ある政党の機関誌に、三島由紀夫が昭和41年6月に著した「英霊の聲」が出ている。改めて読み返すと、50年前に彼はすさんだ日本の今日の姿を予見していたことがよくわかる。まさに天才であり、予言者だったのだ。
そう、戦後日本の政治、文化は“道徳”と言う美名のもとに繰り広げられてきた“偽善行為そのもの”だといえる。
「真実は覆い隠され、真情は病み」「なべて痴呆の笑いは浸潤し、魂は死んだ」のである。そして「ただ金よ金よと思いめぐらし、人の値打ちはカネより卑しく」落ちぶれた。
青春時代を戦闘訓練に捧げて「天翔けてきた」私も翼を折られて今では‟地を這う隠居”の身となり非力である。
命のまま、ジャングルや孤島で食料も与えられずに絶命した英霊方の嘆きが日に日に強まっているように感じる。
三島は「などてすめろぎは人間となりたまひし」と昭和天皇のお立場を理解しつつも、現人神として生を全うしてほしかった、と慨嘆したが、三島由紀夫を良く知るストークス氏も「日本民族の誇りを体現してほしかった」と考え、日本人に対して「もっと自国の歴史について誇りを持て」と説いている。
しかし、今や歴史を軽んじて恥じない”君側の奸”たちに囲まれ千代田城には暗雲が立ち込めているように思う。
政治家らは、いくら2000年余の歴史を持つ国…だと云々してみても、現実に自国民さえ保護できず、領土も侵食されようとしているのに、かっての”敵国であった米国”に保護を求める国柄になり下がったから、英霊の犠牲は無駄だった!と言わざるをえまい。
その”保護国たるアメリカ”もシナの超限戦にマンマと嵌り、追い詰められようとしているやに見える。
同盟国・アメリカと同様、我が国にも自覚ある為政者が”絶滅”したのだろうか。
これから先の世界には何が待っているのやら、達観しつつある?老兵には英霊方の不安が気がかりである。
三島由紀夫が存命だったら、どんな意見が聞けただろうか?と思う。
届いた書籍のご紹介
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「軍事研究12月号」
列国の軍事研究は着々と進行している。ところが我が国はさほど進展しない。”学術会議”の反対もさることながら、政府に”軍事的観点”が欠落していることがその最たる要素だろう。
イージスアショアの例が分析されているが、そもそも軍事は「攻撃に勝る防御はない」のが鉄則なのだ。にもかかわらず「専守防衛」とやらに縛られて、真っ当な計画が出来ないからだというべきだ。
抑止力としては「策源地攻撃」と「そのための手段」の確保が最優先する。やはり「憲法」が、足かせだということがよくわかるが、それ(憲法改正)をしないのが政治家だから、イージスアショア”事件”は今後ともなくならないだろう…