軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

“外国人たち”が見た日本の現状

 今週はパネルディスカッション、来週は沖縄、12月初旬は浜松と、次々に講演会などが入るので、なかなかブログが書けない。
 久々に開けたらコメントの中に、チャンネル桜が先日の「日中安保対話」を放映したというものがあった。私は見ていないので、どの部分が放映されたのか知らないが、2時間というから初日前段の部だったのだろう。後半に入ると面白くなるので、乞うご期待!
 ところで、相変わらず中国は信頼できないという声が多い。勿論、異民族だし何せ国家指導体制が根本的に違う。その上、過去の戦争では『負けた腹いせ?』からか、あることないことすべての責任を旧日本軍に押し付けて、自分は全く正しいと主張するのだから、付き合いにくいことこの上ない。しかし、たとえば我が国にだって相当な『反韓・反中』グループは存在するのだから、江沢民時代に徹底した反日教育を受けた彼らが『反日グループ』になるのは蓋し当然で、親北政治家が指導する韓国にも居るのは当然である。ただ、私が許せないと思うのは「日本人でありながら『反日行動』を取っている日本国内のグループ」であり、それは言うまでもなく政界や経済界、マスコミ界に依然として根を張っている。そんな「グループ」の方がよほど我が国にとっては危険な存在だと思うのだが、それはさておき、今日は「外国人の目に写った日本の姿」について、大変面白いことがあったのでご紹介しておこう。

 昨日、私は友人の紹介で、来日したある若い米国人と昼食を共にする機会があった。彼は日本「大スキ」者で、太平洋戦線各地の戦跡を巡って、遺品遺骨を収集したり、日本軍に関する資料を収集している、いわば戦争ジャーナリストである。
 彼は、日本軍が関係する映画に、誤りが多すぎるのを憂慮し、アドヴァイザーとして関与しているそうで、例えばトムクルーズ主演の「ザ・ラスト侍」「ウインド・トーカーズ」「ザ・グレートライズ」、今上映中の「父親たちの星条旗」などなど、日本軍の軍服、装備品、階級章、行動など、細かい部分のコンサルタントをしているという。今回の「…星条旗」では、その原作があまりのも“いい加減”なので心配し、相当な“アドヴァイス”をしたようだが、勿論全部が認められたわけではないが、かなり影響した筈だと語った。撮影地は硫黄島では「環境が変わりすぎていて」不可能だし、ハワイもなかなか条件がそろわない。アイスランド?で撮影したが当時の環境はかなり再現できたと言った。ただ、個人的には、完成した作品を見て「日本軍の軍服が、少し新品過ぎたことを反省している。実際に硫黄島を探索したとき、自分の服は二日間で傷んだほどたっだから、当時の日本軍兵士たちが、アンナ新品を着て戦えた筈はない、と反省した」と言った。
 その彼が、着席して開口一番発した言葉が面白かった。
「テレビで見たのですが、日本の校長先生の顔は変わりましたね」と言うのである。「とても先生とは思えません。一般の職業人と変わりません。どうしてそうなったのですか?」「校長先生の自殺は、手りゅう弾で自決した日本軍兵士たちと同じですか?」と言ったのである。私は「兵士や武士の切腹とは全く異なる。兵士は生きて虜囚の辱めを受けぬため、武士は公のために腹を切った。己の保身や、切羽詰った錯乱とは全く異なる」と回答した。
「人相」については、私自身“自信”はないから大きなことは言えないが、最近の日本人の人相は確かに変わったと思っている。とにかく「しまり」がない。男も女も、どこか抜けている。とてもアンナ人相では「パイロットへの道は進めない」と確信している。
 先月、友人の中国人哲学者・石平氏から「私は『毛主席の小戦士』だった…ある中国人哲学者の告白」という本が送られてきたので一気に読み終えた。飛鳥新社刊で、1500円だからご一読いただきたい。彼は日本に“亡命”して来て、祖国・中国を観察しているのだが、文化大革命で祖国は根本的に変わったと見ている。その点では、私のブログ読者の中の『中国は信用できない』と言う部分が合致していると思う。
 つまり、日本人が尊重してきたかの国の4000年の歴史と文化は、あの時点で消滅したからである。その証拠に彼は「中国で抹殺された論語が日本で広く普及していることに感銘を受けた」と言っている。
 かの国の良い意味での歴史と文化伝統は、現在のかの国には伝わっていない、つまり『シナ』は『中華人民共和国』になった時点で変質したのである。その点を十分認識してかからないと道を誤るという指摘は肯定できる。しかし、共産党支配下にある中国人自身も模索しているのである。
 昨年春、靖国問題で連日マスコミが騒いでいたときだったが、その彼と最初に会ったレストランで、彼が私にこういったことが思い出される。
「先生、何故日本人はすぐに謝るのですか?いつでもどこでも必ずすぐに謝る。私にはさっぱり理解できない」
 そこで私が「解説」したところ、彼は私が返答しようがない「事実関係」を示したのである。彼は「先生、これは何ですか?」と言っていきなりレストランの仕切りの扉を開けたのである。
 昼食時で店は賑わっていたのだが、そこには私の想像を超えた“事実”が展開されていた!テーブルのあちらこちらから、客たちが店員に対して「スミマセーン!」と声を掛けているではないか!それを指して彼は言った。
「先生、スミマセンと言う日本語は謝る言葉でしょう。何故いつでもどこでもすぐに日本人は謝るのですか?癖になっているじゃないですか!」
 これには返答の仕様がなかったのだが、言われてみれば最もである。

 米国青年の「人相論」、石平氏の「謝罪論」、共に考えさせられる感想だったが、読者の皆さんはどう感じられるだろうか?