軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

安全管理のずさんさに驚く!

ふじみ野市の市営プールで起きた少女水死事件は、管理体系すべてに「ずさんさ」が感じられて、亡くなった瑛梨花ちゃんのご両親はお気の毒という意外に言葉がない。
私は航空事故調査を専門にする「航空安全管理隊司令」を暫時務めたことがあるが、事故調査を進めると、意外な「盲点」に突き当たることがある。それは結局は「人間の持つ能力・知識不足」および「適切な教育」の欠如、なかんずく組織全体としての「危機意識」の欠如である。
マニュアルがあろうとなかろうと、状況を判断して「直ちに行動する」ことは、生き物としての最小限の「生きる条件」である。
動物たちを見るが良い。ペットと野生動物の驚くべき差は、現代日本人=ペット、世界の人民?たち=野生動物に例えられよう。日本人は大東亜戦争に「負けて以来」大きく劣化したように思う。
現役時代、私はよく部下たちに「自明の理を疑え」と指導したものである。良い意味でか、現代日本人は「疑うこと」をしなくなった。新聞記事なんか、疑いだすときりがないのだが、直接その危機が自分に降りかからない間は、大して気にも留めないことに通じるところがある。ところがパイロットはそうはいかない。脚を上げて離陸してしまったが最後、その後に発生した事態には、自分の力で対処する以外に生き残る手立てはない。無線で地上の助言を求めても、無線だって壊れることがあるし、第一「緊張感」が全く異なる。司令官でも幕僚長でも、最高指揮官の総理大臣だって「何も出来るはずがない」。すべては自らの「過去の訓練と努力」が生死を分ける。そんな生活を34年間も続けてきた私の目から見れば、防護用の「ふた」が外れていたら、次に起きるのは何か?が想像できなければ「監視員」や「管理者」たる資格はない、と断言できる。

夏休みが始まると、道路も住宅街も、子供たちであふれるようになる。子供たちの行動は予測できないから、車の運転でも、普段とは違った対応が要求される。
われわれの生活環境に変化が起きた場合、それによって次に何が生じるかを予測し、生き残るために適切な行動をとるのが、生き物の知恵である。
このプール管理者は、文科省の通達以前に、夏休みに子供連れが「殺到」し、プールは「大繁盛する」ことを予測し、危険箇所の一斉点検をするのが当然であった。
ボルトで留めようと針金で留めようと、要は「水流から子供たちの身の安全を確保できるか否か」がその判断基準となる。それが出来ないようでは、小学生以下の知恵しかなく、大人の仲間に入ることさえおこがましい。
今回のプールは「市営」というから、今まで「マンネリ」で、お役人的処置で済ませていたのではないか?
市長以下、関係者は「頭を丸める」だけではすまない!もう一度「幼稚園から入り直して」、危険なプールで泳いで見るべきである!

この時期になると毎年繰り返される悲しい事故だが、それは管理責任者はもとより、現場担当者を含めた一同に「危機意識」と「責任感」が大きく欠落しているからである。
全国で、この事件をきっかけに一斉点検をしたらしいが、それはそれでいいが、普段から危機意識をもっと高めておき、事故が起きてからあわてて「点検」しなくて済む様にすべきである。最も人間は誰しも「対岸の火事」を楽しむ傾向があるから、身に降りかかるまでは「物事に進歩がない」のも定説だが・・・。拉致事件がその代表的「悲劇」である。関係者の猛省を促したい。

さて、昨夜はようやく20枚の原稿を書き上げた。
今朝新聞に目を通すと「正論」欄に「釈然とせぬ昭和天皇のご発言メモ」と題して岡崎元大使が良いことを書いていた。「全体に陛下らしいご風格見えず」というが同感である。すでにこのブログのコメント欄でも、メモの正体は「割れつつある」が、「万一ガセ」だと判明したら、日経新聞はどう責任を取るつもりだろう?
民主党の偽メール事件ではどんな「記事を書いていたか」知らないが、あれどころではすまないだろう。天皇の「政治利用」のみならず、日本国民をだました責任は万死に値する。先行きが気にかかる。
一方面白いことに、これの背後にいる?と思われる中国は、これもまたうまく処理しないと「敵国の天皇」発言を「高く評価して」A級戦犯を誹謗し、小泉首相靖国参拝を阻止しようとしたことになり、矛盾もはなはだしいのだが、どう決着をつける気だろう?政府は「親天皇」、国民は「反日」で今後うまくやっていけるのだろうか?
もっとも、8年前に北京で会った高官は「ヤオハン問題」を追及した私に「利用できるものは何でも利用する」という趣旨の回答をしたくらいだから、いちいち「自己矛盾」などを気にするお国柄でないことは承知しているつもりだが・・・

ところで「正論欄」の右隣の「談話室」に、「靖国問題にふれたデビ夫人」という投稿があった。7月22日の産経新聞に掲載された「ソウルから・・・デビ夫人の健闘」と題する黒田特派員のコラムのことなのだが、ついでだからここで全文ご紹介しておこう。

インドネシアの元スカルノ大統領夫人で日本のデビ夫人が先ごろ韓国の大韓赤十字社から赤十字会員有効賞を贈られた。デビ夫人は近年、国際的な難民や飢餓、災害救援などボランティア活動に熱心で、昨年は北朝鮮に対する食料の人道支援もしている。そんなこともあって大韓赤十字社から感謝となったのだが、韓完相総裁との会見の際、こんな場面があった。
居合わせた知人から後で聞いたのだが席上、デビ夫人が『ひとつお願いがあります』と言って靖国神社問題で日本に対する理解を求めたというのだ。彼女の話は『韓国人の気持ちはわかるが、靖国神社は日本人の文化、歴史、心の問題です。合祀されているA級戦犯は死刑を宣告され処刑されており、罪があったとしても処刑によって罪は終わっているのです。日本人の多くはそう思っています』というものだった。
進歩派で親・北朝鮮的な学者出身の韓総裁はいわゆる『A級戦犯分詞』論で反論したがタジタジだったという。彼女は『ヨーロッパでは60年以上もたって戦争などのうらみを言っている国はありません』などとも言ったそうだが、立派なものだ。ついでに故スカルノ大統領などインドネシア独立運動家の親日的な日本観も紹介してあげればよかった。(黒田勝彦)」
巨額のODAを『提供』しながら、一方的に手玉に取られている?感がある日本外交担当者は、少し学んだらどうか。もっとも、彼女は自己資金?を寄付したのだろうが、外務省は『国税』だから、痛みを感じないのだろうが・・・