軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

幸福の道・その1

 昨日お約束した台湾の友人である元教授の論文を、2回に分けて掲載するのでご一読願いたい。


『幸福の道・その1』   

 無意識、意識不明、意識未熟と極度な悲観主義者を除き、大多数の人々は“如何にして幸福な人生を送るべきか?”という課題に非常な関心を寄せて考えている筈です。それで“幸福の道”というテーマで私の見方考え方を述べさせて頂き、皆様のご批判を仰ぎたく思います。
 誰もが体の健康が人生の幸福の大事な条件だと分かるが、総て体の健康な人が全部幸福であり得る訳でないことも周知のことです。つまり体が健康でなければ幸福であり得ないのですが、体が健康であるだけでは必ずしも幸福だとはいえないのです。明け透けに言えば、幸福であるか否かを決定する主要な条件として、体の健康の外に必ず心理も健康でなければならないのです。つまり正確な事物の見方考え方、言葉を代えて言えば科学的な事物に対する見方考え方が必要なのです。
 総ての人の事物に対する見方考え方を決定する因素は数多くあるが、そのうち、人々各自の占める時間と空間は非常に重要な客観因素だと思います。もしわれわれが現代に生存するのではなく、100年前、1000年前、10000年前、あるいは100年後、1000年後、10000年後に生きたか、生きるのでしたら、我々の事物に対する見方考え方は現在のものではないことは誰もが了解できるものと思います。
 同一時期に生存したとしても、違った空間で生存すれば自然的に事物に対する見方考え方に大きな差異が生じます。私達が台湾または日本で生存するのでなく、アラスカの氷原洞窟で生まれてずっとそこで育ったとしたら、私達の事物に対する見方考え方はまた全然違ったものになることは間違いありません。
 我々が正確に自分自身と自己の占めている時間と空間を認識し、この全面的な客観条件を把握した上で、さらに有利な条件を創造して全面的にうまく運用することによって、よりよき人生が求められ、真実の幸福が得られるものと思います。
 このために私達はまず客観的な自己存在を正確に認識する必要があります。私達は何だろう?。言うまでもなく私達は人間です。人間は何だろう?。
 まず第一:人間は生物に属します。生物か否かは生命があるかないかによって決まります。我々人間は生命があるからこそ感覚、意識があって思考出来るから自分が幸福であるか否かを見極められるのです。故に生命を保持するということは幸福の第一条件なのです。
 ところで私達個人の生命は簡単に得られるものではないのです。男の人は一回に約三億余りの精子を射出します。若死にさえしなければ、一人の男の射精回数は数え切れないほどあります。従って一人の男が一生の内に射出する精子の数は何兆兆兆と天文学的な数になります。私の父が一生の内に射出した何兆兆兆分の中の一つの精子と私の母より出した数多くの卵子の一つが結びついて私が生まれたのですが、その特定の精子卵子が一寸でも逸れて、別の精子または別の卵子と結びついたとしたら生まれたのは私ではなく全く別の人だったのです。つまり一人の人間が生まれる確率は宝くじに当たるよりも何兆兆兆倍も難しいもので、人類一人ひとりの生命はこの様に非常に得がたいもので何よりも貴重なものです。この極めて貴重な生命と人生を無駄にせず発揚拡張して、人類社会と自分のために有意義な生き甲斐のある幸福な一生を送るべきだと思います。
第二:人間は生物の中の動物に属し、植物ではありません。動物と植物の差異は、動物は自分の労働で自活するが植物はそうではないことです。如何なる時間空間如何なる状況下に生存しても、自己の労働で自活しない人は動物原則に背いて、他人から見下げられ、正常な人間社会生活に合流出来ず、辛い思いをして生きなくてはならないのみならず、引いては自己破滅の不幸な道を辿ることになりがちです。故に勤勉に自己労働によって自活することは、これまた幸福を得る条件の一つになります。
第三:人間は動物に属するが、他の動物と違うのは、人間は高度な観察力思考力を運用して生活する点であります。つまり人間は他の動物に比べて、非常に高いIQ、EQ、AQを生かして、人類社会を極度に発展進化させている点が他の動物と全く違うのです。数多くの人々が自己のIQ、EQ、AQを高度に運用し、優越な観察力と思考力を生かして、客観的に事物をよく観察し、全面的に系統的な分析と帰納を経て正確な判断を下し、自己に一番マッチした人生目標を立ててまっしぐらに明るい人生行路を疾走していきます。この人たちは学術界、教育界、産業界、企業界、政界等各業界で有意義な活躍を続けて成功し、人類社会に貢献するのみならず、自分自身も真の幸福を得ています。
 逆に自己の生活の中で何も思考することなく、当然何ら人生目標も持たず、只うやむやの訳の分からない一生を過ごす人々も見受けられますが、この人達は人間たる価値を失い、他の動物と殆ど差異がなく、幸福であり得る筈がありません。
 一個人の生命は非常に得がたいのみならず、極めて短い時間しか保たないものです。宇宙の占める時間に比べると我々個人の占める時間はゼロではないがゼロに近いのです。その上天災地変、人類の相殺、疾病などの災難が絶えず私達個人に降りかかり、更に各個人の生命を縮短させ続けています。
 一個人が死亡しても、人類社会、国家、地球、宇宙は依然として存在し続けるが、死亡と同時に意識を失うので死亡した個人にとっては一切が消滅したことになります。人間である以上、死亡は免れません。あなたにも私にもその日は訪れて来ます。故に私達個人は生きていられるこの貴重な短い時間を浪費することなく、より有効に活用しなければなりません。私たちは各個人の占めている微少な時間と空間を十二分にフルに活用し、出来る限りの最短期間で正確に科学的見方と考え方をマスターすることにより、一歩進んで事物を正確に観察、思考、分析、帰納、判断、企画、実行に移して、始めて成功の道に入り得ます。さもなければこの複雑錯綜しかも陰険な一面のある人間社会において、欺かれて悲惨な生涯を終えることにもなりかねません。 (続く)