軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「正しく生きる道」とは?

 少女・アシュリーに刺激されて、生きるとはどういうことか?について考えることが多い週末だった。早速アマゾンを通じて「アシュリー」の著書を申し込んだ。
 さて数年前になるが、私の心に強く残る手紙を下さった方がいる。偶然台湾でお会いした元大学教授なのだが、今でも時々お電話を戴くことがある。
 日本が“敗戦”したあとに進駐してきた国民党軍に支配された台湾で、青年時代の一番大事な時期を「日本人と親しい」という咎で14年7ヶ月間も「獄門島」送りとなり、仮釈放後直ちに米国に亡命、米国で学び宝石学の学位をとると、奇しくも北京から招待されて大陸の大学で教授を務め、その後日本に滞在、今は台湾で暮らしている方である。言語に絶する体験をした彼が「幸福の道」と題する小論文を私に送って下さったのだが、私は深く感じるところがあった。
 たまにはお堅い「軍事・政治問題」ばかりではなく息抜きも必要だろうから、ここに掲載したいと思うが、「幸福の道」と題する小論文は長くなるので明日以降ご紹介することにして、今日はそのイントロだけをご紹介しておきたい。これは私が読後感をお伝えしたときの返事である。

「全世界の人類各一人ひとりが違ったタイムとスペースで、微視的にはそれぞれ違った物の見方考え方で生きているものです。日本統治時代から今まで台湾と日本を背景として、教え子達が師を偲んで書いた文から台湾を理解する足しにもなればと思いましてお送りしました。ご貴重なお時間を割いてお読みいただき有難うございます。
 事物は常に変動変化するものですが、それには大小と緩急があって度合いが違い、無事平穏な極めて変化が乏しき状況下に生きると新鮮味がなくつまらないと思いがちになり、変化と刺激を求めて生きることになりがちです。かって赤軍やオーム真理教に仲間入りしたIQの高かった人たちが邪道に惹かれた因素にも挙げられるものと私は考えています。
 未だに私はそこまで述べていませんが、理想的な幸福の道は、人間が常に新鮮な空気を吸わなくてはならないように自己生活に常によき新鮮味を取り入れる必要がありますが、無事太平な日本に生きる若者が、変な刺激と悪い新鮮味を求めて、つまらない平凡な無変化に近い自己生活から解脱しようともがいている実情は無視できないことと思います。
 この若い人たちに、常に温かい心で(彼らが)“一番何を求めているのか”“一番何に興味を感じているのか”“一番何が必要なのか”を見極めたうえで、(彼らが)自分自身を確実に知って、自分の生きる正しい目標を立ててより意義のある価値のある人生を歩めるように啓蒙することが大事かと存じますが!」
 
 前回のコメント欄に、防大に合格して進学するという「daidai」さん、障害を持つという「ふと」さんなどからコメントが届いていたが、人間、どの道に進んでも、多くの人間と接することになる。そこから得られる「邂逅(出会い)」と「人間関係」によって、将来は大きく左右されると思う。
 前文にあった「IQの高い青年達が、邪教に出会って人生を棒に振った」のは、それを見抜く目を持たなかったからであり、その意味では彼らの人生経験不足から来る「純粋さ」が仇になったのだともいえる。
 私は高校時代に剣道を始め、武道を通じて得がたい先輩、友人達に巡り会った。防大でもすばらしい師、友人、先輩、後輩に恵まれた。
 人生これからだ!という前途ある青年諸子に対して、学業も大切だが、友との出会いを大切にしてほしい、と“先輩ズラ”して申し上げておきたい。その意味で、台湾の元教授の「幸福の道」という考えが何らかの参考になれば幸いである。人生これからだ!という青年達の前途に大いに期待したい。