軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ライトフライ級王座決定戦に失望

昨夜はチャンネル桜の収録で、帰宅が遅くなったが、帰ると家内が「ボクシング、勝ったわよ」と報告した。普段は、ボクシングなどに全く興味がない家内が、なぜ真っ先に私に報告したのかというと、試合前の「パフォーマンス」をテレビで見て、この試合は亀田の負けだ、と私が断言したせいである。家内がその理由を聞いたから記者会見を見た私が「二人の選手の態度からそれがはっきり伺える」と答えたので、家内は私の「予言」が「見事に外れた?」から報告してくれたのであろう。
事実、記者会見の席での亀田選手の態度は「論外」だったが、あれが彼の≪売り≫だという。ボクシング界も人気がなくなっているから、協会は起死回生の手段として、彼を使っているのだろうが、スポーツの世界はそんな生易しいものではない。ファンの目は決してごまかせない。しかも、試合前から、あのような≪挑発行為≫をするのは「礼儀」に反する。サッカーのワールドカップで、フランスのジダン選手が「頭突き」して退場した事件の後、彼は「あのシーン」を見た世界中の子供たちに謝った。つまり、スポーツは大人たちに限らず、多くの青少年たちの「夢」であり、その影響力はすこぶる大きいからである。記者会見の席で、亀田選手があのような「パフォーマンス」をする姿を、子供たちは食い入るように見ているのであり、あれが「許されるものだ」と勘違いするのである。これは「教育上」好ましくない。
もっとも私は剣道と銃剣道しか知らないから、ボクシングやサッカーなどについて意見する資格はないのだが、日本古来の「武道」に限らず、どんなスポーツにも「礼儀作法」というものがあるはずである。戦いを旨とする者として、試合前から「相手に愛想よく振舞う必要」は全然ないが、キューピー人形を差し出すような「無礼」はいかがなものか。

家内の報告(しかも家内は「第一ラウンドで(亀田選手が)倒したわよ」と言ったのである!素人の報告ほど恐ろしいものはない!!)に納得いかなかった私は、TBSの深夜の「特集番組」で試合の経過を見たが、何と第一ラウンドで「ダウン」を喫したのは亀田選手じゃないか! ダイジェストを見た限りではこの試合は誰が見ても「亀田選手の負け」にしか写らない。スタジオに来ていた亀田選手自身が「それ」をよく認識していると思う。問題は、彼の将来にとって、今のままでは必ず将来躓くから、「かわいい子に旅をさせよう」という「大人たち」の姿勢が感じられないことである。
今回、ダウンを喫した以上、彼は「それ」を自覚していたはずだ。それがなぜ「判定」で勝者に変身したのか?
おそらく(全くの想像だが)ジャッジ3名に相当な「プレッシャー」が加わっていたのではないか?特に「韓国出身のジャッジの判定」には首をかしげる。変なところで日本びいきになることなく、竹島を日本領土だと認めよ!などと、無粋なことは言わないまでも、今回の判定は不自然さを通り越しているように思う。
勿論、地元の利、は予想されていたし、私も剣道の試合で、数え切れないほど「それ」を体験してきた。しかし「それ」にも一定の節度というものがある。
限度を超えた「判定」は怒りを超えて「茶番」でしかないことも体験してきた。
今朝の産経新聞は、社会面で「どう考えても負け試合/これがスポーツか/採点基準分からない/あり得ない」と、「亀田の王座奪取・茶の間も専門かもブーイングの嵐」と報じた。これが全うな視聴者の感想だと思う。
敗者となったベネズエラのランダエダ選手は、「怒りを越して苦笑い」「最低でも3ポイントは勝っていた。記者の皆さんは私が勝ったと思ってくれている」と語り、“勝者”の自信にあふれていたそうだが、「亀田は本当にオムツが必要だと思った。亀田は今日の試合を通して、ボクサーとしても人間としても学ばなければならない」と締めくくったが、亀田選手にとっては貴重な「助言」となるだろう。
もっとも、彼ではなく、その背後に控えて彼を「ピエロ」にしている組織の「大人たち」のほうがこの言葉を学ぶ必要があるのだが・・・
確かに彼はまれに見る「ファイター」の一人だろう。だからこそ、これまでの「作られた?」ヒーローから脱却しなければいけないのである。

それにしても、この試合を通じて、今の日本が抱えている問題の一部が曝け出されたように思う。
 その一つは「ヒーロー待望」である。国民は「ウザッタイ」政治や経済の世界に飽き飽きして、「スカッ」とする気分転換を求めている。丁度、第一次大戦に負けたドイツ国民が「ヒトラー」の政策に狂喜したように・・・
 
 二つ目は、多くの女の子?たちが、ボクシングという男の世界?に関心を持ち始めているそうだが、男と相場が決まっていた?競艇や競馬など、ギャンブルの世界にまで進出している彼女たちの背景には、どうも現代の男たちの「ひ弱さ」に幻滅しているのではないか?と思われることである。そこに「スカッと勝つ」亀田選手の登場があった。久々の「男」の登場である! それがマスコミの「異様な宣伝」とあいまって、ブームを巻き起こしているように思われる。

 三つ目は「家族愛、家族の絆」願望である。亀田家の家族の内情がどうであるか私は知らないが、リング上で「家族愛?」を発信する彼の姿に、女性たちは「母性本能」をくすぐられているような感じがする。スポーツの世界に「家族愛」を持ち込むのは、なんとなく「公私混同」の感が否めないでもないが、それも背後で彼を「ピエロ化」する「大人たち」の「演出」の一つなのであろうか?
 
 何はともあれ、少なくともこの3つの事象は、現代日本人が失いつつ(失ってしまった?)ものであるが、それがブームになるということは、実は国民の大多数が「強いもの」「家族愛」を支持し求めているからに他ならないと思う。国の指導者たちはそこをどう観察しているのか非常に気がかりである。

 その昔、「一杯の掛け蕎麦」という、家族愛をテーマにした「物語」が日本人の心を捉えたことがあったが、実は「フィクション」であったことがばれて、熱がさめてしまったことがあった。
 ボクシングブームも、「一杯の掛け蕎麦」物語にならないことを「大人たち」に希望したい。