軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

文科省よ、お前もか!

 昨夜の「チャンネル桜」の収録は有益だった。収録以外の「休憩時の会話」が有益だったのである。特に米海軍顧問の北村氏の米軍の実情が貴重だった。「自分で自分の国を守る意思がない同盟国」など、外国兵が血を流してまで守ろうとは思うまい。日本でもいたずらに反米感情を煽る保守派物書きが目立つこのごろだが、この国の安全が危険になっても、彼らに打つ手なんぞありはしないのだ。勿論左翼同様責任は取らないだろう。国民は自らの手で「活路」を開く以外にない。
 
 私事ながら、ここに寄せられるコメントを読んでいても深く考えさせられる。ペスミスティックになるな!と激励して下さった方がいたが、私も“一応”あまり感傷的におなりになるな、と申し上げておきたい・・・といいつつ今日も苦情を書かねばならないことが残念である。コメントにもあったが、沖縄の集団自決に関する教科書書き換え「反対運動」である。

 21日夕方のNHK「クローズアップ現代」で取り上げた「沖縄戦“集団自決”の真実は」は、題名とは程遠い偏った一方的な報道内容で、友人の一人がこの会社を、N・・・なんとも、H・・・へんてこな、K・・・会社、と表現していたのが良く分かった。「何と、Hな会社か」と言った者もいたが、実に判断基準が狂っている。
 集団自決については「軍の強制があった」とは確認されていないわけで、その事実は「遺族年金支給問題」と絡んで、現地でも長い間タブーとされてきたものである。それが最近多くの方々の取材などで表面化したのであり、曾野綾子氏の著書もその引き金になった。自決命令を出したとされる守備隊の指揮官遺族も、勿論当事者も、あまりの左翼勢力の強引さに、ついに口を開いて「事実ではないと抗議」した。そして多くの国民は、やはりそうだったのか、と納得するに至ったのであった。
 しかし、沖縄戦の悲惨さと、沖縄県民の多くが本土防衛の“犠牲”となったという認識から、感謝の気持ちをこめてこれには控えめに対処してきたのだ、と私は思っている。それがどうだ。今回の「反対グループ」の多くは、本土からの支援勢力にうまく乗せられて、教科書改訂反対運動をアピールした。聞くところによると、その「真相」を正直に語ったT氏などは、連日電話などで嫌がらせを受けていて、完全な村八分状態だという。人権を強調する政党やマスコミは彼に対する“仲間”の陰湿な嫌がらせ行為を黙認しているのではないか?彼の勇気ある証言を取り上げた関係者は、一丸となって彼を援護すべきである。戦いは始まっているのである!
 勿論、沖縄の人々の幼少時代に体験した深い傷が我々の想像を絶することは十分に理解できるが、だからといって「すべてが軍の責任だ」と責任を一方的に「憎まれ者?」の軍に押し付ける行動は、いかがなものだろうか?
 私も沖縄勤務時代から、その事実関係をよく知らされていた。例えば、平成7年12月に、終戦50周年を記念して沖縄県遺族連合会が編纂した、620ページを超える立派な「いそとせ」という記録集があるが、その中の第5章に70名の方々による「遺族の戦争体験」が集約されている。

 沖縄在任中、私はこれを精読したのだが、読むたびに涙が溢れて仕事にならなかった。幕僚達が決済文書を持って入ってきても、こっそり出て行くのだが、それは「司令官が泣いている!」から戸惑ったのであった。
 この中にも「自殺」や「自死」はあっても、「軍命令による集団自決」はない。勿論、「死なば諸共だ」と決心した祖父母に従って、父が所属する軍を追いかけて首里に行ったが、潜んでいた壕を「軍が使用する」と追い出された、というもの。壕に敗残兵らしい7、8名が入り込んできて「お前達はここを出て行け、自分達は最後まで戦わねばいけない」と追い出そうとしたが、武器を持っていない。そこで「ここは私達の壕です。出て行くのはいやです」というと、長い日本刀を振り上げて「行かないと殺すぞ」というので、非常用の食料を持って家族が出て行こうとすると「お前達がこんなもの食べてはいけない。これは兵隊が食べるものだ。お前達は早く出て行って艦砲に当たれ」というのです。私は兵隊の顔が鬼になって見えました、と当時母親だった山城ヨシさんは書いている。
 詳細は省くが、当時の沖縄県民は、大田中将や牛島大将が賞賛したように、日本国民として犠牲をいとわず戦ったのである。それが戦後、特に日本本土に復帰して以降、左翼活動に巻き込まれて、事実を捻じ曲げる報道が横溢する事態になった。それに輪をかけたのが日本政府の「事なかれ主義」で、アメをしゃぶらせる以外、全うな施策を講じなかったことが拍車をかけた、と私は見ている。つまり、人情豊かで穏健な沖縄県民を「反戦の鬼?」のような存在に仕立て上げたのは、ほかならぬ“本土”のイデオロギストたちであった。それがどれほど沖縄戦で散華した沖縄県民の名を逆に汚しているか、反対活動中の当人達は理解できないことであろう。先祖の顔に泥を塗っているのは、ほかならぬ彼らなのである。「よく戦いたる沖縄県民」の中の一部の末裔に対して「甘えるな!」との非難が飛ばないことを願っているが・・・。
 今回、NHKは、この問題の真相を追究しているグループは、まるで茶化した程度の紹介に済ませ、一方的に「反対派」住民の意見を強調する番組に仕立て上げた。これは公平であるべき放送法の精神を甚だしく逸脱しているのではないか?司会した女性アナウンサーは一体自分を「正義の女神」とでも思っているのだろうか? 犠牲者として登場した人物は、NHKに利用されているだけなのに・・・
 この番組は不公平であり、一方的な宣伝のやり方は“南京大虐殺”を取り上げる国の、宣伝活動方式に瓜二つである。NHKにもかの国の「毒」が廻っていることが証明された番組であった。今後は「日本」放送協会ならぬ「中国」放送協会に改め、視聴料は中国人民に請求すべきである!
 それにも増して情けないのは文科省の対応である。22日の産経新聞(30面)に「集団自決強制に修正意見」をつけた「検定職員」が「更迭」されたと出ている。興味があるのは「文科省では通常の人事異動としているが、沖縄県を中心とした抗議行動などに配慮したとの見方が広がっている」という締めくくり部分である。
 その昔、JAL123便墜落事故で、自衛隊に“いわれ無き非難を浴びせたマスコミ”を切り捨てた私も、一時的に「ヒーロー?」になったが、やがて陰湿なA紙の反撃にあい、本丸が陥落して「更迭」された体験を持つ。このとき転勤一週間前に「それとなく動き」を知らされたものの、転出(月曜日)の前の週の金曜日に突如転勤“内示”が示された。広報室長の転出に当たっては、防衛庁記者クラブと共に「お別れ会」が開かれるのが恒例だが、全くそれが出来ずに「夜逃げ」同然だったから、記者の中から「例の問題で更迭か?」という“抗議”が出たとき、役所は「通常の転勤です」と答えたのである。金曜日の午前中に「内示」、午後は幕僚長の記者会見で多忙を極め、会見終了後、勝手に転勤挨拶したが、なんとも虚しい限りであった。しかも翌土曜日は指定休で休み、明けた月曜日に申告して三沢に出発するドタバタ「転勤」が、「通常の人事異動」だと“平気で”いうのである。こんな体験を持つ私は、この文科省職員も同じ「犠牲者」でトカゲの尻尾なのだ、と思って同情を禁じえない。
 こんな、外圧に弱い勇気も意気地もない官庁が「子供達」の将来を左右する役所であるということが大問題であろう。勿論ここにも既に「工作の毒」が回っているからだ、というのが正しい見方なのだろうが・・・
 こう見てくると我が国には果たして「健全な役所」が残っているのだろうか?と悲しくなる。そんな、本来ならば最高指揮官を支えねばならない立場にある幕僚機構からも「平然と」抵抗される中で「孤軍奮闘」している安倍首相が“いじらしく?”思えてくる今日この頃である・・・