軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

李さんからのプレゼント!

昨日は、一時転居作業を中断して、史料調査会と、岡崎研の≪フォーラム≫に出席した。双方共に一応役職を与えられているから、責任を果たす必要がある。
お昼の≪史料調査会≫の評議員会では、海軍の75期クラスの方々が、この会を主催しておられるのだが、クラスの仲間の訃報に接する機会が多くなった、という、何とも物悲しい話で寂しくなった。会員は減る一方で、増える条件はまずないといって良い。青春時代を大戦で過ごし、戦後はひたすら復興の為に尽力した方々の“末路“かと思うといかにも悲しく申し訳ないと思う。なんとか協力したいと考えているが、非力な一OBの身分では限界がある。
せめてこの欄で≪広報≫をしたいと思うので、どうか若い方々で、軍事、外交に関心のある方はご参加願いたいと思う。
来月の講演会の計画は追ってお知らせするが、毎月概ね第三木曜日、午後一時半から四時まで、場所は東郷神社に隣接した≪水交会≫である。

夜は恒例の岡崎研究所のフォーラムが開催された。安倍官房長官始め、多くの政治家や各界のVIPが約200名集合する盛大な会合で、ほど良い頃に岡崎理事長が、最近の情勢について解説する。これが“目玉”なので、終わるまではぎっしりと会場は埋め尽くされる。
昨日も各界の方々から実に面白い話しが聞かれたが、今日はその中で私が≪感動≫した『秘話?』を御紹介しておきたい。
昨年11月に、中国を訪問して、北京と蘇州・上海で会合を持ったことは、以前長々と御報告した。
その時、日本に留学などしている中国の友人二人が同行してくれたので、語学や案内などで大いに助かったのだが、その中のひとりであった李さんが、私に毛筆の≪小筆≫をプレゼントしてくれたのである。
実は昨年の訪問時に、家内から写経用の≪小筆≫を買ってきて欲しい、と頼まれていて、機会を捉えては購入しようとしたのだが、時間がなくて買えなかったのである。そのことを彼に話したので、彼はいつも気に留めてくれていて、文房具屋など専門店を探してくれていたのだが、ついに立ち寄る機会がなく、上海空港の土産物屋で、購入したのであった。この店の主人は日本語が出来たので、大、中、小と3本セットの筆の内、写経に使うのだから小筆だけで良いのだが…と訳を話すと、「大丈夫」と言って小筆だけを3本そろえて売ってくれたものである。その事を帰国後李さんに話したのだが、一時北京に帰国した彼が、わざわざ「小筆3本セット」を二組、買って来てくれて、私にプレゼントしてくれたのである。
「この前先生が買えなかったので、今度私が買ってきました」と言って、パーティ会場で差し出された時、思いもかけなかったことだったので私は感動した。
“一般人?同志”では、こんなに気安くお付き合いが出来るのに、その集団である「国家」となるとどうしてそううまく行かないのだろう?等と考えてしまった…

韓国の南北鉄道開通式が北朝鮮の「裏切り」で中止になった報道には、思わず声をあげて笑ってしまったのだが、この程度(低度?)の情勢判断しか出来ない政府が現実に存在するのだから、外交がうまくいかないのも納得できる。
韓国にだって、李さんのような信義に厚い国民は多数いるはずだが、マスコミ報道だけではさっぱり分からない。
岡崎理事長が「今後世界中で今のように人口が増大しつづければ、自然淘汰の必要性から必ず戦争が起きる。まず資源争奪戦が始まるから…」と言ったので会場は沸いたが、私も全くそう思う。それが人類の歴史である。それを防ごうと、戦争が終わるたびに反省して暫く『平和』が続くのだが、やはり奪い合いから殺し合いが始まる。岡崎理事長が「そうなると戦争の目的は人口を減らす事だから、殺し合いは避けられない」と笑いながらいったが、お酒の席での話しとはいえ、現状を省みて「すでに始まっているのでは?」と感じた次第。
我々が毎年続けている日中安保対話のような小さな努力が、実を結ぶのは何時の事だろうか?と『小筆3本セット』を眺めながら感慨にふけったのだが、嬉しい話ではあった。

コメンテーターの方々から、私の転居作業を心配してくださる声が届き申し訳なく、かつ嬉しく思っている。
航空自衛官として34年間の御奉公中、22回の人事発令と、それに伴う24回の転居、そして退官までの通算10年間は、青森から沖縄までの単身生活が続いた。家庭を顧みず、ひたすら?職務に専念したせいか、日本の防衛やアジアの平和よりも、“自宅の安全保障”がおろそかになっていることに遅まきながら気づいたので、人生最後の25回目の転居を推進する事に決心したのである。今後は山にこもって私は読書と執筆?活動、家内は狭い庭でガーデニング…。人生最終章の幕開け、今日もこれから荷物を運ぶが、現役時代とは打って変わって、体力気力にやや減退が見られるのが残念である。ファントム戦闘機隊長時代に痛めた腰痛が、目を覚ましかけているが、私の転居を知った昔の部下達から、土日は空けてありますからいつでも声をかけて下さい、と電話があったので恐縮した。自衛隊では、仲間が転勤になると、大勢で手伝う“文化”がある。しかし今や私はOBであり、「文化」とは縁が切れた。
転居後、落ち着いたら、今まで集めてきた膨大な資料を引用して、連日「ブログ」を充実させたいと思っているから、今しばしご静観戴きたい。