軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

法の信頼を回復せよ

28日の産経【主張】は「袴田事件再審 捜査「徹底検証」の勇気を」と題してこう書いた。
静岡県で昭和41年、一家4人を殺害したなどとして強盗殺人罪などに問われ、死刑が確定した袴田巌元被告の第2次再審請求審で、静岡地裁が再審開始を決定した。
 静岡地裁は犯行着衣とされた5点の衣類について、DNA型鑑定結果に基づき、「捏造(ねつぞう)されたものであるとの疑問は払拭されない」と言及した。
 捏造を疑われているのは捜査機関である。
 静岡県警、静岡地検は、何十年前の事件であっても、この厳しく重い指摘について徹底的に検証しなければならない。

 過去の事件捜査の洗い出しには多くの困難が伴うだろう。だが捜査機関が信頼を失ったままでは、社会の治安は維持できない。
 過去に不正義があったなら、自ら明らかにする姿勢をみせることしか、信頼回復の道はない。
 大阪地検特捜部による郵便不正事件と押収資料改竄・犯人隠避事件を検証した最高検は「検察再生」のキーワードに「引き返す勇気」を挙げた。勇気をもって徹底検証に臨むことが求められる。

 平成24年に再審無罪が確定した東京電力女性社員殺害事件では、検察側が誤りを認め、東京高検が再審公判で無罪を求める意見を述べた。冤罪が許されるはずもなく、決して褒められるものではないが、勇気ある撤退とは評してもよかったのではないか。

 袴田事件も東電女性社員殺害事件も、裁判所の判断を覆したのは、DNA型判定の精度を上げた科学の進歩が突きつけた新証拠の存在だった。逆にいえば、科学の進歩がなければ真相は闇に葬られていた、ともいえるのだ。

 社会の安全と秩序を守る捜査機関は、絶大な力を持つ。だからこそ権力の行使については公正で公明であることが求められる。

 袴田さんは48年前に逮捕され、初公判から無罪を主張し、死刑確定から33年、再審を求めてきた。あまりに長い。

 静岡地裁は「捏造された疑いがある証拠で有罪とされた。拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」として袴田さんの釈放を認めた。この決定に対する検察の申し立ては退けられた。

 心神耗弱の状態にある袴田さんの釈放は当然だろう。検察側は再審開始決定に即時抗告を申し立てる方向という。捜査検証を後回しにしてはいけない≫


 私は、昭和46年7月に岩手県雫石上空で航空自衛隊のF86F戦闘機がB727機に追突されて墜落し、自衛隊の訓練生は助かったものの、民間機の乗員乗客162名が死亡した事故も“冤罪だった”とする「自衛隊の“犯罪”ーー雫石事件の真相(青林堂)」を平成24年7月に上梓したが、書き出しに「冤罪は何故おきた? ・・・ 足利事件などの教訓」として頻発する“冤罪事件”に警鐘を鳴らした。


そこには「平成二年五月、栃木県足利市のパチンコ店駐車場で当時四歳の女児が行方不明になり、近くの河川敷で、遺体で発見された『足利事件』」の犯人とされ逮捕された当時の幼稚園送迎バス運転手・菅家利和さんが一転無罪釈放された件」を挙げ、平成21年9月6日の産経新聞・井口文彦記者による『誤った科学鑑定で突然嫌疑をかけられるという怖さ。そして、元受刑者が無実なら、ほかに真犯人がこの社会に存在するという怖さ』を引用した。
また、秋田県藤里町で起きた連続児童殺人事件の被害者、米山豪憲君(当時7歳)の両親が、畠山鈴鹿被告に対して無期懲役とした仙台高裁秋田支部判決について、仙台高検が上告を断念したことに対し『息子の無念が晴れるどころか、この世の無常さに呆然としております。裁判とは誰のために行われるものでしょうか』『凶悪犯の人権を手厚く保護し、税金をつぎ込んで、社会復帰できる道を切り開いている』『仙台高検には結果はどうであれ最後まで志を貫いて欲しかった。組織的な職務放棄といわざるを得ない。怒りを通り越し正義感のなさ使命感のなさに失望すら覚えます』とまで語ったことなども挙げた。


その他、『名張毒ぶどう酒事件』でも、殺人罪などで死刑が確定した奥西勝死刑囚(八四)が無実を訴え再審を求めていた裁判の特別抗告審でも、最高裁名古屋高裁の再審開始決定を取り消した同高裁の決定を取り消し、審理を同高裁に差し戻したこと、平成14年に大阪市のマンションで母子を殺害して部屋を全焼させたとして、2審で死刑判決を受けた大阪刑務所の刑務官、森健充被告(五二)の上告審でも、最高裁は『審理を尽くしておらず、事実誤認の疑いがある』として、1審の無期懲役と2審の判決を破棄、審理を大阪地裁に差し戻したことを取り上げ、「審理をよく尽くしていない」という指摘は、裁判所を信じている一般人には理解できないと書いた。
そして、時間的余裕と裁判費用があれば、被告は最高裁まで戦い抜くことができだろうが、一般的にはそうはいかないのが現実だから、雫石事件で有罪になった隈教官のように、これまでにかなり冤罪で服役したか死刑になった方もいるのではないか?と指摘した。


その他、昭和二八年に埼玉県狭山市で女子高生が殺された『狭山事件』で、強盗殺人などの罪で無期懲役が確定した石川一雄さん(七一)の第三次再審請求の三者協議では、逮捕当時の取り調べの一部を録音したテープなど三十六点の新たな証拠が検察側から開示されたが、「更に新証拠でも出ようものなら、検察の権威は地に落ちることでしょう。その間に石川さんが亡くなっていたとしたら・・・」とずさんな取り調べを危惧した。
そして最後に今回再審が決定された「袴田事件」を取り上げ、
≪こうして「新証拠」に基づく再審開始が相次いでいることは、検察の証拠調べと裁判のあり方が大きく揺らいでいることを示しており、このような事例が頻発すると、一般国民としては何となく検察と裁判不信に陥ります。
私は『雫石事件裁判』も、これらの事件と同じ「冤罪」のひとつだと思っています≫として、この事件の調査、裁判などの具体的な状況について、各種資料を順に解説し、この事件のドロドロした背景に迫ってみたつもりである。
ご一読いただければ、如何に当時の関係者らが「航空」という3次元の世界や「軍事」に無知だったとはいえ、審理その物もずさん極まりない“素人論議”に時間を喰い、最後は、「なだしお事件」などにも共通するメディアの自衛隊悪玉論に影響され、最高裁までもが「結論ありき」でつじつま合わせに終始していたかがわかるはずである。

「法の番人の世界」がこの程度?のものであれば、今回の「袴田事件」の様な結末が頻発するのもやむを得ないが、それでは長年収監されて人生を棒に振った容疑者はもとより、被害者とその親族にとってはたまったものじゃあるまい。
“冤罪”だとなれば産経が書いたように、どこかに“真犯人”がいることになり、莫大な国費を使った法の番人による「正義の追求」は看板倒れだったということになる。
それより恐ろしいことは、如何に仕事で判断ミスをしただけとはいえ、無実の人間の人生を狂わせた【罪】は取り返しがつかないほど大きい。この責任は誰が負うのか?

検察官や裁判官も“人間”であるから確率的にミスは避けられない以上、「ある程度の失敗」はやむを得ないとでもいうのであろうか?
「証拠不十分でした」「判断を誤りました」と言って、釈放された元容疑者に≪国家賠償金≫を支払えば済むというのであれば、どこに法の番人としての責務と正義が存在するというのか!


河野や村山という「政治屋」共がついたウソも、明らかな間違いだと分かっても「訂正しない」という“政治的”理不尽さがまかり通るようであれば、この世には結局“プーチン方式”しか残されていないということになりはしないか?

どうも近代化が進みすぎた結果、人間の知恵が相対的に大きく後退しているとしか思えない。
あまりにも理不尽なことが多すぎる。真面目に生きている国民の「声なき声」を敏感に感じとれる法の番人の育成を望みたい。

マァ、私は、この世で決着が付かなかったことは、三途の川の向こうで決着できると思っているから、今のところ心安らかではあるが、逮捕以降拘置所で過ごした袴田さん本人と、弟さんの救出に人生をささげたお姉さんにとっては耐え難い44年間であったことだろう。


航空事故調査は「事故の再発防止」が最大の目的であり、検察、裁判官の役目は「正義の執行」だろう。
一日も早く、法の信頼を回復してほしいものだ。

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