軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

6者協議に見る“米国の衰退”

 年末は何かと気ぜわしい。私のブログも1年7カ月で368万件ヒットして、熱心な読者間の「討論」が継続していることは喜ばしい。あくまでも建設的なコメントを期待するがコメントが<匿名>である以上、難しいのかもしれない。


 ところで6者協議も終了した。産経新聞は23日、「岐路に立つ6カ国協議」「威信損なった中国」「北、強気<核外交の勝利>」などと書いたが、所詮この協議は、米国のうまい戦略に中国がしぶしぶ応じたものだ、と私は理解している。
 確かに「北朝鮮の核保有」は隣国の中国にとって好ましいものではなく、これが引き金となって日本、韓国、台湾などの核武装を誘発しかねない。その意味ではそれを阻止するためにも議長国になる意義はあったのだが、中国の外交力には、国際的な会議を推進する指導力という点では限界があった、と私は見ている。勿論米国はそう思っていたから、「お手並み拝見」的態度で、議長国に祭り上げたのだろうと思う。
 中国には、それよりもっと身近な問題が、国内には山積していた。その一つが<上海閥北京閥>の対立であり、地方行政の腐敗堕落であった。
 15日の産経新聞は「中国・腐敗根絶派相次ぐ殺害」「県長・裁判官、胡政権方針に抵抗勢力?」との見出しで「中国で地方行政のトップと裁判官の一家が惨殺される事件が相次いだ」ことを報じた。つまり、<和諧社会建設>という胡錦濤主席の意を受けて、汚職根絶のための正義を貫こうとした裁判官らが、その反対勢力である企業と暴力組織に殺害された、というのである。そんな状況だったわけだから、崩壊目前の北朝鮮なんかに構っていられない訳である。
 米国もイラン情勢など、中近東問題を抱えている。そんなこんなでアジアの“大国”に采配を振るうようおだて上げたのだが、予想通り何の成果も得られなかった。
 失敗作の核爆弾?を、いかにも完成品のごとく扱い、「核保有国入り」という幻想にとらわれた北朝鮮の実態は既にお見通し、米国に届く核ミサイルが完成しない間は何の痛痒も感じない、それが米国の本音であろう。
 ブッシュ大統領は、ワシントンポストのインタビューに答えて、陸軍、海兵隊の総兵力を増強する考えを表明した(産経21日)が、ソ連との冷戦終結で大軍縮した反省が顕著になった。世の中は不思議なもので、我が国も大正時代の大軍縮で戦力が弱体化した昭和時代に、満州事変、支那事変と続き、ついに大東亜戦争に突入した。軍縮のあおりで特に陸軍の編制装備の改編は遅れ、せいぜい海軍がワシントン軍縮条約に対する窮余の一策で、戦艦を廃棄して空母(航空戦力)を増加したが、運用者たる海軍上層部の意識改革は未完成のままであった。そして結果は悲劇に終わった。
 米軍も4軍を25%削減することにしたとたん、湾岸戦争が始まり、テロとの闘いが激化した。軍にも国民にも精神的には≪ベトナム後遺症≫が蔓延していた。
 23日の産経によると、「国連制裁にらみイランに圧力」をかけるためペルシャ湾に米空母を増派するという。英国も掃海艇を派遣するようだが、米国の最大の関心はペルシャ湾にある。米国は、戦争のやり方が誤っていた事、つまり、最大戦力を集中して一挙に敵を殲滅する、という戦争の原理を見失い、国連や自国内の政治環境に振り回されて、戦力を小出しにするという、ベトナム戦争で演じた最も拙劣な戦略をだらだらと継続してきた。あの典型的な<ベトナム敗戦>から、何の教訓も得ていなかったように思える。
 今頃になってどうやら気がついたらしいが、ブッシュ大統領にとっては後一年しか残された期間はない。どれほどの成果が期待できるかは未知数である。
 翻って、これほどの「戦訓」を傍観しながらも、我が国の現状はあまりにも呑気に過ぎる。拉致問題一つとってみても、自国での解決は期待できず、米国や国連に泣きついているし、北朝鮮核武装という恐るべき“周辺事態”が進行しているにもかかわらず、他力本願の構えを崩していない。
「備えあれば憂いなし」というが、「備えなければ斯くの如し」であることを日本国民は自覚しなければならない。軍事的に同盟国が頼りになるのは、事態に応じて直ちに「駆けつけてくる」という保障にある。世界情勢を見る限り、米国の衰退は顕著になりつつある。2008年の国際政治環境の激変を控えて、経済大国・日本の進むべき進路はおのずと明白なような気がするのだが・・・