軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

平成の『朝敵』になってはならない

今朝の産経新聞は、皇室典範改正案について、政府・与党内で「見送り論」が高まっていると報じた。結構なことだと思う。私は何故急にこの問題が浮上したか不思議に思っていたが、伝えられるところどうも「不純な動機」が見え隠れする。
先日、テレビのワイドショーで、「有識者」の一人である、静岡福祉大学の高橋教授がこの問題について、若手コメンテーターたちと「討論」しているのを偶然見たが、有識者会議が極めて浅薄な議論しかしていないことを端無くも明らかにしていた。おそらく彼らも「女系」と「女性」の区別がついていなかったに違いない。問題になって始めて「屁理屈」をつけて言い逃れてきたようにしか思えない。国民も、女性天皇女系天皇の区別など、おそらく深く調べたわけではないだろうからアンケート結果は信用できたものではない。「女性でもいいじゃん」程度の考えであろう。
むしろ、若手のコメンテーターの「感覚的」伝統論のほうが、国民の気持ちを代弁していると感じた。どんな基準でこのような「有識者」を選んだのであろうか?メンバーには日本の歴史文化、ましてや「皇室の伝統」に関する専門家はいないというから不思議でならない。元自衛官たる私が経済諮問会議のメンバーに就任し、経済政策を提言するようなものだ!
私は昨年8月22日のブログ「恥を知れ!」で、「ホリエモン氏」の人選がおかしいこと、彼は「社長業は捨てない」というから、「議員になってインサイダー取引して株価を吊り上げ、一儲けするつもりなのだろうか?」と書いたが、とうとうそれが「ホンモノ」だったことが証明され、昨日から彼のことで持ちきりである。広島市民は良くぞ彼を「落選」させてくれた、庶民の「良識」がかろうじて「犯罪」を未然に防いだ、と感謝したいが、この程度の人物の正体を見抜けず候補者に選んだ『責任者』の方が問題だと思う。
ところで、皇室典範改正問題で、友人のジャーナリスト達と話し合っていたとき、一人が「これは将来の皇室廃止を狙っているもので、革命ですな」と言い「帝政が滅びると必ず独裁者が出現し、国民は塗炭の苦しみを味わう事は歴史が示している」と付け加えた。
多分「有識者会議のメンバー」は、それに気づいていなかった方々と、それを狙っている方々とに分かれるのではないか?どうも今年は日本国内に住む「日本人の顔」をした異邦人との戦いが始まるような気がしてならないが、友人は「いや既に始まっている」と言った。確かに友人が言うとおり、皇帝が退位し「共和国」が生まれると、その後恐るべき「独裁者」が誕生している事を歴史は示している。
ドイツ帝国は1918年11月の革命でウィルヘルム2世が退位し、やがて1933年にヒトラーが政権を取った。オーストリアも1918年10月に第1次世界大戦終了後カール1世が退位し、1933年にドルフィス首相の独裁を許し、やがてヒトラーに併合されたが後は言うまでもなかろう。イスパニアも、1931年4月の革命でブルボン王朝が滅亡すると、1936年にフランコ総統が独裁政治を敷いた。トルコも1922年にオスマン朝が滅亡し翌年ケマル・アタチュルク大統領が独裁政権をしいた。
ロシア帝国は1917年の二月革命ロマノフ王朝が滅亡し、レーニンが政府を組織、1924年スターリンが天下を取り『悪魔の』独裁政権が続いた。
御隣の中国は“革命専門国”だが、1912年1月、宣統帝が退位するや、袁世凱・・・馮国璋・・・と続き、やがて毛沢東独裁政権を確立した。その「マオ」がどんな独裁者であったかは、今ベストセラーになっている「マオ(ユン・チアン著)」を読めばよくわかる。
1970年3月、カンボジアで右派勢力のクーデターで、シハヌーク元首が退位した後の『ポルポトの悲劇』は記憶に新しい。こうなってからでは遅すぎるのである。人間は「身に降りかかるまで自覚しない」ところがあるがそれでは遅いのである。
ところで、畏れ多いことに「文芸春秋」2月号に寛仁親王桜井よしこ氏との独占会見記が掲載された。その中で寛仁親王が「天皇様というご存在は、神代の神武天皇から百二十五代、連綿として万世一系で続いてきた日本最古のファミリーであり、また神道の祭官長とでもいうべき伝統、さらに和歌などの文化的なものなど、さまざまなものが天皇様を通じて継承されてきたわけです。世界に類を見ない日本固有の伝統、それがまさに天皇の存在です」と語っておられるが、私は「国にとっての振り子のようなもの」つまり「国の形が右へ左へさまざまに揺れ動く、特に大東亜戦争などでは一回転するほど揺れましたが、いつもその原点に天子様がいてくださるから国が崩壊しないで、ここまで続いてきたのではないか」と語っておられることに感銘を受けた。天皇は単なる象徴に止まらず、国民を纏める「振り子の原点」つまり日本国の平和と安定を保つ扇の要なのであり、それを壊すことは国家解体を意味する。将来の子孫のために「軽率」な判断は慎むべきであろう。
日本の歴史に小泉政権が「平成の『朝敵』であった」と刻まれない事を期待する。