軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

御巣鷹山事故から31年…

今日は31年前に御巣鷹山にJAL123便が墜落して520名が犠牲になった日である。
早いもので、あれから31年たったが、今年もまたご遺族たちの慰霊登山が続いている。
ご高齢なご遺族にとっては大変なご苦労だろうと同情する。

ご遺族の一人が「事件を風化させないために」と語っていたが、日航の社長も慰霊登山していて「誓いを新たにした」と言っていた。
その通り!、今日は犠牲者を出した張本人である会社が、二度と事故を起こさないために「記憶を風化させてはならない」日なのだ。


あの事故は、事故調査で判明したように、伊丹空港での尻もち事故の修理が不十分だったためにおきたものであり、問題はその後7年間も乗客を運送していたが気が付かなかった…という会社側のミスにある。


乗員の中には、トイレのドアが上空では開閉できないなどという機体に生じる不具合事項を感じていた者もいたのだが、正規に処置されることはなかった。
申し送り事項不徹底という社内体制の不備と、そんな“噂”でも取り上げようとしなかった会社側の安全管理上の意識欠落責任である。

昭和46年7月に起きた「雫石事故」も利益第一主義で運航計画の無理を承知で飛ばせていた会社の責任であった。乗員には、十分な昼食時間も与えられていなかったから労働組合が問題視して「せめて昼食は操縦席で摂らないで済むように」と会社側に要求していたのである。
その無理がたたって、事故が発生したのだが、監督官庁も会社も、その後こっそりと時刻表などを修正して事を済ませたのだが、許せないのは“追突された自衛隊側”にその責任を押し付けたことであった。


たまたま今日、手荷物処理用のタグが読み取れない事態が起きたので、出発が遅れた会社があったが、その後、「全日空、乗客の荷物搭載せず離陸、羽田のコンベヤー不具合で」という内容の記事が出た。


「12日午前6時50分ごろ、羽田空港で、全日空の乗客から預かった荷物を運ぶベルトコンベヤーに不具合が発生し、動かなくなった。約40分後に復旧したが、一部の便で30分以上遅延が発生し、約20便が乗客の荷物を搭載せずに離陸した」というトラブルが報じられた。
全日空によると、空港に2台あるコンベヤーのうち1台で、荷物が正常に流れているかをチェックするセンサーの一部に不具合が発生、コンベヤーが停止した」のが原因だったそうだが、「乗客の手荷物を搭載しないまま出発」、「同社は後続便などで搭載できなかった荷物を空輸する」としており、
≪「お客さまにご迷惑をかけて申し訳ない。12日中にはすべての荷物を空港に届けたい」としている≫という。
しかし、そのニュースの中で、会社側は「機体のやりくりが出来なくなるので搭載しないまま運航させた」と発言したという。

この認識は非常に問題である。お盆帰省などで、より時間短縮のために高い運賃を払って乗った乗客は「目的地に着いたものの自分の手荷物が届いていない」のだから、荷物が次の便で届くまで、無駄な時間を費やさせられたのであり計画はすべて狂ったことであろう。

一時「お客様は神様です」という言葉がはやったことがあったが、この会社には通用しないだけではなく、乗客の都合よりも自社の「運行時間確保」が最優先だとは驚いた。会社の利益体質が伺える事故だが、これでは「雫石事故」や、「御巣鷹山事故」の反省が少しも生かされていないからだ。

関連会社幹部らには、“猛暑”ならぬ、「猛省」を促したい。


大体、事故に遭った乗客らが「記憶を風化させないため」慰霊を続けることは個人の供養として大切なことだが、当事者が重大な事故を記憶にとどめるという点では、理にかなっていないと思う。

とにかく、会社幹部らには、事故の責任を回避する傾向がいまだに強く感じられて不愉快になった。


御巣鷹山事故の時も「自衛隊の救難が遅い!」と、一部メディアが的はずれのキャンペーンをしたため、事故の本質が見失われる危険を感じた私は、隊員にかかる火の粉を払うとともに、事故の本質を見失わないようにと「月曜評論」で「いわれなき批判に反論」したがその文の結びに私はこう書いている。

≪ためにする自衛隊批判よりも、むしろ大量空中輸送時代における飛行安全の確保と、航空救難体制の遅れの方を真剣に考えその対策を練るべきではなかろうか≫

ご遺族には気の毒だが、飛行安全確保という点においてはまだまだ道遠しと言わねばならないというべきであろう。


御巣鷹山事故については、産経新聞の次のコラムを紹介しておこう。

≪【山本優美子のなでしこアクション(4)】日航機墜落事故から31年 「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たち≫
筆者・山本女史の父上は、元航空自衛官で、当時の中警団副司令(1佐)であり、空自の現場指揮官であった。ご一読いただきたい。


次に終戦特集についてご連絡したい。
「平和の密使、不時着す」と題して、ミドリ十字機の遭難のことを部内誌に書いたのは、20年以上も昔である。
これが契機となって、不時着した地元浜松市内の歴史研究家らが検証して現地住民の証言を集めて今回一冊にまとまったのだが、そのエピソードをテレビ朝日が14日午後に放映するという。
現地取材で私の名前が出たようで、自宅までわざわざ取材に来られたので、昔語り的に取材に応じた。

これについては「航空ファン」誌のブログに紹介されたから次をご覧いただきたい。
靖国会館での兵法研究会で私は、はるか以前に詳しく画像と史料入りで公表してあるからご記憶の方もいることだろう。
当時の日本国民(特に軍民間)の真剣な連携ぶりと、終戦後にもかかわらず愛国精神を見る思いがするだろう。

http://blog.goo.ne.jp/koku-fan/e/df0fa998b15a6afdbbc94c06074a6883

米軍機に先導されて伊江島に向かうミドリ十字

着陸後のミドリ十字機に群がる米将兵たち

伊江島につき、マニラまでの米輸送機を待つ使節

≪徹夜で交渉する終戦交渉使節団:使節団はマニラのマッカーサー司令部で徹夜で交渉にあたったが、ミドリ十字機(2機)の乗員は、伊江島で待機した。
その後マニラから戻った使節団を載せて帰国の途中、肝心の1番機が“燃料不足”で磐田市の鮫島海岸に深夜不時着した。しかし、付近の住民の活躍で、翌日無事帰京し、河辺全権は閣議で報告、宮中に参上して報告し、無事任務を終えたが、国民のほとんどはその事実を知らなかった。
1番機の燃料が不足して不時着したことは、永遠の謎になるだろう…・≫


自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

ある駐米海軍武官の回想

ある駐米海軍武官の回想

安保法制と自衛隊

安保法制と自衛隊

ジャパニズム 32 (青林堂ビジュアル)

ジャパニズム 32 (青林堂ビジュアル)