軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

コメントお礼

5月半ばに友人が立ち上げてくれたこのブログに,思いつくまま書きこんできたが,極めて真面目で熱心な『コメント』が寄せられ恐縮している.その中に「人気ブログランキングに登録せよ」というお勧めがあり,インターネットの『素人』である私は些か躊躇した.
友人に聞くと,『ランキングは励みになるが,いたずら書きも増えるので,真面目なブログ?は登録しない方が…』と言った.しかしランキングを開いてみると,我が親友の『西村氏』のブログがトップであった.そこで迷うことなく『登録』したのだが,今朝開いてみて驚いた,第7位なのである.西村氏に『肉迫中』なのである!
熱心に読んでくださっている方々が多いとなると責任も重大である.今朝でアクセスも30000件を超えた.益々責任重大であるが,ここで少し『いい訳』を書いておきたい.
実は私専用のノートパソコンは2階の書斎?にあり,インターネットにつないでいない.今書いているパソコンは別の部屋にある息子のもので,メーカーが異なる上に器材が古く文字も小さい.老眼には不向きだが,何よりもキーボードが全く違ったタイプなので打ちづらい.
そこでいい訳になるが,時々打ち間違いや誤字脱字が入っても御容赦願いたい.
私の略歴は掲載してある通りだが,現在『年金生活2年生』,肩書きはいろいろあって,殆どが『研究会所属』である.主なものが『岡崎研』『平河総研』海軍関係者で構成されている『史料調査会』『M&M戦略研究所』…などであり,一般の研究会にも積極的に顔を出している.そう言うわけで日記の『ネタ元』は公表できないが,最大の根拠は『防大4年間と航空自衛官,なかんずく戦闘機パイロットとしての体験』である.それらを元に少しでもこの国が『まとも』になるように生意気な日記を書いているのである。
人気ランキング『上場』を機会に,今後は飛行機乗り,操縦教育など,読者の皆さんが『息抜き?』出きるような話題も書いてみたいと思っている.
それとも,北は青森,南は沖縄まで勤務した中で体験した面白い出来事,例えば3人の『超能力者』の友人との出合いなども書いてみたいが,そうすると熱心な読者からは『カテゴリー』が異なるとお叱りを頂くかもしれないが.
御愛読に感謝するとともに今後とも宜しく御指導賜るようお願い申し上げる.


「TFOS」と言っても御存知無い方が多いだろうが,Total Flight Operation Systemの略で,通称「航空運航システム」研究会という。会員は、民間航空の操縦士や、自衛隊の操縦士など、航空運航関係者は勿論、医学や精神学などの専門家集団で構成され,会長は航空医学の第一人者・黒田勲博士で、私もその会員の一人である.
今日は今年度第一回目の会合が青山で行われ,『技術革新と人間の係わり合い:緊急時の人間行動』が共通テーマであった.
特別講演は『よど号ハイジャック事件』を体験した江崎氏(当時副操縦士)で、35年前の話であったが,昨日のように鮮明な内容で,やはり体験者の実話は迫力があると思った.
続いて元空自戦闘機パイロットの服部氏が,空中衝突して緊急脱出した時の経験を語ったが,実は私は彼と同じ航空団にいて,当時の事を今でもはっきり覚えている.
彼は隣の第6飛行隊,私は第10飛行隊で,ともにF−86F戦闘機に乗っていた.彼は第一編隊の2番機で,第2編隊の3番機の,編隊長資格審査のための空中戦闘訓練でそれは起きた.
混戦状態となったとき,1番機と2番機の間に割り込んできた3番機が,第1編隊の2番機であった服部機と衝突,3番機は徐々に傾いて墜落したが,パイロットは間一髪脱出して生還,服部氏は衝突の瞬間に左背面きりもみに陥ったので,強いGでコックピット内に押し付けられて身動きが取れなかった.
しかし冷静な彼は旋転の3周目くらいにGが緩むのを発見し,次に緩んだ瞬間にキャノピーを放出,再び強烈な旋転に入ったが,パニックに陥ることなく次にGが緩むのを待って下方に脱出、12月13日金曜日の,北風が吹きすさぶ豊後水道に落下した.
彼の冷静さは当時も部隊で大変話題になったが,今日の話も時間の制限があったものの,実に説得力に富んでいた.今日は言わなかったが,事故後の安全会議で,『脱出レバーを引くと,前面の計器板がザーっと下に(実は上だが)飛び去った』と語ったので,ベテランパイロットも「そこまでやるか!」と感心したものである。
私は脱出の経験は幸いにしてないが,現役時代には彼の『体験談』を直に聞いて,自分だったらどうするか?とイメージトレーニングしたものである.
服部先輩も今年66歳,今は岡山で御老母の介護をしつつ『百姓さ』という.危機管理の専門家として活用できないものか?と思った.
この会合から帰宅してまたまた驚いた.ランキングが5位になっていたのである.
息子が「親父もパイロットとしての経験談を書いたら,若い人が喜ぶのでは」と言ったので,キー
ボードに向かった次第.そこでコマーシャルをいれるが,私の体験談は,潮書房の雑誌『丸』で,『我は空の子・奮闘記』と題して毎月連載されている.興味のある方は『丸』をご覧頂きたい.