軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「小泉政権を相手にせず・・・」

中国の唐家璇国務委員が、北京を訪問した自民党野田毅自治相に「小泉首相にもう期待はしていない」と述べたという。唐家璇氏が小泉首相の「何を期待していたか」知らないし、誰に期待しているのかも知らないが、中華思想丸出しなのには呆れるほかはない。唐家璇氏の発言は、「日中関係への中国政府の見方と主張を全面的、詳細に紹介したものだ」と、孔泉報道官も追認した。しかし、この話は支那事変当時の出来事を思い起こさせる。
それは、昭和13年1月16日に、時の近衛首相が、陸軍統帥部の強い反対を押し切って「国民党政府を相手にせず」という声明を発表してしまい、支那事変を泥沼に引きずり込んだ事例である。
島鉄蔵中将は、回顧録にこう書いている。
「我が方から出した電報に対して、蒋介石の返電が非常に失礼であったので、解決の望みなしというので喧しくいっていたが、もう一度1月15日までに返電を求めた。それでも返電がないので大本営・政府連絡会議で交渉打ち切りが問題化した。多田次長は『非常に重大だから、一日二日待っても良いではないか』と言い、杉山陸軍大臣は『誠意がない。蒋介石など相手に出来ぬ。屈服するまで作戦続行』と主張、広田外務大臣は『外交官としての経験から、このような返事を寄こすのは和平に応じる誠意がないからだと確信している』といい、多田次長に対し『参謀次長は外務大臣(広田)を信用しないのか』とまで言う。議会開会前だったこともあり、近衛総理も非常に昂奮して『とにかく早く和平交渉を打ち切り、我が方の態度を明確にせねばならない』と言い、多田次長の『何故二,三日の余裕を与える事が出来ないのか』という質問には、明答を与えなかった。
・・・しかし、ここで参謀本部が承知しなければ近衛内閣は瓦解する。紆余曲折を経て多田次長が『この決議には同意しかねるが、これで内閣が瓦解することは国家的に不利だから、あえて反対しない』と意見を述べたので、交渉打ち切りに関する例の『蒋介石を対手にせず』声明が出された。しかし一体どういう理由で近衛首相が参謀本部の意見に非常な反対をしたのか明らかではない」
近衛首相自身が「共産党員」であったと仮定すれば、全てのなぞは解けるのだが、それはさておき、「国民党政府を相手にしない」と声明した以上、交渉相手を他に求めざるを得ない。そこで同盟通信上海支局長・松本重治氏の様なエージェントが暗躍して「汪兆銘政権」を樹立する。
汪兆銘は、重慶を脱出してハノイに着いた時点で、近衛と共同声明を出す手はずだったが、手違い?で「反共、和平」の通電となる。この間の尾崎秀美、松本重治たちの「工作活動」は、松本氏自身の著書「上海時代(中公新書)」に詳しい。
紆余曲折を経て昭和15年11月30日に日本政府は汪兆銘政権を「新国民政府」として正式に承認し、日華条約が成立するのだが、蒋介石は当然、重慶を脱出した汪兆銘を「反逆者」に指定して逮捕命令を出している。つまり、日本は、「中国の反逆者」を交渉相手に選んだのである。
さて、これからが「空想小説」。
この実例の「逆バージョン」として、唐家璇氏を「近衛総理」、小泉首相を「蒋介石」に例えると、話が面白くなる。
産経新聞によると「橋本龍太郎元首相ら日中友好七団体のトップが3月末に訪中し、胡錦濤国家主席と会談する」という。勿論この話を持ち込んだ「野田氏らも訪中する予定」だそうだから、日本国に「汪兆銘政権」を作ろうとしているのではないか?つまり彼らこそ、当時の「日中エージェント」または「反逆者」に例えられる。彼らが担ぐ「現代日本汪兆銘」は誰なのであろうか?大変興味があるのだが、近々その実名が漏れ聞こえてくるにちがいない。多分F氏なのだろうが「小泉・蒋介石」は、彼を「反逆者」に指定できるだろうか?出来なければ国民がそう見る事が必要であろう。つまり「中国の傀儡政権」だからである。
断っておくが、近衛首相が「蒋介石を相手にせず」と声明した理由には、中島中将によると「蒋介石の返電が余りにも無礼」だったからだが、今回の唐発言は、自分の方が「無礼」なのであり、「小泉・蒋介石」に落ち度はない。小泉首相が言ったように常時「門戸は開けられて」いるからである。難癖を付けて門を叩こうとしないほうがおかしい。
当時の近衛首相は「なぜか昂奮して焦って」軽々に「声明」を発表してしまったというが、今回の唐発言の裏にも「中国政府の焦り」が垣間見える。
当時とは違って「日中は熱戦中」ではないから一応安心だが、このときは「蒋介石」が勝利を収める結果になった。どうも今回も、「小泉・蒋介石」が勝利を収めるような気がする。それにしても、当時の尾崎・ゾルゲ一味を彷彿とする「エージェントたち」が、うごめきだしている気配がある。橋本氏たちを当時の松本氏たちに例えると、国内には風見章、西園寺公一等を「司令塔」とする組織が、近衛首相と共に牙城を築いていた。朝日新聞など報道関係者が多かったが、最近も、読売の渡辺主筆と朝日の若宮主幹の様に、動きがどうもしっくりしない例がある。そこへ持ってきて8日夕方、午後6時40分から8時33分まで、小泉首相は「大手町のレストラン」で、渡辺主筆と会食をしているが、ひょっとすると「若宮主幹」も同席したのではなかろうか?
何となく、政官マスコミ界の動きが、支那事変時の雰囲気に似てきたと感じるのは考えすぎだろうか?
いずれにせよ、国民は警戒を怠ってはなるまい。