軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

軍事を軽視した“ツケ”

まず冒頭で「糸魚川大規模火災」で被災された皆さんに、心から同情申し上げる。
今朝の産経は「大火から約2日ぶりに被災地に入った住民らは24日、自宅や店舗の状況を確認した。『心が崩れそうだ』。悲痛な声が漏れる一方で『復興させたい』と前を向く姿もあった」と現地のその後を報じた。
たった一人の不注意で、22日午前10時20分ごろ発生した火災は、強風にあおられて計144棟に延焼し、うち120棟が全焼、被災者は約200人に上ると見られている。
年の瀬の一番多忙で活気ある時期、すべてを失った方々にかける言葉もない。


天変地異も事故も想定外に起きるが、「戦争」はある程度事前に予測できる。
今年の1月に私は「世界の警察官を放り出したオバマ大統領は、国内の銃規制問題を“泣いて訴える”有様で、米国大統領は『世界のリーダー』であったという誇りを捨てたようだ。

強大な軍事力の利用法を知らないばかりに、世界を不安定な状態にして憚らない、いかにも米国の「リベラル政治家」がもたらす弊害が噴出している。

これがノーベル平和賞受賞者の実態なのだから、アメリカ人の多くも不平不満タラタラだろう。そして次期大統領選に突入する…」と書き、トランプ大統領出現を予想したが、予想通り、米国民が不満を抱いていたことが証明された。


更に「わが国だけは穏やかに松の内を過ごせたが、“一国平和主義”を貫けない情勢が日に日に近づいていることがやがて身に染みてくることだろう。わが政府よ、危機に対する備えは十分か?」と警告したが、我が国の場合は、アメリカよりもさらに程度が低い状況下にあるといわざるを得ない。


隣国のシナは、ついに「核心的利益保護」と称して、流れ込んだ“あぶく銭”で建造を急いだ軍事力を、我が国周辺に進出させ始めた。

不思議なのは「紙幣」を大量に印刷しただけで、現実に軍艦などが生産できるというカラクリだろう。これからは、シナはドンなに経済的に沈下しようとも、現実に獲得した兵器類がある以上、恐れるものは一切ない筈だ。金がなくなれば、周辺諸国から力で奪い取れるからだ。北朝鮮と同様に…

そんなシナを生み出すのに協力したのが、資本主義という儲け主義に汚染された政治家と商売人たちであり、次期米国大統領も商売人出だから「損得勘定」を基に外交交渉をされないとも限らない。いずれにせよこの世は『損得勘定』で動いているから、彼がいい意味でそれを使えばよいが、まだまだ未知数である処が気がかりである。


つまり、こんな不安定な国際情勢を生み出したのは、弱腰と呼ばれるに至った大統領ら、政治家と商売人だ!という事になり、来年からは彼らを排斥する運動が起こらないとも限らない。

現に世界中で起きている政治情勢の変化は、“既成の政治家”らを求めてはいない事がはっきりしている。

例に挙げて気の毒だが、弾劾された隣国の大統領は「側近が朴大統領を怖がって」いて、正確な情報が伝わっていないうえ、「大統領のお父様、朴正煕元大統領は尊敬の念とともに、怖ろしいイメージを持たれています。そのお嬢様、朴大統領は「姫」と呼ばれています。姫からご下問されることもない、コミュニケーションもない。姫がどんなことを考えておられるか、こんなことを言っては怒られるんじゃないかと忖度し、遠慮がちな政権運営がなされています」と加藤前ソウル支局長は語っている。

更に今朝の産経には「韓国では独り飯のことを「独り(ホンジャ)ご飯(パップ)」で「ホンパップ」といい、今や流行語になりつつある」が、「独り身の彼女の大統領官邸でのホンパップが『独り飯大統領の悲劇』などと問題になっている。
 彼女は公式行事以外ではホンパップが多いため「国民との意思疎通を欠くものでケシカラン、職務放棄だ」というのだ。しかし大統領と食事を共にすると「大統領と親しい」といってすぐ外で利権を求めようとする社会だから、大統領もつらい」と黒田記者が揶揄しているが、これでは一国の指導者の資格はないといえる。

尤も、世界のリーダークラスになれば、食事ほど身を脅かす“危険なもの”はないから、簡単に会食など出来るはずはない。
日本だけが賓客に「“猛毒の”フグの刺身」を提供できる稀有な国なのだ。尤も事前に厳重な「毒味」が行われたに違いないが…。


平成4年に発刊された「現代史を支配する病人たち:P・アコス、P・レンシュニック。須賀葉子訳。ちくま文庫」には、「アメリカ国民は大統領の病理学をすっかり忘れてしまっていたのだ。アメリカ大統領の影響力は世界的で、最終的には全民主政体の運命に関わってくるというのに」と慨嘆したうえで、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の例を上げている。


≪一九四四年のルーズヴェルトは、自分の健康状態について有権者を欺いていた。あるいは、彼自身が主治医に欺かれていた。
ケネディは大統領に当選した時、外見のようなヴァイタリティーにあふれた頑丈な青年では全くなかった。有権者たちは、これらのことに無頓着とみえる。
アイゼンハワーは心臓病や腸障害を起こした後も再選されたし、ジョンソンも心筋梗塞なのに選出されているのだから。ジェイムス・レストンは、さらに次のように自分の立場をはっきりさせている。
「けれども、私たちは大統領候補の財政状態を知るべきだと強調する一方で、その心身状態については、彼や彼の医者を信じ切ってしまっている。彼の財政状態よりも心身状態の方が、国政の指揮のためにはずっと重大なのである。党大会が候補者を公式に指名する前に、候補者に対して医学専門家の客観的検査がなされるべきだと私は思う。
プライバシーの侵害だと言って、私に反対する向きもあろう。だが、アメリカの軍隊に入る人はみんな厳しい医事検診を受けねばならないのであれば、その責任たるや遥かに大きく、その心身状態が共同体の利害に密接に関わっている将来の総司令官たる大統領候補が、同程度の検診すらも受けないというのは、うなずけないだろう」。
次にレストンは、ウォーレス候補とハンフリー候補の健康状態について論じ、各人の病気を列挙してから、私たちの主張の裏づけとなる次の事実を記している。
「事のついでに、私はウォーレスに、党公認の候補になったら検診を受ける気があるかとたずねた。他の候補者たちもそうするなら自分もきっとそうする、だが、そんな質問を候補者たちがされることはないのだ、と彼は答えた」
レストンは大統領候補の挿話に触れながら、副大統領候補もこの同じ検診を受けるべきであり、六十歳以上の人なら、なおさらだと強調している≫
そして、≪一九七六年に建国二百年を祝った強大な民主主義国家においてさえ、肉体的病人(そしてたぶん精神的病人)が最高権力を握るのを予防するという点では、民主的諸制度も不十分だということが、改めて認識される≫と批判し、そして次の結論に達したとする。


≪以上のような考察の結果、私たちは権力志向の起原について、ある考えを持つに至った。……権力の把握というのは、幼児期に感じた強い欲求不満(中でも特に、孤児、私生児、捨て児など、見捨てられた子供の欲求不満)の補償であるように思われる。
したがって権力とは、欲求不満によく効く治療法の一つ、麻薬や万能薬のようなものなのである。人間たちを征服し、支配し、彼らを復讐の掟に従わせたいと思う気持もよくわかる
このような人々は、身体が悪いと診断されたからと言って、権力を放棄するものではない。彼らにとって権力とは、神聖にして侵すべからざるものであり、世人も大体、何人かの元首については、このカリスマの力を認めている。
民主政体においては、マスメディアが大きな自主性を持っているので、公衆のある部分は、そんな考え方から解放されている。立法、司法、行政、および軍隊のヒエラルキーの中で、文武の権力を握る者に向けられる伝統的な態度は、二つあって、現在はその両極の間を揺れ動いている。一つは、権力者を讃美し、崇拝し、偶像視さえする態度だ。この例は、独裁政体でも民主政体でも数多く見られる。これに対するもう一つの態度は、すべて権力者礼讃(たとえ部分的でも)というものに、皮肉っぽく、嫌味たっぷりに、辛辣な抵抗を加えるもので、無政府的呪誼にまで行きつくこともある。この態度が一般化したのは、階級制度の神聖な性格が完全にその両義性を露わにしたフランス革命以後のことである≫


この説に従って現代国際政治の場を眺めると、まさに世界を指導しているのは“病人だらけ”だといい得るだろう。
しかし、選出してしまった以上、国民に変更する手立ては残されていない。ヒトラーもそうであった…。ましてや社会主義国に至っては完全に望みはない。


そこで起きるのが政府転覆計画、つまりクーデターである。来年はテロと政府転覆事象が多発するのではないか?

しかし著者は「結論」の項で言う。
≪政権を行使している限りは、必ず医学的なコントロールが行われるべきなのだ。これは民主政体の運営における障害を除去し、多少なりとも独裁形態に逸脱してしまうのを出来る限り避けようとして、議会が行うコントロールを正常に敷衍しただげのものなのだから。
政治的な情報では足りない部分を、医学的な情報で補わなげればならない
政治情報が市民にとっては不十分な場合がよくある。それというのも、問題がますます複雑化して、市民がそれを評価したり判断したりすることが技術的にも実際的にもできにくくなっているからである。このようなわけだからこそ、われわれ民主政体においてさえ、確立してしまった権力は濫用されがちで、専制的なものになっているのだ。
したがって、元首の心身状態の調査は、好奇心や一般的哲学的関心の発露ではなくて、全市民の正当防衛の問題となっている
この意味でこそ、本書にこめられたメッセージが読者に理解されたいと望むものである。
本書の目的は、元首たちの隠れた面をあばくことではない。いくつかの国では、権力を行使することが麻薬のような作用をし、それなしではいられなくなっていることを理解させる目的でこの本は書かれた。諸制度が本当に民主化すれば、再びシンシナトゥスのような例もあらわれるかもしれない≫


世界の政治を指導するトップらの健康問題に関しては、著者が言うように口に出して危険性を唱える者はいないようだが、これは現代政治の“盲点”であろう。

国際情勢は、軍事力の多寡で動いていることは承知の事実である。となると病人は国を支配するのは“気○いに刃物”状態そのままだという事になるのではないか?


わが国民はいかにも平和主義的言動を好むが、その実「ほとんどすべてが軍事力」にかかわった問題提起に過ぎない。

日米関係はもとより、対シナとの軋轢、北朝鮮対処などなど、国内問題の“沖縄紛争”でさえ、はっきり言って軍事問題なのだ。

その軍事を埒外に置いて、平和を唱えさえすれば自動的に鉾が収まるかのような扇動をしてきた“有識者”たちの慌てブリが来年は話題になる事だろう。


紛争発生時に極力軽微な損害で済むように、一刻も早く法改正すべき立場にある政治家らは無関心だ。紛争が想定される南西方面の後輩諸君は気が気でなかろうが、今更間に合いそうになさそうだから、いいことを教えておこう。
20年前、南西方面の指揮にあたっていた私は、法の不備を補う「伝家の宝刀」を持っていたのだ!
それは、福田なにがしという元最高指揮官が示した、ダッカ事件時の≪超法規≫という概念である。我々の最高指揮官が残してくれた≪前例≫は私の宝刀だった。

だから当時の首相から「武器を使うな!」と言明?されたが、それは相手に言うべきだと信じる私は恐れなかった。

次回起きる衝突でも、政府は何ら指示も出さないだろうし責任を取るまい。せいぜい右往左往するのが関の山だ。

来年、そうなった場合が非常に気がかりだが、別の意味では「惰眠から抜け出す絶好の機会」になる事は期待できそうだ。
歴代、軍事を軽視してきたツケが、後輩たちのわずかな損害で終わることを祈りたい。


届いた本のPR。クリスマスだというのに、月刊誌は早「2月号!」
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航空情報2月号
「航空装備研究所の最新研究」は航空ファンにとっては必読だろう。それにしても航空雑誌の写真は見事なまでに美しいものが出回るようになったものだ。毎回感心する。


雑誌「丸」の2月号
表紙の「丸」の色が金色に変化すると2月号だ!と分かる仕組みが憎い。
今月号の「2017世界の外交&軍事情勢を占う」は今年の国際情勢の集大成か。
しかし、私には「南樺太熊笹峠の戦い」が興味深い。沖縄戦で隠れていた北方の悲劇がそろそろ表に出始めたようで、感無量である。
2001年と2003年の2回、私は樺太各地を見て回ったが、あれから10年余、現地はどうなっていることやら…。しかしソ連の残虐非道さだけは忘れられないれっきとした歴史上の事実であることを忘れてはならない。


「丸」の別冊付録『戦艦「三笠」と「大和」』に関わる貴重な史料集。


おなじみ「WILL」2月号
総力特集は「韓国大動乱」よくもこれほどの事例が次々に出てくるものだが、そろそろ話題にするのもやめたらどうだろう? こちらまで品性下劣な同類だとみられかねないから…。


「HANADA」2月号
こちらの総力大特集は「韓国滅亡」と「2017年日本の大問題」の2本だが、酷似した双方の保守派雑誌の執筆者も、そろそろ定着?し始めたようだ。
変な国が隣にあるので、話題には事欠かないようだが、つられて品性下劣の汚名を与えられないよう注視すべきだろう。国民はそろそろ食傷気味じゃなかろうか?