軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

所感3題

1、「我慢」という語は死語になった!
14日は午後から悪天候になったが、親戚の葬儀に出席した.明治42年生まれ、大正、昭和、平成と、激動の4代を生きた≪明治1代女≫をお見送りする会であった.軍人の家庭に生まれ、軍人に嫁ぎ、戦中戦後の混乱期を生きぬき、立派に子供を育て上げた97歳の生涯であったが、その直前まで読書をしていたというから頭が下がる.母は「我慢するという事を身を持って教えてくれた」と御長男は語ったが、「不平不満は日記に書きつけていたらしい」といい、「実名が出てくるので焼却しました」と笑った.私も、言い知れぬ「不平不満」を日記に殴り書きして棺おけの中に入れさせようか?と思った次第.御冥福をお祈りしたい.

2、国際性を身につけた陸上自衛官たち
15日は新春世田谷防衛懇話会で、「インドネシア国際緊急援助活動」について、隊長を務めた村本1佐の話しを聞いてきた.アチェ津波被害の救援活動では、医官8人、看護士11人で、診療患者数6013人、予防接種2277人、ヘリの運航回数134回、物資輸送120・5t、海上自衛官も応援に参加したという.
来年度から統合幕僚監部が出来るが、互いの特性を理解しあえば簡単に統合活動ができる、と自信を見せていた.私も全くその点は心配していない.
そして彼は「陸上自衛官の一万人以上が既に海外での活動に参加した.15人に1人は体験している事になる」と言ったのだが、これは実に大きい成果だと思う.もっとも、国内では死んだ鶏の後片付けをさせられるくらいなら、危険であってもやり甲斐がある海外活動を隊員達は熱望するだろう.何となく納得できない点もあるのだが…しかし、自信に満ちた村本1佐の報告を嬉しく思った.

3、世代変わりをカメラに見た
夕方、世田谷名物の「ボロ市」を散策した.いつも通りボロ市通りは大混雑だったが、面白かったのが「世代変わりの象徴?」を見つけた事である.
それは「カメラ」で、若い頃喉から手が出るほど欲しかった35ミリカメラを、200台くらい並べた出店があったので驚いた.キャノン、ミノルタペンタックス…殆ど新品に近いカメラが並んでいる様は壮観だった.カメラは一万円を切る値段がついている.望遠レンズも各種5000円だという.良くこれだけのカメラを集めたものだ、と言ったら、主人は代々カメラ屋だそうで納得、デジカメに負けたのだろう.世代変わりを実感した。
しかし見直されている物もあった.それは時計で古い時計が見なおされ、特に「懐中時計」が多く目に付いた.若い客が、デジタルには飽きた・・・といって眺めていたが、人間の気持ちなんてそんなものかもしれない.
このボロ市は420年以上続いている世田谷の「無形分化財」である.伝統や文化を破壊しようとする皇室典範審議有識者の「教授様達」に、一度この「ボロ市」を歩いて見て欲しい.歴史と伝統、それに受け継がれてきた≪古いもの≫に対してどんな感想を持つだろうか?