軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

動き出した半島情勢

 安倍首相の訪中、訪韓が決まったようだ。私のブログ読者の中にも、相当心配している方々が多いが、この決定は聊か唐突だったし、≪クラウゼヴィッツⅢ世≫氏が指摘しているように、相互訪問の原則を曲げてまで、こちらから「訪問」するのは確かに「異常?」である。
 日米関係を重視する、と公言していた安倍氏らしくなく、いきなり就任直後の訪中、訪韓だから、米国側にはそれなりの「説明」がなされているのだろうが、麻生外相の発言からはそれが見えてこない。
 今回の訪問は、今後の安倍政権を占う「大きな賭け」であろうと思う。誰が引いた路線か知らないが、とにかく成功させなければ、2008年が危なくなる。
 今朝の産経新聞は、あの忌まわしい「河野談話」を“政府として”踏襲、「政権安定、中韓にも配慮」と書き、自民党参院幹部は「初めから独自色を出せというのは無理だ」と首相を弁護し、「保守層の支持を失いかねない」(ある閣僚経験者)危うさもはらんでいる、と書いた。
 若い総理だから、補佐官初め、バックについている「先輩たち」が、しっかりと補佐しなければ、「美しい日本」を取り戻すことは不可能になろう。

 ところで、私は以前から中国国内で起きているであろう事態に注目しているのだが、同じく産経の3面には、北京の伊藤特派員が、「中国の6中総会開幕日に日中首脳会談開催を決断したのは、対日関係改善への強い意欲を示している」として、中国政府関係者は「胡錦濤国家主席自身の決定と指摘、『江沢民前主席時代以来の反日政策から転換する意思の表れであり、胡氏の権力掌握の象徴』と述べた」という。
 同時に韓国は、「外交孤立感払拭へ『軟化』、国内に外交的な孤立感が広がっている」し、「先月のブッシュ大統領との会談に続き、中国の胡錦濤主席とも近く会談することになっている。安倍首相との会談もこの脈絡にあり、周辺大国との関係調整による“外交的安心感”を求めているといえる」と黒田特派員が書いている。
 また、面白いことに15面には「上海トップ・陳氏解任劇の背景」に付いて、「胡氏と江氏の権力闘争絡む」として、二つのグループ間の対立と、反腐敗闘争、路線闘争が続いていることを産経は指摘している。つまり胡政権は、「高度成長の下で積み残されてきた環境や貧富の格差問題への対応を迫られており、ここ数年、経済成長を多少犠牲にしても社会のひずみの是正を優先するという『調和の取れた社会』を唱えているが、これに対して上海はじめ開発が進んでいる沿海部地域は、あくまでも経済成長を最優先するべきだと主張、中央の政策に抵抗、激しく対立したといわれる。今回の陳氏解任はこの路線の一つの決着ともいっていい」とする。
 いずれにせよ、韓国も中国も、国内での争点を、日本の新任首相と会談することによって、多少なりとも『自分の利益』にしようとする姿勢が見え見えだといってよいだろう。そこで『火中の栗』を拾いに出かける側としては、従来からの懸案事項を曲げてまでも、唯々諾々と『その手に乗らない』行動が大切である。
 万一相手の誘いに乗って、安倍首相が『美しい日本』に書いた内容の一箇所でも『変更する』様な事態が生じれば“由々しき事態”を招きかねない。

 しかし、見方を変えてみれば、北朝鮮が『最後の切り札である核実験』を、臨時ニュースで伝えたことからも分かるように、金体制の尻には火が付いていることは明白である。国境を接する中国としては、そんな「駄々っ子の論理に付き合っているほど余裕はない?」だろう。しかも「核を保有」し、ミサイルに搭載する技術を開発し、万一「核兵器」としてそれを「展開」するようなことがあれば、対ロシア、米国向けの「国際的発言力維持」に貢献している中国の核戦力の価値が低減し、何らかの北朝鮮対処措置を講じなければならなくなる。そこで、日本にとっては「拉致被害者救出」という悲願があり、中国にとっては「北の核武装」を阻止する必要がある、という新たな問題が生じたと考えれば、二国間には共通の課題が生じたことになる。そこで今回の会談では、胡錦濤氏から何らかの「取引」が出されるのではないか?
 韓国も同様、北が暴発すれば、莫大な損害をこうむるのは韓国自身である。つまり、今回の日中、日韓首脳会談の共通点には、「北朝鮮問題」が共通事項として取り上げられる可能性がある、と想像される。安倍首相の国民に対する最大の公約は「拉致問題の解決」でもある。朝鮮半島情勢を巡る3者の利害が一致した?と見るのは早計だろうか?

 ところで、いつの間にか私のブログが、300万件を超えるヒット数になっていた。
昨年五月中旬から、気休め程度に始めた「日記」だが、こうなると「サボる」ことが出来なくなった。コメントと、その中に含まれる色々な情報にも刺激される。
 私が勝手に考えている“2008年危機”を無事に乗り切るまでは、気が抜けないから、これからも“独断と偏見”に満ちた日記を書いていく所存である。