軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

戦い済んで日が暮れて…

第48回衆院選はご覧のような結果に終わったが、突然の解散と、緑の党出現にあたふたしたメディアは、まだ踏ん切り悪く、結果を他人のせいにして騒いでいる。

≪総選挙結果表〜産経から≫

落選した議員たちも、希望の党創設と小池采配を恨んでいて、自分のことは棚に上げているが、それこそが敗戦の原因だろう。

中には小池憎し!とばかりに責任を彼女に転嫁している向きもあるが、私はむしろ彼女の“巧妙な戦略”が今回は功を奏した結果だとみている。

若い都議会議員都民ファーストを脱退して、仲間割れを印象付けているが、未熟そのものだ!


 ここにも書いたと思うが、小池知事には都知事としての責務があるから、少なくとも築地市場問題と東京五輪終了までは、国政に色目を使うはずはなかった。
勝手に都知事と国会議員(国政の責任者)の二股かけるなどと決め付けたのはメディアと政治評論家たちだったと思っている。要するに”彼ら”にとっては国の先行きよりも、政治を二分化して○×で論じるワイドショウの方が実入りも良く面白いからだろう。

しかし、大阪府知事がそうであるように、必ずしも国会議員でなくても、政党の指導者として存立できている例もあるではないか。身勝手な意見にもほどがある。


さて今回の“小池戦略”の目標は、いかがわしい議員たちで構成されて、国政の足を引っ張っり続けてきた“野党”の分断・解体にあった。それが見事に功を奏して、民進党という“得体のしれないヌエのような集合体”は見事に分解され消滅寸前ではないか。

そんな泥船から緊急脱出した泥ネズミたちは、なりふり構わず緑の党という“救命ボート”に群がった。しかしボートには定員があるから、全員は救助できない。
そこでまず「女子供や老人」を優先救助する実際の難破船同様、小池船長は「人物を査定」して踏み絵を踏ませたのである。
世界各地の紛争で生じる“難民”の中には、必ずスパイがもぐりこんでいて内部からかき回して組織を分解させるのが常套手段であることを彼女は知っていたからだ。


民進党を分解して消滅させる作戦を立案した小池女史が、そのことを自分の組織に適用しないはずはない。だから彼女は「排除」という厳しい言葉を使ったのだろうが、これを問題にする政治評論家らは、では何と言う用語を使えばよかったのかまでは解説しない。「検討させていただきます」と言えばよかったのか?
思想信条の異なる“ぬれねずみ”等をどうするか“検討”した結果、思想が合わないネズミをやがて「排除する」のは当然ではないか。彼女は歯に衣着せなかっただけだろう。
シガラミとナアナア政治からの離脱を掲げて都民ファーストを設立した経緯を見れば今回の手法は十分推定できたろう。


それにしても何とも現代の「男たち」はだらしなくなったものだ。自分の実力を評価することなく、まづスケープゴートを探して鬱憤晴らしをする男たちの浅ましさは同情にも値しない。身から出たさびだとあきらめるべきだがそれもできそうにない!


24日の産経【主張】欄は、「排除の論理 政策重視の選考は非なし」としてこう書いた。

衆院選小池百合子代表の希望の党が伸び悩み、立憲民主党の後塵を拝した。
 選挙直前には大きな注目を浴びながら、その後失速した原因として、小池氏の「排除の論理」が挙げられている。
 安全保障関連法や憲法改正問題への姿勢を、公認する際に重視する基準とした点である。
 新党として初の衆院選に臨むにあたり、基本政策の一致を大事な目安とすることに何ら問題はない。むしろ、これまでの新党には不足していた。そこを取り違えてはなるまい。
 小池氏は防衛相経験者であり、北朝鮮危機に対応する重要性も認識していたはずだ。安全保障関連法に反対するなど左派色の濃い民進党出身者とは、おのずと考え方が異なる。
 「解党」される民進党から、何とか生き残りを図る候補らがなだれ込もうとした。誰でもよいとすれば、実体は元のままで小池氏を看板にするだけだ。政策面のすりあわせを求めるのは、政党の生命線ともいえる。
 だが、「排除します」という小池氏のものの言い方は、有権者の強い反発を呼んだ。小池氏自身、選挙後に「おごり」「慢心」への反省を口にした。
 独裁的な党首が、救いを求める相手に「踏み絵」を踏ませる。そうした構図は、自ら招いたものといえる。小池氏が自らは出馬しなかったことも、独善的な印象を強めた。
 結局、批判の強さを恐れた小池氏側は、厳格な政策による選考を引っ込めた。安保法への反対を公然と唱える候補者もでてきた。そうした混迷こそ、失速の原因と考えるべきだろう。
 政党は政見を同じくする集団でなければならない。直面する課題への解答を一致して公約に掲げなければ、政策の発信力は乏しい。ましてや受け皿は作れない。
 「排除の論理」が野党敗北の理由と言わんばかりの批判もある。理念や政策で政権を争う民主主義の本質を顧みない、筋違いの議論である。
 民進党旧民主党の低迷、分裂なども、基本政策を徹底的にすりあわせる作業を怠ってきた問題が根底にある。それを置き去りにしてきたから、北朝鮮情勢など厳しい現実を前にしたとき、まともな議論さえできないのである≫


 産経の社会面(政治面?)の記事は何とも表面的で、左翼記事に合わせているかのような不満を感じていたが、さすが主張欄の分析は鋭い。

緑の党設立は選挙直前であり、既成政党ではなく、むしろ不安定な素人政治集団であった。それを古びた既成政党の理論と結びつけて評論する“専門家”の方がおかしかろう。


 いずれにせよそんな新生政党が、初の選挙で野党第1党寸前まで行ったのだから、その方が奇跡ではないのか?
 混迷している政治を抱えたまま、危機存亡の淵に立たされている我が国の政治体制から、ままごと遊びのように無責任な言動を吐いて喜んでいる未熟な野党勢力を分断し、安定と安全保障を優先したいと希望する国民のコンセンサスを表に出させ、安倍政権支持という強固な国民の意思を表明させた功績は実に大きいと考えるのだが、いかがだろうか?

いつも選挙になると思うのだが、要するに候補者らは、政治理念よりも、仕事を失いたくないという自己保存の意識丸出しで、国民の前で展開される「権力亡者たちの見苦しい姿」が見えるので、選挙は候補者たちの“就職活動”に過ぎないと私は思っている。残念だが…。


ついでにもう一本、今回の選挙に関する冷静な分析を紹介しておこう。
総合オピニオンサイト「iRONNA」の、「枝野新党にもぐり込んだ『筋を通さない偽リベラル』の正体」と題する上久保誠人立命館大政策科学部教授)の論文である。
少し長くなるがご一読いただきたい。


≪●リベラルではない政治家たちが、「リベラル」と名乗っている。
 小池百合子東京都知事が代表を務める新党、希望の党が、「事実上の解党」をして公認申請した民進党出身の候補者を、独自の基準で選別する「排除の論理」を持ち出した。
その結果、公認を得られず路頭に迷った議員が立憲民主党を結成した。代表に就任した枝野幸男官房長官は「リベラル新党、よくできたと期待をいただいている。リベラルによって日本が輝いていた時代の日本社会を取り戻す」と宣言した。
 改憲・安保法制への賛成という「踏み絵」を踏ませ、リベラルを排除した小池氏は「寛容さがない」と厳しい批判にさらされ、希望の党への支持が停滞している。
一方、立憲民主党社民党共産党の「リベラル陣営」には勢いが出てきた。「踏み絵」を踏まずに護憲・安保法制反対を守る姿勢が「筋が通っている」と支持を集め始めているのだ。
だが、彼らの行動は本当に筋が通ったものなのだろうか
 そもそも、立憲民主党社民党共産党がリベラルと称していることに、疑問を感じている。彼らは、「憲法9条改正反対」「安保法制反対」という安全保障政策の方向性がリベラルだとされている。そして、リベラルと対抗するのが改憲・安保法制賛成の「保守」ということになる。だが、欧米の自由民主主義諸国で、安全保障政策の方向性で「保守」「リベラル」を分ける考え方は存在しない。 欧米では、リベラルとは経済政策の方向性を説明する言葉の一つである。そして、リベラルは「経済の自由主義」を意味している。例えば、筆者がかつて留学していた英国でいえば、リベラルとはかつての自由党、現在の保守党左派、マーガレット・サッチャー元首相に代表される「自由主義」のグループのことで、経済政策の方向性は減税、規制緩和行政改革である。ちなみに、保守党右派とは、伝統的な「保守主義」を指す。テリーザ・メイ首相、デービッド・キャメロン前首相らであり、欧州連合(EU)離脱の国民投票を行い、ハード・ブレグジット(強硬な離脱)も辞さずの姿勢を示している。
 また、トニー・ブレアゴードン・ブラウン両元首相に代表される「ニュー・レイバー」労働党右派もリベラルと呼ばれる。基本的に「サッチャリズム」を引き継ぎ、競争で起こる格差拡大に対して、補助金よりも教育政策で個人の能力向上で対応する、保守でも革新でもない「第3の道」を標榜(ひょうぼう)していた。これに対して、現在の労働党の主流であるジェレミー・コービン党首率いる左派は、鉄鋼、鉄道、石油、電力など主要産業の国有化を主張する「左翼」である。


●保守も左翼も批判する英国のリベラル
 日本でリベラルという言葉は好感度が高いが、欧州では否定的なニュアンスで語られることが多い。「自由主義すぎる人」「競争的すぎる」として保守・左翼双方から批判されている人たちだ。
 かつて、英国では1960−70年代の「福祉国家」の時代に、「コンセンサス政治」が行われていた。保守・労働の二大政党制で政権交代が繰り返されながら、どちらが政権を取っても、福祉政策の中身は変わらなかった。貴族や富裕層出身が中心の保守党右派政権は「貧しき者には分け与えよ」という思想から、一方、労働党左派政権は労働者の権利拡大のために福祉政策を拡大した。その結果、保守党左派・自由主義サッチャー政権が登場するまで、深刻な財政赤字に悩まされ、「英国病」と呼ばれていた。つまり、保守と左翼は真逆の思想信条ながら、実際に行う政策は、どちらも再配分重視という「コンセンサス」があったのだ。
 これを日本に当てはめると、どうなるだろうか。安全保障政策は除外して、経済政策の方向性を検証してみる。保守は、安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相など富裕層の世襲議員が多い。経済政策は、金融緩和や公共事業を「異次元」で繰り出す「アベノミクス」であり、「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」と、上から目線で国民を導こうとする推進運動の数々である。「貧しき者には分け与えよ」という思想がプンプン匂ってくる。
 リベラルに当たるのは、自民党では「軽武装・経済至上主義」を掲げてきた岸田文雄政調会長宏池会や、野田聖子総務相らであろう。安全保障ではバリバリの保守のイメージがある石破茂元防衛相も、経済では地方創生に取り組み、単純なバラマキよりも「第3の道」的な志向があり、リベラルといえる。
 一方、野党側では、前原誠司民進党代表や、希望の党に移った旧民進党右派、そして安全保障政策では保守だが、内政に目を移せば女性の活躍重視、ダイバーシティ(多様性)重視、環境重視の小池氏がリベラルということになる。
「リベラル守れ!」を合言葉に勢いを強めている立憲民主党社民党共産党は、明らかに欧州の文脈ではリベラルではなく、「左派」であろう。実際、フランスのメディアは日本のリベラル派を左派と訳しているのだ
日本の左派がリベラルと名乗るのは、左派ではイメージが悪いからだろう。選挙で票にならないので、必死にリベラルという呼称を確保しようと、アピールしているように見える。


●左派勢力こそ全く筋が通っていない
 要するに、日本ではリベラルではない左派の政治家が、自由民主主義の本家本元である欧州での言葉の意味を無視して、リベラルの呼称を奪って、勝手に使っているのである。
 次に、立憲民主党に結集した左派勢力が、踏み絵を踏まずに護憲・安保法制反対を守った姿勢が「筋が通っている」と評価されていることに反論したい。むしろ彼らの言動こそ、全く筋が通っていないのではないだろうか。 そもそも、前原氏が「みんなで希望の党に行きましょう!」と演説し、事実上の解党を決めたとき、みんな拍手喝采していた。左派のほとんどが希望の党の公認を得るつもりだったのである。小池氏が保守色が強い政治家であることは、百も承知であったはずだ。「基本政策の違いなんか、大したことない。とにかく小池氏の人気にあやかって、当選することだ」と、あまり深刻に考えていなかったのは間違いない。 
 左派は「基本政策の不一致」を理由に、希望の党から公認を得られないことが判明したときに、初めて慌て騒ぎ出したのだ。「筋が通っている」というならば、前原代表が最初に合流案を提案したときに反対すべきだったはずだ。だが、あの辻元清美氏でさえ黙っていたのである
 彼らは、希望の党の公認を得られなかったから新党を作ったのであり、もし公認を得られていたら、そのまま希望の党に入っていたのだ。この過程を時系列的に整理してみれば、左派の行動こそ筋が通っていないのは明らかだ。逆に、希望の党の公認を得た民進党右派の候補者は「当選のために魂を売った」と批判され続けているが、それは正確ではない。彼らは民進党から出ることで「売っていた魂を取り戻した」のだ。
 確かに、彼らは2015年の安保法制の審議で徹底的に法案を批判し、採決の際に反対票を投じた。しかし、当時は共産党との共闘関係があり、党議拘束でがんじがらめであった。また、安倍首相が法案審議開始前に米議会で演説し、安保法制の成立を約束してしまったことで、「国会軽視」「野党軽視」だと感情的に首相に反発してしまった経緯があった。
 本来、前原氏ら右派が保守的な安全保障観を持っていることは、国民に幅広く知られている。彼らの中には、民主党政権期に外交や安全保障政策に取り組んだ議員が少なくない。米軍普天間基地の移設問題や、尖閣諸島沖の日本領海に侵入した中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事故、尖閣諸島の国有化など、非常に難しい判断を迫られる政治課題に直面した経験を持っている。もちろん、民主党政権の運営の稚拙さは批判されてきた。判断の間違いもあった。だが、少なくとも彼らは、厳しい国際情勢にリアリスティックに対応することの重要性を知ることにはなった。


●野党「戦後最悪の惨敗」
 安保法制の国会審議が始まる前、旧民主党のホームページには「安保法制の対案」が掲載されていた。そこには、安保法制をめぐる国会審議への準備として「安全保障法制に関する民主党の考え方」がまとめられていた。この中で、旧民主党は「憲法の平和主義を貫き、専守防衛に徹することを基本とし、近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に対応する」という安全保障政策の基本方針を示し、「国民の命と平和な暮らしを守るのに必要なのは個別自衛権であり、集団的自衛権は必要ない」と主張を展開していた。野党なので、安倍政権との違いを明確に出そうとしたのは当然のことだ。
 一方で、旧民主党は「日本を取り巻く安全保障環境が近年大きく変わりつつある」と、安倍政権と共通する国際情勢認識を持っていることを記していたし、「離島などわが国の領土が武装漁民に占拠される『グレーゾーン事態』への対応は最優先課題」「周辺有事における米軍への後方支援は極めて重要である」としている。要するに、安保法制に関して安倍政権と全て相いれないということはなく、国会審議において政権と是々非々で議論をする準備をしていたということなのだ。
 それなのに、安保法制の審議が始まったときには、旧民主党の右派議員たちは感情的になり、まともな審議ができる状態ではなくなった。安倍政権の強引な手法に大激怒してしまい、「安保法制の全てに反対ではないが、安倍にだけはやらせない」と言い放ち、安倍政権の安保法制に全面的反対の姿勢を取ったのだ。
 その後、旧民主党は維新の党と合流して民進党となったが、共産党との共闘関係が強固になり、安全保障や消費税で政策の幅の広さ、柔軟性を奪われた。野党共闘は選挙においては一定の有効性があったが、政策面ではリアリティーを失い、無党派層を全て与党側に取られてしまうことになった。
 安保法制成立後の16年7月の参院選で、野党共闘は、自民党公明党の連立与党に維新の党などを加えた「改憲勢力」に、改憲国民投票発議を可能とする衆参両院で3分の2の議席を与えることになった。
 戦後政治の野党にとって、国会で改憲勢力が3分の2を占めることを阻止することは最低限の目標であった。それを許してしまったことは、まさに「戦後最悪の惨敗」を喫したと断ぜざるを得ない。野党共闘によって、民進党から政権の座は完全に遠ざかり、「万年野党化」が進んでいたといえる。


政権交代可能な野党復活へ「急がば回れ
 その後の民進党は、東京都知事選の野党共闘候補の惨敗、都議選での公認候補者の「離党ドミノ」と泡沫(ほうまつ)政党化、蓮舫氏の代表辞任、所属議員のスキャンダルと党勢低迷と混乱が続いた。共産党との共闘が党内の意思決定をゆがめ、党内ガバナンスが失われた結果だということは、離党した右派議員が口々に主張していたことだ。
 党に残っていた保守系議員も、野党共闘に対するストレスは頂点に達していた。前原氏は、希望の党への合流を決断した理由に関して、自身のツイッターで「野党共闘に懸念を持っていた」「支持者や関係者から民進党左傾化し、共産党社民党との違いが分からなくなった、と指摘される度に悩んでいた」と語っている。また、「民進党が左派化したことで憲法改正の議論や現実的な安全保障政策の議論すらできなかった。そんな状況を打破したい。これが、今回の挑戦の原点です。私は、大きな塊を作る政治のダイナミズムが必要だと思い定めました。小池百合子さんとともに、新たな理念・政策の旗を掲げ、安倍一強の現状を打ち破るために大同団結しようと決意しました」などと主張していた。
 つまり、希望の党に移った民進党右派とは「失っていた信念を取り戻そうとした政治家たち」である。一方、立憲民主党を作った左派は「信念が合わなくても大丈夫と軽く考えたが、拒否されて、慌てて信念を貫くと言い出した政治家たち」だ。どちらが筋が通っているかといえば、信念を取り戻そうとした右派である。 筆者は、野党側が再び「政権交代可能な勢力」に復活するためには「急がば回れ」だと主張してきた。国民の野党に対する根強い不信感は、突き詰めると政策志向がバラバラな政治家が集まっている「寄り合い所帯」にあると思うからだ
 確かに、かつて自民党に数で対抗することで「非自民政権」を作ってきた歴史はある。しかし、細川護熙政権と羽田孜政権は政治改革や安全保障で社会党の造反によって混乱した。民主党政権では、憲法、安全保障、財政・税制など基本政策をめぐって、党内が分裂して足を引っ張り合うような醜態をさらし続けた。寄り合い所帯に対する国民の不信感は頂点に達していて、政策の違いを無視して自民党に数で対抗する戦略は、もはや国民に理解してもらえないのだ。


●小池氏への厳しい批判は必然だった
 野党が政権交代可能な勢力になるには、特に安全保障政策という基本政策が一致する政治家で二つくらいに集まる「政策別野党再編」が必要だと考えてきた。それが、野党が国民の信頼を取り戻す第一歩だからだ。その意味で、小池氏が安全保障政策で一致を求めたのは、全く正しい。 
 小池氏が「排除の論理」を持ち出したことが厳しく批判されているが、全ての民進党出身の候補者を希望の党の公認候補としていたら、どうだっただろうか。おそらく、現在以上の厳しい批判にさらされることになったはずだ。
 「保守色」が強い小池氏と、安保法制反対や護憲を訴える左派の議員が無条件で合同したら、寄り合い所帯以外の何物でもない。それ以上に問題なのは、小池氏が民進党を丸ごと受け入れることは、小池氏が民進党代表に就任するのと同じことになるということだ。選挙で敗色濃厚な党が、人気のある大衆政治家を代表にしてなりふり構わず生き残ろうとする「究極的な大衆迎合」だという批判も巻き起こったはずだ。 
 つまり、今回の総選挙は排除の論理を持ち出そうが、持ち出すまいが、どちらにしても小池氏は厳しい批判にさらされることになっていた。しかし、民進党からの合流がなければ候補者すらそろえることはできなかっただろう。
 一方、野党が共闘して統一候補を出せば政権交代できると主張する方がいるが、それも甘い考えだと思う。日本の無党派層の多くは、基本的には自民党支持、時に自民党批判票を投じる「消極的保守支持層」である。共産党に引きずられて改憲も安保も原発も「何でも反対」では無党派層の票は取れない。
 なにより、アベノミクスはサラリーマン層や就職活動が好調な若者にしっかり支持されている。野党が、これを崩す説得力ある論理を構築できているとは思えない。
 要するに、野党にはそもそも一挙に政権交代を実現する実力などないということなのだ
 基本政策の一致を軽んじて選挙のためだけに一緒にいた集団が、政策をまじめに考えてきたはずがない。だから、突然選挙になったときに説得力ある対案など出てこないのは当然だ。まずは、政策別に分かれることで、初めて真剣に政策立案に取り組もうという気になるものだ。今回の民進党分裂で、ようやく野党は政権奪取の長い道のりのスタート地点に立ったと考えるべきだ。「急がば回れ」なのである。


●小池・前原が起こした「創造的破壊」
今回、小池氏と前原氏が起こしたことは、古臭い保守・革新の対立を超えた、新しい政治勢力の誕生という「政界の創造的破壊」ではないだろうか。それは、「安全保障政策を争点にしない」という、欧米の自由民主主義国では当たり前の政治を実現したことである。
 例えば、英国では野党は国内のさまざまな政策課題で激しく政府・与党を批判していても、政府・与党が海外への軍隊の派遣を決定するときは、「首相の偉大なる決断」を称賛する演説を行うものだ。このように、欧米の民主主義諸国では、野党は安全保障政策で対立を挑まないし、たとえ政権交代となっても政策の継続性を重視する。国民の生命と安全がかかっている最重要政策を政争の具にはしないということだ
 もちろん、欧米の議会でも安全保障政策をめぐる議論が行われないわけではない。しかし、日本の、15年の安全保障法制をめぐる与野党の激突のような、とにかく法案を潰すためにありとあらゆる方向から反対するようなことはあり得ない。強固な安全保障体制を確立し、抑止力を強化するためにはどうすればいいかという観点で、建設的な議論が行われるのだ
 小池氏と前原氏は故意犯的に「安全保障政策を政争化しない政治」を実現しようとしたと考えられる。前原氏は立憲民主党が立ち上がったとき、「想定の範囲内だ」とコメントしている。最初から小池氏の蛮勇を使って、自ら手を汚さず左派と縁を切るつもりだったのだろう。
 一部のメディアや識者が「リベラル勢力の結集」とはしゃいでいるのを見ると、いまだに古臭い東西冷戦期の保革対立という構図のまま、物事を考えているようだ。だから保守色の強い小池氏に左派が排除されることに感情的な反発をしてしまったのだろう。あえていえば、彼らは対立構図を死守したいがために、徹底的な小池バッシングに走ったといえる。 
 北朝鮮の核開発や中国の海洋進出、世界で頻発するテロの問題に対して、日本は安全保障政策で最悪の事態に備えなければならない。また、日本は世界で競争力を失ってしまっている。IT産業の発展、人工知能(AI)を使った無人工場や自動運転の開発など、米国、ドイツのみならず、中国の後塵(こうじん)をも拝しているのが現実だ。日本は「何でも反対」で足を引っ張り合っている場合ではない。国会で建設的な議論を行い、「政府の改革は手ぬるい、よりよき政策はこれだ!」と競い合う新しい政治を創るのが急務だ。古臭い対立構図の死守にこだわらず、現在日本政治に起こっている現象の意義を、冷静に評価すべきなのである≫


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