軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

『民・百姓の心を己が心とせよ』

  • 1、誰も責任を取らない不思議さ!

選挙の候補者選びは佳境に入り、テレビ局は『ワイド・ショー』感覚で追跡に余念がない。
私は前に『第二のチベットになるな』でペマ・ギャルボ氏の日本人に対する警告を書き、『ヒトラーの最後の12日間』という映画でヒトラーが自分を選出した国民に『自業自得だ』と嘯いたことを書いた。そして「民主主義」に関する藤原教授の論文に全く同意だとも書いた。国民の成熟度が民主主義制度運用を左右する。今回、わが国民の成熟度が否応なしに確かめられるのである。それに応えるだけの資格ある候補者が選出されているかどうかははなはだ疑問だが、選挙に出るのは『個人の自由』であり、被選挙権の資格があるのも認めるに吝かではない。しかし、『個人の自由』感覚で出馬し、万一当選した暁には、彼(彼女)は『公人』になることを忘れてもらっては困るのである。其の「公」の自覚なしに『個人のまま』であった大臣・議員が多かったから、自民党を始め既成政党は今日の事態を招いたのだ、と私は考えている。
つまり政は『他人事』感覚で行ってはならないのである。目前の『悲劇』が、自分のことであったら、とわが身に置き換えて国民全体のために『奉仕』する覚悟が問われるのである。つまりそれが死語となって久しい『公僕』の務めなのである。
他人の不幸を『我が事』に置き換えて感じることは困難である。我々パイロットも、殉職した仲間を弔うとき『安らかに眠れ』と祈りつつ、『あいつは運が悪かった。しかし俺は違う。俺は絶対に墜落しない!』と心の中で思っている。もっとも『次は俺か?』などと考えていては、あんな激しい訓練に耐えられないから、それが当然なのかもしれない。
先日、新潟市で行われた、拉致被害者救出を求める会で、桜井よしこ氏は『金正日の息子の金正男が、入国管理法に違反して成田で捕らえられた際、時の外務大臣田中真紀子氏が、何の調査もせずに、しかもVIP待遇で北京に送り返したことを痛烈に批判した。もしも我国で金正男を確保したならば、金正日も『息子を奪われる苦痛』を知り、拉致問題も大きく進展した可能性がある、というのだが、全く同感である。息子を『拉致』されずにすんだ金正日はホッとした事だろう。そして『わが身に置き換えるつらさ』を学ばなかった彼は、再び日本政府に強硬な姿勢を取り続けているから、この問題は全く進展していない。田中元外務大臣のこの誤判断は、大臣としてはもとより議員としての能力に大きな疑問を抱かせるが、問題はこんな大失敗が許されている事実である。誰も責任を取らないで済む特権を持った『議員』とは一体何様なのだろか?まじめな国民はあきれているのである。
今回の選挙では過去にこのような「業績」を持った議員達が払拭されるのか否か?に焦点を当てたいと思っている。それが我国の民主主義の成熟度判定法だと思うからである。

  • 2、民・百姓の心を己が心とせよ

松島基地に着任した直後の航空祭は、42日間続いた東北地方の大干ばつ直後の日曜日であった。北上川の海水が逆流する事態になり各地で水争いが始まっていた。私は『晴れ男』の異名を持っていたから自信満々であったが、前夜祭終了時の花火を合図にしたように雨が降り出した。一晩中気になって仕方なかったが、とうとう土砂降りの中を出勤する羽目になった。他の司令だったらそのまま『中止宣言』をしただろうが、予報官の解説後、私は雨雲の中にT-2練習機で飛び上がって天候偵察を実施した。
三沢基地でもそうであったが、朝早く天候偵察に飛び上がり、周辺の気象状況を確かめ部下達の露払いをして、その後そのまま会場上空に進入してテープカットを空から見るのを楽しみにしていた。式典最初の『テープカット』は飛ぶことが出来ない『副司令』の任務にしていたからである。
この日の松島基地周辺は、雲底は600メートルあり、視程も良好であったが、雨は止みそうにもない。雲の切れ間から見える地上では、百姓さんが田んぼに軽トラで駆けつけて、忙しそうに走りまわっている。『くそー、百姓パワーに負けた!』と怒鳴ると、後席の3佐が『天気には勝てないよ、といつも指導されるじゃありませんか!』と暢気なことを言う。
「御祭りは副司令に任せて百里に避難しようか」というと後席で操縦桿を抑えられたので、仕方なく着陸した。
濡れた飛行服を着替えていると、初代基地司令の岩城邦広元空将(海兵出身・シナ事変当初、下駄履きの水上機で敵戦闘機をバタバタと撃墜、自分も120発被弾しながら生還した勇士)が部屋に入って来られて、『佐藤君、いい雨だねエ』といわれる。むっとした私は『閣下、今日は基地航空祭ですよ。何がいい雨ですか!』と言い返した。すると岩城空将はこう言ったのである。
『佐藤君、民・百姓の心を己が心として始めて軍人なるぞ。忘れてはいかん!』
そして窓際に立ちうれしそうに天を眺めておられた。さすがに戦場で命を賭けて国民を守った軍人は違う、と一本取られた気がした。
この日の昼の祝宴で『後一日晴れたら良かったのに・・・、今日は百姓パワーに負けた。しかし来年はきっと仇を討って見せる』と私は大見得を切った。
翌年の航空祭は、基地が誇るブルーインパルスチームが、旧型のT-2練習機から新型のT-4練習機に機種転換されることになっていて、両機種の御披露目を兼ねていたから15万を超える観客で賑わった。勿論日本晴れで、私は周辺各市町村役場上空を旋回して、航空祭の宣伝をして帰還した。そしてこの日の祝宴では胸を張って、昨年、岩城空将が『民百姓の心を己が心とせよ』と指導されたエピソードを披露したあと、『昨年負けた百姓パワーに今年は隊員のパワーが勝った!ザマーミロ!』と言ったから会場は爆笑に包まれた。
ところが締めの乾杯で段上に立ったのが農協の理事長M氏であった。
彼は落ちついてこう言った。『それでは民・百姓を代表して乾杯の音頭を取らせていただきます!』会場は拍手と爆笑に包まれた。またしても私は一本とられたのである。
28日の日曜日が航空祭である。今年はT-4ブルー創隊10周年だから『是非来てください』と部下から手紙が来た。「今年は順調で米の出来も期待できる」と『百姓』からも電話があった。日帰りで出かけるつもりだが、部下達と『百姓達』に会うのが楽しみである。