9月1日は防災の日であり、前日に震度4の“事前訓練?”があったせいか、1日の新聞は、大した記事がなかったように思う。しかし、産経新聞の読者は、愕然としたのではないか?
1面中央に、やや小ぶりだが「昭和天皇お人柄『伝えたかった』富田メモ公表夫人語る」という見出しで、愕然とすることが書かれていた。富田朝彦元宮内庁長官夫人(81)が、産経新聞の取材に「こんなに大騒ぎになるとは思わなかった。日記やメモを公表したのは、昭和天皇のお人柄を伝えたかったから」だと語っているのである。
何も、元長官の未亡人に、国の“象徴”である天皇のお人柄を「補足説明」してもらう必要はない。ご本人は、自分を一体何様だと思っているのだろう?
記事には、「妻によると、メモや日記は元長官が平成15年11月に亡くなった後、都内の自宅寝室の奥に残されていた。『読んだらとても面白く、まるで富田が生きているみたいで・・・』 元長官は生前、日記やメモの扱いについて何も言い残していなかった。だが、彼女自身は『いずれ発表できる機会があればいいと考えていた』という」とあるが、一体どういう感覚か。「読んだら面白かった」からだというが、本人存命中から、この「メモ」の信憑性について詳しく説明されていなかったようだから、彼女が勝手に「本物だ」と思い込んで公表したとしか思えない。勿論その前に「一部の歴史学者に相談」し、「第一級資料だ」とかなんとか煽てられたから公表に踏み切ったのかもしれないが、それにしても今風に言えば、いかに夫婦間とはいえこれを公開することは「プライバシーの侵害」じゃないのか?
特に、元長官は「メモなどの取り扱いについて何も言い残していなかった」と責任逃れをしていて、呆れてものも言えないが、だから「公開してもいいのか?」。
記者から「長官は公表を望んでいなかったのではないか?」と聞かれて、「喜んでないことはないと思います。一冊も本を出さなかった人ですから、一つくらいは出してもいいのかなと思います」とは、元宮内庁長官夫人という自覚のなさ、その軽率さには愕然とする。この程度の人物を身内に持った人たちが、恐れ多くも皇室を取り巻いているのかと思えば、皇太子ご夫妻の「人格否定発言」にも納得がいく。
とどのつまり、彼女は「夫の生きた証?」として「一冊ぐらいは本を出しておきたかった」という、個人的な欲望を交えた「夫婦間の愛情?」で、天皇のプライバシーも、夫のプライバシーも、全てを国民の前にさらけ出し、日経新聞というメディアを利用して、宣伝あい努めたことになる。
それにしても記事の最後の部分がどうも腑に落ちない。彼女は「こんなに大騒ぎになるとは思わなかった。メモや日記を捉えて靖国を論ずるのはやめてほしい」と語ったというのである。彼女は一体「どう論ずることをやめよ」というのか?それ以前に「自分の軽挙妄動を止めるべきではなかったか?」
靖国に関する彼女の考えは「国民一人ひとりが知識を持つべきだと思う。政治家、学者、遺族・・・。国民みんなで考え、何回も討論し、結論が出せれば」というのだが、一体どういう意味か?
産経新聞にしては珍しくこの記事には「署名」がないが、記者自身はその意味が良く理解できたからこう書いたのか?それとも何か伏線があって、それに合わせようとしたため舌足らずになったのか?
どうも彼女の背後に、一部の「歴史学者」や「出版社」や、「政治家たち」の影がちらついてならず、単に「印税目当て」だとは思われないのだが、これは私の思い過ごしだろうか?
ここで言っておきたいことは、少なくとも、国家国民の団結の象徴である「皇室」を受け持つ、宮内庁役人の人選について、政府はもっと厳重に、厳しく選別する必要があるのではないか?ということである。
国民から見えない「竹のカーテン」の向こう側に、一部メディアが入り込んで、不敬な用語を用いつつ、「開かれた皇室」を喧伝し、天皇家の情報をあることないこと、気ままに垂れ流す風潮は危険であると思っているのだが、少なくともこの現象は、日本に敵対する諸外国に利敵行為として加担するもの以外の何ものでもなかろう。
政府の真剣な対策を要望したい。