぼうとしているのである.同じ海洋民族なのに,台湾に冷たく,大陸国家に近づくのか.台湾は,いわば日本が生んだ「子供」である.その子供を,どうして『敵』に押し付けて知らん顔をするのだろう.
日本は何故『反日国家』にやさしく,「親日国家」に冷たいのだろう?
我われ台湾人は,日本人に『助けてくれ』とは言わない.しかしせめて『邪魔』をしないで欲しい!.
横浜から帰宅する電車の中で,彼の言葉を噛締めながら.私は気が重くなった.

8月21日・日曜日,午後一時半から3時まで,平河総合戦略研究所主催の第一回講演会を,神田の学士会館で開催する事になり,私が担当する事になった.http://www.gakushikaikan.co.jp/
テーマは『台湾危機に直面する南西方面の実態…沖縄勤務の体験から』としたが,台湾を巡る軍事情勢と,台湾がいかに我国の生命線であるかについて,具体的に話してみようと思う.
しかし,林氏の講演を聴いた直後なので,複雑な思いにかられている.

いずれにせよ,多忙だったが充実しすぎた3日間であった.