軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「建国の日」に考える

昨日(2月11日)の産経新聞「正論」欄に、小堀東大名誉教授が「憲法皇室典範は本来同格に論ずるべきものではない」と書いているが同感である。
敗戦国日本を占領した連合軍が、強靭な抵抗を示した日本を徹底的に骨抜きにすべく乗り込んできて、「東京裁判」という復讐劇を演じたことは知られているが、「ハーグ陸戦法規第43条」を無視して、「占領国の国法を変えた」ことは余り論議になっていない。
これは明らかな「国際法違反行為」だから、「独立した時点で、押し付け憲法(新憲法)を破棄して、帝国憲法に復帰すべきものだ」と私は考えてきた。しかし、憲法学者の中でさえも少数派であったし、私如き元自衛官の意見なんぞ、何の影響力もなかった。
先日、大月短期大学教授・小山常実氏から、「憲法無効論とは何か・・・占領憲法からの脱却(展転社・\1000)」という著書が送られてきた。
この本は、「『日本国憲法』の内容と成立過程を分かりやすく解説し、護憲的憲法改正の害毒を立証」しているが、結論は「『日本国憲法』の無効確認及び明治憲法の復原確認と、臨時措置法の制定」であり、第2段階は「自由主義的な民主主義の再建を可能にする新憲法を作る」としていて、小山教授は次のように言う。
「私が一番恐れるのは、憲法改正案の内容の低さではない。そのことよりも、『日本国憲法』改正という形で、新しい憲法を作ろうとしていることである。『日本国憲法』改正という形を取るということは、占領下にGHQの完全統制化で作られた『日本国憲法』を有効と認めることである。したがって、今後、再び中国や米国などの外国に圧迫されて『憲法』を押し付けられても、拒否する論理がなくなってしまう。即ち、独立国の精神を根底から失うことになるのである」
 その昔、三沢基地司令時代に「湾岸戦争」が勃発し、基地からも多数の米軍人が出征して行ったが、ある日官舎の夕食会に呼ばれて数人の指揮官達と話をした。その際、「自衛隊多国籍軍の一員として参加しないのは憲法が理由か?」という質問が出たので、「その通り」と答えると、「あれは戦後の一時的な占領憲法である。何故、日本は独立した時に破棄して、憲法を作らなかったのか?」と言われた事を思い出す。彼らは大佐クラスの若い指揮官達で、夫妻共に皆戦後派である。
この時私は「マッカーサーの占領時代に何時までも拘っている」のは日本人だけで、当の米国人たちの殆どは全然拘っていない。これではわが国だけが、流動的な世界環境に適合できないはずだ、とつくづく思った。
ましてや、皇室典範は「皇室の家法」であって、憲法と共に「皇室の権能を極限まで弱体化」しようとした占領軍が「一般法の次元に格下げ」にしたものだが、それを日本人(或いは外人が入っているのかもしれないが)自らが、「何の権威も持たない素人集団」に一任して「改正」しようというのだから、「畏れ気もなく典範の改定を論ひ、結論を出したといふ異常な光景は全く持ってこの時の『革命の布石』に遠因がある」という小堀教授の論に全く同感である。マッカーサーの権威を傘に来て、未だに日本革命を目指している連中がいる事を忘れてはならない。
北朝鮮との協議も何等進展なく終わった。まるで「人質」を盾にするテロリスト達に、良い様にあしらわれ続けて、なすすべがない「文化国家・経済大国日本」の無様な姿には、開いた口がふさがらない。メディアもそうである。これが国内における「凶悪犯の人質事件」だったら、何と書くか!「人質達の体力気力は既に限界だ。警察は何をしているのだ!」と罵るのが定番ではなかったか?
これらは全て、ひとえに「軍事力を無視した新憲法」による「一億総去勢」の成果である。
同じ産経新聞の29面「菜の花の景」欄に、映画監督の篠田正浩氏が良い事を言っている。
「敗戦によって、ばかげた軍国主義の思想はなくなり人権の復興や資本主義的開放が訪れた。しかし一方で、日本文化の底流にあった健全な思想までもが八・一五で断絶してしまった」「自国の防衛を他人任せにするような国は、不定形のモラトリアム国家です」
そして、この欄を担当した深堀記者はこう付け加える。
「思えば、アメリカの傘の下で60年間もの平和を享受できたのは僥倖であるに違いない。国を大切にする気持ちを失った結果として得たものが利己的な拝金主義の横行ではなかったか」と。
わが国を取り巻く環境は日に日に「悪化」している。戦後60年、わが国には「経済的進展」はあったかに見えるが、国民精神の弱体化、幼児化は恐るべき勢いで進んでいる。
かっての敵国・中国に媚び続ける政治家達、東大出の若年詐欺師、法を無視して恥じない会社社長、国家防衛事業で私服を肥やす役人たち・・・。
今の日本の姿をマッカーサーが見たら「日本人は6歳の幼児だ」というに違いない。
建国記念の日の今日、掲げた国旗を取り入れながら「日本に明日はない」というこの欄のタイトルがなぜか重くのしかかった一日だった。