軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「自衛隊が守るべきもの」とは

1、君主制下の軍隊
昨日は、市村真一・京大名誉教授の「正論」から、皇位継承論議の拙速を戒める一文を書いた。その中で市村教授は君主制の長所を7つに要約したが、その「⑥君主制下の軍隊は将校団を中心とし自然な団結と忠誠心を保持しやすい」の項目に思わず筆が止まった。
その昔、防大一年生時代に、「自衛隊が守るべきものは何か」という命題を与えられ、侃々諤々の「ディスカッション」をした事を思い出したからである。
いうまでもなく自衛隊の任務は、自衛隊法第3条に「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」ため、「それぞれ行動すること」とされている。それを基に作られた「自衛官の心がまえ」についてのガイダンスの場であった。
戦後の主権在民という「民主主義」が定着したわが国では、選挙によって選ばれた多数派の政党が政権に就く。そこまでは誰もが理解していることだが、では共産党が合法的に政権をとった場合、自衛隊はそれに従うのか否か?という論議になった。
民主主義のルールに従えば「従う(従わざるを得ない?)」というのが「正解」になるのだろうが、何かしっくりしない。あの狂気の殺戮を行ったヒトラーは、合法的にドイツ国民から選出されたのであって、決して「革命」で誕生した政権ではなかった。その意味で、ホロコーストの責任を「ナチ政権」だけに被せるのは筋が通らない。
そこで我々も「本音の討論」となる。共産政権とは何か?その政権下で「平和と独立、国の安全」が守れるのか?彼らの言う「平和、安全」とは何か?

2、三島由紀夫の「文化防衛論」
三島由紀夫は、昭和43年11月、茨城大学講堂で行われたティーチインで、学生から共産主義が嫌いな理由を問われ、「一言で言えば、私が共産主義を嫌いなのは美名をもって人間をたぶらかすからです。そして私は偽善というものが嫌いなんです。共産主義は自由な未来に向かって人間を唆す(そそのかす)毒素だと思います」と答えている。(文化防衛論)私も彼らが一様に「暗い」ところが気に入らない。
そんな政権が成立したら、我々はその命令に従順に従って任務を遂行できるのだろうか?というのが論点になった。では天皇大元帥として存在するのであればどうか。
三島由紀夫は、学生から「民主国家の軍隊が護るものはまず国民と国土と文化と主権であって三島さんが言われるように天皇を護るということになると、これは全く逆じゃないかと思うのです。というのは、日本国民あっての天皇ではないだろうかという感じがするわけです。だから一義的に天皇を護るというのじゃなくて、まず日本国民と国土と主権を護るのである。そしてその結果として天皇陛下を護ることになる、ということではないかと思うのですが・・・」と質問され、「私もそう思うのです。・・・もし軍隊――自衛隊というものが、自民党の軍隊であり、或いはひっくり返って社会党の軍隊になり、又共産党の軍隊になりしていたら、国民の投票によって動く軍隊が出来るのかどうか。軍隊というものは政治的な体制とどういうところでつながり、どういうところで離れるのであろうか。政変や種々の政治的な手続きとかかわりのないところで軍隊を国民に直接つなぐ方法はないだろうかというのが考えの根拠です。(中略)それではこれからどうしていったらいいかという問題ですが,私はやはり最高指揮権というものは総理大臣に置いておいたほうが一応は無難だと思います。けれども、光栄ないし栄誉大権という形でその上に更に天皇が勲章を授与する、元は天皇なんですから、勲章や軍旗は天皇から授与されたらいいのじゃないかという事を前書いた事があるのです。それは民主国家とちっとも矛盾しないで―――イギリスやスウェーデンでもそういうふうにやっているわけですからね」と答えている。

3、政策が180度異なる政権下では?
我々のディスカッションも正にそこにあった。あるときは「自民党の政策」に、「あるときは正反対の社会党の政策(最も自民党と野合した村山政権はさっさと政策転換したが・・・)に従い、そしてあるときは「共産党の政策」に従うとすれば、自衛隊の「戦略」はそのつど大転換を要求されることになる。それが果たして国民のためになるといえるのであろうか?例え選挙で選ばれた政権だとしても・・・。三島氏は「政治とかかわりのないところで国民とつながる方策」を求めていると学生に答えている。
米国のように、政策は異なるが根本に「米国の国益」を大切にする二大政党が、国民の支持に従って適度に政権を交代するのであれば、国民生活は「穏やかな」変化で済むが、政策が180度違う政権が交代する場合は、民主的手段に隠れた「革命」といっても過言ではあるまい。昨年の総選挙の結果を、私はその観点から見ていて、非常な危惧を抱いたのである。あの「小泉チルドレン」とは一体何者なのか?ホリエモンが大臣になったら「平和と独立」がどうなるのか?国家防衛事業は「ワイドショー」ではない。
歴史を見れば明白だが、一旦共産主義者が政権を取れば、合法的な交代はありえず、国民の血を強要する革命でしか復元できないのである。中国や北朝鮮を見るがいい。
「信念に合わない政権下では働けないから自衛官を退職する」などというのは「任務を放棄」する消極退嬰な逃げに過ぎない。ではどうするか?我々は自民党の犬、共産党の猫に甘んじるのか?

4、明治憲法の知恵「統帥権
三島由紀夫が言ったように、我々の先達は、そこを見事にクリアーする解決法を2600年間も守り続けてきたのではなかったか?「民政党と政友会の政争に明け暮れていた明治時代、軍隊だけをピリッととっておくために作られた旧憲法統帥権は、昭和になって逆手に使われた、これが不幸だった」と三島由紀夫は言ったが、その明治の知恵は、日本の誇るべき歴史と伝統文化に基づいた判断ではなかったのだろうか?
 国家混乱の渦中で、国民が最も頼りにする軍隊――自衛隊が、命をかけて守るべきもの、それは単なる「平和と独立、国の安全」という抽象的な表現で表せるものだけであろうか?三島由紀夫が自決時に配布した「檄文」は、今読み返しても、日本社会の現状と未来(現代)を活写していると思う。
 民主主義的手法である選挙によって選ばれた政権、その権謀術数と金にまみれた人間集団が、必ずしも国民をつなぐのに「相応しくない」存在になった場合の事を考えると、権力や金や立身出世から全く隔絶された「存在」こそ、実に貴重なものとなるのではなかろうか。そうなれば「政治活動に関与しない」とされている自衛官も、本来の職務に専念できるように思われるのだが・・・
 市村教授が「君主制下の軍隊は将校団を中心とし自然な団結心を保持しやすい」と分析した意味がよく理解できたような気がする。