軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

台湾情勢などなど

 昨日は、午後一番に台湾の許大使の講演を聞いた。私が関与している「史料調査会主催」の講演だったが、会場は満席で関心の高さが伺えた。
 夜の部は「守れ!わが領土…尖閣問題」の国民決起集会が行われ、私は南西方面を担当したせいで15分間「報告」したのだが、それもまた熱気にあふれていた。
 今日は、許大使の話で、面白かった箇所をお伝えしておきたい。
1、台湾人の対日好感度について
 過去の調査では、今までは一位は圧倒的に「米国」で日本ははるか下であった。しかし、ここ数年①米国②日本となった。ところが今年は①日本②米国と逆転した。その理由は名古屋万博で台湾、韓国からの観光客に日本政府が「ノービザ」にしたことである。万博終了後も「国交がない」にもかかわらず台湾には適用したが、国交がある韓国には適用されず、その後ようやく適用された。
 いまや年間、台湾人の128万人が訪日し、日本人観光客も110万人が台湾を訪問している。社会的価値観が共通だから親しみやすいのだと思われる。こんな台湾を、国家体制が異なる“外国勢力”に追いやってよいものか、良く考えていただきたい。
2、面白いことに、中国大陸内のインターネットの世界を見ると、「生まれ変わってもなお中国人でありたいか?」という質問に対しては、中国人の70%が「NO!」と答えていることである。それは1989年の天安門事件が原因だと思われる。
3、(質問で尖閣領有問題を聞かれて)
 台湾政府は「わが領土であるといっている」。日本とは理性的に話し合いたいが、中国とは一緒にやりたくない。この問題の根底には、日本統治下において宜蘭県の漁民同士が尖閣で殺し合いをした際、裁判をどこでやるか…で、宜蘭県の裁判所の所管とされたことにある。それを日本統治下で日本が承認したからだというのである。
4、尖閣領有に関する中国の主張が面白い。その論法は①尖閣は「台湾のもの」である。②台湾は「中国のもの」である。③故に尖閣は「中国のもの」であるというのである。勿論「大陸棚論」もあるが。領土返還の事例は、米国が沖縄や小笠原諸島を返還したという「稀有」な例があるだけで、ほかは殆ど武力対決である。

 さて、私のブログのコメント欄が面白い。いちいちお答えする暇はないが、「いじめ問題」については、私も勿論体験している。長崎県佐世保市郊外の小さな町で育った私は、周辺が炭鉱地帯で、父が火力発電所勤務だったから、戦中・戦後の激変は十分に体験した。昭和21年に小学校に入学したのだが、物不足も激しかったが、異常だったのが、炭鉱夫の子供たちの「ヤクザまがい」のいじめであった。
 日本敗戦後は、彼らは「戦勝国民」であり、我々は「敗戦国民」であった。成績が良い子供たち、たとえば級長(その後学級委員と改称されたが)は殆どその“洗礼”を受けた。学校帰りに「待ち伏せ」を受けるのである。しかも相手は徒党を組んでいて、後ろの方でそれを操るのが「戦勝国民である炭鉱夫の子供」であった。
 彼らは「肥後の守」という小刀をちらつかせて脅迫したものであったが、被害届を出さなくても、親か仲間の誰かが見ていてすぐに先生に通報したから、翌日彼らは一網打尽で、男の先生が来て「ぶん殴った」ものであった。勿論その仕返しがないわけではなかったが、先生によるそのまた「仕返し」が強烈だったから、次第に彼らは鳴りを潜めていったものである。
 中学には殆どがそのまま進学したから気心も知れていて、中学校には今よりはるかに「大人の雰囲気」があったから、そんな子供じみたいじめは少なくなった。しかし、芸者の子とか、妾の子などという、ある意味「大人じみた次元?」でのいじめはあったことを記憶している。当時町には占領軍がたむろしていて、そんな米軍兵士の腕にぶら下がって哄笑している街娼(当時はパンパンといった)が目立っていたので、風紀改善委員会など、PTAと子供たちで「それらから身を守る」サークルが盛んであった。余談だが、そんな「幼児体験」がトラウマとなっている私は、若い女性が真っ赤な唇でタバコを吸っている姿を見ると、今でも無性に気分が悪くなる!
 当時は先生も父兄も、子供たちを守るのに真剣だった。いわゆる「部落」でも、中には立派な大人たちがそのような行為をしたわが子を厳しく(想像以上に)折檻した時代だったから、子供たちの規律は自然に保たれていたのだ、と勝手に思っている。
 いつの時代でも、人間一度は通過しなければならない「動物的本能」の発露が“いじめ”や“暴力行為”だと思うのだが、それを体験してきた「はず」の今の大人たちが、私の目から見れば相当「未熟」だから、手の打ち様がないのであろう。
 言い方を変えれば、大人たちのほうが「背広やドレスは着ていても」子供以下の未熟児が増えたからだと私は勝手に思っている。そうでなければ秋田県のわが子殺し事件など、説明がつかないだろう。殺された子供たちよりも、殺した親や大人たちの方がはるかに未熟児なのである。肉体は生育しても心がついていっていない。動物の「オスと雌」でしかない。発育した肉体の中には「色情因縁」だけが膨らんであるのである。

 ところで「父親たちの星条旗」など、米国映画の日本人出演に関してアドヴァイザーを務めた「彼」は、ダニエル・キングという若者で、ホームページを持っているからご紹介しておきたい。

http://www.historicalconsulting.com/

 彼は昨年、末期癌にかかったそうだが、信じられないことに回復したという。「まだペリュリュー島に行っていない。日本人の真の姿が、曲げて伝えられている。私がその真実を書かなければ、誰が書くのだ。書き上げるまでは死ねない」というのが彼の口癖だというから深く心を打たれた。日本人の中にさえ“反日”で食っているものが多いご時勢に、彼のような米国人が居ることは信じられない。きっと彼は前世は日本人だったのだろう。それも侍だったに違いない・・・と私は勝手に想像しているのである。
 今彼は関西など、旧軍の生存者や、戦争史料を求めて、抗がん剤を飲みながら聊か不自由な足を引きずって歩き回っている。
 暇があったら「激励」してやっていただきたい。