軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

若い世代に期待したい!

 25日は郷友連盟主催の第73回安全保障フォーラムに出席して、皆本義博氏の話を聞いた。皆本氏は大正11年生まれの陸士57期生、陸軍海上挺身隊中隊長として沖縄の慶良間列島で戦った方である。第一部では沖縄戦の概要を述べ、特に統率について私見を交えて貴重な話をされた。第二部は戦場における住民の保護、いわゆる「集団自決の有無」について、当時の状況を体験者ならではの語り口で話された。全く現地調査もせず、風聞?だけで書いた大江健三郎ノーベル賞作家の「沖縄ノート」を始め、家永三郎中野好夫など世論を誤った方向に向けた「輩」に対する当事者の憤りを共有したが、これに関する「沖縄集団自決訴訟」問題は、明日28日に判決が下される。
 この問題の発端は、昭和25年に沖縄タイムズ社が発行した「沖縄戦記・鉄の暴風」が下敷きになっているのだが、大江健三郎は45年に出した「沖縄ノート」の中で、赤松大尉を「集団自決を強制したと記憶される男」だとか「戦争犯罪者」などと決め付けている。
「諸君」4月号はこの問題についてジャーナリスト・鴨野守氏と、1954年生まれの山室建徳・帝京大学理工学部講師の論文を掲載しているが、双方共に読み応えがある。
 鴨野氏は、沖縄タイムスの常務だった豊平良顕氏が、豊平氏の同級生であった中松氏に「沖縄タイムスは、米軍から新聞発行のための配給を受けている。それで米軍から、『こういう記事を書け』という指示が来る。そうしないと紙の配給がストップし、新聞が出せなくなる。その米軍の指示通りに書いたのが『鉄の暴風』だ」と、戦後期における米軍とのやり取りの裏話を語ったことを書いているが、「昭和24年11月に脱稿、それを全文英訳して、軍政府に提出し、出版の許可が出るのは翌年6月15日。だが、本を監修した豊平氏は『月刊タイムス』25年1月号に、早くも『“鉄の暴風”と記録文学 沖縄戦記脱稿記』という一文を寄せている。・・・その脱稿記の終わりに気になる記述がある『沖縄戦記の刊行をタイムス社が承ったことは、あるいは、最適任者を得たものではあるまいかと思う』。豊平氏が『承る』と言う丁寧な言葉を使う相手が、沖縄タイムス生殺与奪の権限を持つ米軍と読めば、この手記の掲載も納得がいくのである。日本本土と沖縄を離間させ、沖縄住民が日本軍国主義の犠牲者であるという『虚構の対決の構図』を作り上げるため、執筆を指示した『鉄の暴風』に、“毒”として盛り込まれたのが、『軍の自決命令』ではないだろうか」と書いているが、私も全く同感である。
 これと同じようなものが『南京大虐殺』の虚構で、これは朝日新聞本多勝一記者が中国のお先棒を担いだのである。
 他方山室氏は、大田海軍少将が発した「沖縄県民斯く戦かえリ・・・」と云う電文の真意は、「日本本土から見て、サイパンと沖縄では戦闘終結の様相が異なっていた。それは住民のあり方の違いによるところが大きいと思われる。サイパンの日本人は島に定住してから30年を超えることのない新参の入植者だったが、沖縄県民にとって今いる場所は先祖伝来の地である。異国の軍隊に占領されようとも、そこが自分達を育んだ郷土であることは揺るがなかった・・・そのことも一因となって『集団自決』が起きたサイパン満州とは異なる場所だったのである」とし、ゆえに大田少将の電文の真意は、「地上戦が行われたのが沖縄だけだったことと結び付けて、本土とは異なる特別の配慮を与えて欲しいという意味に解釈されることが多い」が、「自分達軍人は死んでいくが、沖縄県民は米軍が支配する地で生き残ることになるだろう、だが、彼らはよく戦ったのだから、決して裏切り者扱いしないで欲しいと願ったと解釈したほうがいいように思う。どう解釈するにせよ、沖縄戦を戦った軍の指導部は目の前にいる住民を道連れにして、死んでゆこうとは考えていなかった。サイパン玉砕報道で示されたような規範が、沖縄戦では実行できないことに気がついていた」と書いたが、大いに考えられる説である。多くの英霊や戦禍に倒れた多くの方々も明日の判決を見守っていることだろう。

 昨夜は中西輝政京都大学教授が会長を務める(NPOまほろば教育事業団主催の「第1回高校生リーダー研修会」に呼ばれたので、新木場にあるBUMB東京スポーツ文化館に出向いて高校生達に話をしてきた。
 参加者は、千葉、神奈川、大阪、兵庫、島根、香川、熊本、愛媛、東京から参加した15名で、女子中学生が2名、大学生が4名加わっていたが、驚いたことに3分の2を占める10名が女子学生であった。与えられた演題は「日本の独立と自衛隊の誇り高き任務」という難しいものだったから、勝手に「国際情勢に疎い日本人」として国際情勢を地図からどう読み取るかを主題にし、現役時代に私が部下に与えた「君は国のために死ねるか」という課題作業に対する、当時の部下達の真摯な回答から愛国心について話をした。
 相手はフレッシュな高校生、しかも私が最も苦手?とする女子学生だったから、表現に気を使って聊か疲れたが、きらきら輝いている目を見て嬉しくなった。
 いつも見ている電車内の風景や、竹下通りの若者達とは全く違った雰囲気で、将来に希望が持てた。中に熊本から参加した女子高校生は、海上自衛隊に合格したそうで、今日(27日)が入隊式だという。その彼女から「あるジャーナリストが自衛隊の教育システムに問題があると発言していましたが、先生はどう思われますか?」と質問されて困った。
「教育システム」が何を意味するのか分からないが、4年余にわたる操縦教育の体験例を挙げて、ハード面の環境がどんなに整備され近代化されても、つまるところ教育の原点は「教える側と教えられる側」のソフトの問題だから、教師の質に行き着く。教育者の責任はそれほど重いことを自覚した教師(教官)に当たるか当たらないかで、教えられる側である子供達の人生が大きく左右される。入隊後は教官、上司に、遠慮なく積極的に質問して教えを請うことだろう、などと答えたのだが答えになったろうか? こんな若者塾がどんどん広がることを期待したいと思う。
 深夜帰宅になったが、心地良い疲労感で充実した半日だった。

 ところで私も参画している史料調査会の四月定例会は、4月17日(木)に久々に重村智計早稲田大学教授が登場、「韓国新政権と今後の日韓関係」と題して話をされる。好評な田尻会長による「世界軍事情勢ブリーフィング」を入れて1330〜1600まで、場所は水交会である。お申し込みは03-3441-5330。ご紹介まで

敵国日本―太平洋戦争時、アメリカは日本をどう見たか? (刀水歴史全書)

敵国日本―太平洋戦争時、アメリカは日本をどう見たか? (刀水歴史全書)

2008年の国難―日本の敵は!?味方は!?

2008年の国難―日本の敵は!?味方は!?

台湾建国―台湾人と共に歩いた四十七年

台湾建国―台湾人と共に歩いた四十七年