軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

軍事学教育の必要性

転居作業中なので、ブログを開ける機会がなく、今朝開けた所、熱心な「討論」が続いていて恐縮している。
自国の防衛をないがしろにしていることへの不満や、政治家達の理解不足など、全く同感だが、やはりその原点は「教育」にあると思う。
特にこの国は、『軍事』とつくと拒否作用が起きて、全く子供達に『軍事学教育』をしないで来た。つまり、その肩代わりを同盟国である「米国」に一切任せて、『核の傘』とやらに『相合傘』気分?で、ただひたすら「商売」に励み、現在の「経済大国」に成り上がった。それはそれで決して間違っていなかったと思うが、お金持ちになったのに、『安保ただ乗り』を楽しんでいる?からギクシャクする。その上、スイスやスエーデン等、旧社会党が『永世中立国』だとして賞賛した国ほど、実は自らを守る決意は固く、軍事に熱心である。それほど我国がお付き合いする国々は、軍事を十分理解し装備を固めている国だから、どうしてもこの国は『浮きあがって』しまう。やはり、子どものうちから「軍事学の基本」や、「体力気力の練成」の大切さなどについて、しっかり教育しておくべきだったと思う。現在でも、軍事学講座を持っている大学は殆どない。同様に、軍事史学を教えている大学もマレである。これでは世界に太刀打ち出来まい。大相撲を例に挙げるまでもなく、力勝負にめっきり弱くなった戦後日本人、そんな戦後育ちの一員である政治家や、官僚達に『強力な軍事力』をちらつかせる国々と『交渉』させる事には無理がある。「やくざに睨まれた小学生」みたいなもの、拉致事件竹島北方領土尖閣問題がそれを示している。
ケンカの経験がない、やり方も知らない『高学歴』な官僚達に、外交という『戦場』で、戦えるはずがないのである。
では防大はどうか?
確かに他の大学よりは軍事学が充実しているのは当然であるが、私は今、かなりの危機感を持っている。その名が示すように、「防衛」大学校であり、「防衛」庁であり、「自衛」隊として50年間継続されてきたからである。つまり、軍事の基本は「攻撃」であり、『防衛』はその一面に過ぎないにもかかわらず、ただひたすら「専守防衛」を唱えてきた弊害が出つつあるのではないか?と思うからである。クラウゼヴィッツが言うように、防御だけでは戦勝は得られない。「攻撃は最大の防御」なのである。この、軍事の基本を忘れた日本外交では、勝利は決して得られない。この50年間、我国は「軍事」に目をつぶり、その教育をないがしろにしてきた。そして、勝利を「同盟国」に期待してきたのである。自ら『敵を殲滅して勝利を得、自国民を守り、領土、主権を確保する』決意なんぞ、とうの昔に『放棄』していたのである。
軍備を怠らない世界の国々と関わるのに、軍事抜きでやって来れたのは、実は『強大な軍事大国』である『米国』という同盟国があったればこそなのであった。その事に、もうそろそろ気がついても良いのではなかろうか?そう思って「原点」に戻って考えて見ようではないか、と書いたつもりである。

私事にわたるが、月末に転居を計画している。パソコンの再セットなど、一時使用が中断するかもしれない。ぎりぎりまで努力するつもりだが、不定期になることをお許し戴きたい。転居後の6月からは、大いに腰を落ち着けて書いていこうと思っている。