軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

地方議員の会で・・・

3日に横須賀に出かけて、日本会議・地方議員懇談に招かれ「講師」を勤めさせていただいた。首都圏が中心だったが、それでも北は北海道から西は四国松山、岡山から、20代から60代の約60人の方々が参集された。議員の方々だけあって実に熱心な討議や、現に地方で問題となっていることについての意見交換がなされて、私も大いに参考になった。
その中でも気になったのは「子供条例」や「人権条例」の問題である。人生経験もない(当然だが)子供たちが、自由である権利だとか、勉強を強制されない権利?など、全うな人間だったら考えられないような条例が、ごく一握りの「市民団体」などの手によって、一般市民に無関係に推進されていて条例制定に動いているのだという。背筋が寒くなる思いだが、「頭脳が黴菌に侵され、手足までもが壊疽」の症状に陥りつつあるのでは、いずれこの国は立つこともままならなくなるのではないか?喜ぶのは一体誰だろう?と思う。

私は約一時間10分、周辺情勢について「漫談」したのだが、わが国の安全保障の現実について、大いに関心が高まり、質疑応答は40分続き、夜の懇親会でも、その後の研究会(2次会ではない!)でも大いに意見が沸騰した。その後数人で本当の“2次会”に出かけてカラオケを楽しんだが、ここでも実は議論噴出、騒音?下での議論でのどがかれた。

草の根活動の典型だろうが、「相手」が、市民グループなる得体の知れない組織を作って、この国を蝕んでいるのなら、市民の信頼を受けた「正規の議員」たる我々が、それに堂々と対処すべきだ、という若手議員の感想と実行力には感心した。まだ「少数派だ」というのけれど・・・

翌日は防大を研修、副校長の挨拶の後は、米国海軍技術顧問という、特異な経歴を持つ北村淳氏から「積極的自衛戦力としての専守防衛」という題の一時間にわたる講義があった。
その後小原台を降りて、海上自衛隊護衛艦「おおなみ」を見学した。久しぶりにきびきびした隊員たちに接して、なんとなく現役時代を思い出し、若返った気がした。
横須賀港には、海自の護衛艦はかなり停泊していたが、キティホークは勿論のこと、米海軍の艦艇は、修理中のイージス駆逐艦一隻のみですべて出払っていて、なんとなく日本海が緊張しているのでは?と思ったが、思い過ごしだといいのだが・・・

さて、2日ぶりにブログをあけたら、熱心な「討議」が繰り広げられていて、読むのに時間がかかった。
他人のブログだからといって「気兼ね」することなく、大いに意見を交換してほしいと思う。その方が私にとっても大変参考になる。勿論、長文で「独占する」ことはご遠慮願いたいが、言論は自由である。

中に「雫石事件」(事故ではなく私は事件だと考えている)や、日航機墜落事件などについてコメントがあったが、このブログを読んでいる空自OBは複雑な感想をお持ちだろう。私はその両方の事件は勿論、海自のなだしお事件についても、色々な方面の方々から情報をいただき、それなりにシナリオを描いているのだが、特に日航機事件については、事故後の左翼陣営からの「謀略活動」は熾烈だった。
その中に「垂直尾翼自衛隊の標的機(ファイアビー)が当たった」とか、「その破片の写真を持っている」「防衛庁は隠している」などと豪語した作家などがいたが、彼の経歴を調べてみると、ある政党の機関紙の常連であり、証拠写真さえ見せてくれなかった。しかし、彼はその後も「でたらめ本」を書きマクって、印税を稼いでいるようだからお金がほしかったのだろう!
かって、森村誠一なる作家が「731」部隊の悪業だとして「偽写真を羅列した本」を書き、大きな社会問題になったが、あのパターンである。

次に防衛庁自衛隊を誹謗したのはN○Kで、米軍の救援申し込みを自衛隊が断った、という、オーストラリアの地方紙記事を引用した「NC9報道」であった。
その根拠は、ちょうど墜落現場上空を飛んでいた米軍のC−130の航法士O大尉が、米軍だったら救助できただろう、と語ったことがその大元になっている。
ベトナム戦争では、米軍のヘリコプターの「非人道的攻撃」を口を極めてののしっていた日本の一部マスコミが、今度は、その米軍ヘリの能力を高く評価して?協力を断った?自衛隊をののしるのだからいい気なものである。勿論自衛隊は「断って」はいない。しかし、そのニュース報道が一人歩きして、自衛隊の救助活動の遅れを非難する「大合唱」に発展したのだが、あのN○Kの報道収録時に、私は陸幕で最初から最後まで立ち会っていたから、その報道がいかに意図的な操作であったか良く知っている。何よりもその事実関係を米軍横田基地のT報道部長に確認したが、彼はその事実を全否定したうえで、私にこういった。
「日本のメディアはクレージーだ。Tシンブン、Mシンブン、N○K・・・から電話取材があり、日本政府、防衛庁自衛隊は何かミスをしなかったか?としつこく問い合わせてきた。実にクレージーだ!ちなみに米軍放送(FEN)では、一切の娯楽番組、音楽の曲目も変更して犠牲者に弔意を表させていただいた」と電話があった。ヒアリングが不得手な私は、万一間違いがあってはならないと思い、これらの内容を、当時山王ホテルにあった米軍報道部のN女史をたずねて再確認したから、絶対の自信がある。
そのとき事務所で、アシスタントの白人女性が、コーヒーを運んでくれた後に、「大佐、日本には軍事評論家とか航空評論家が実に多いことが分かったが、彼らはどんな資格を持っているのか?」と聞いた。「アメリカでは軍事専門家は軍の将校経験者、航空専門家は大学の航空工学専攻、およびその学位を持つものに限られるが日本ではどうなのだ?」というのである。
同行した私の部下が「日本では、“アイアム軍事専門家、航空専門家!”というだけでいいのだ」といった途端、事務所は驚きに包まれた。
「レアリー!?オーマイゴッド!」

「なだしお事件」の背景はさらに複雑である。あの沈没した富士山丸の船体構造を覚えておられる方もおありだろうが、何かに似ていないか? そう、奄美大島近海で「海保に撃沈」された、不審船である。証拠物件であるあの船は、保管に困るという理由で「即時解体され」、機密を本務とする『なだしお』には、漁船などから位置が分かるようにせよ、という理由でレーダー反射板を取り付けられたから、米軍は勿論、世界の海軍から物笑いになった。
「衝突した得体の知れない奇妙な構造の民船は、裁判が始まる前に急ぎ解体して重要な証拠物件を隠滅し、隠密を要求される潜水艦に“提灯をつける”決定を国がするとは!?」

自衛隊がかかわった過去の事件をよく分析すれば、意外な闇が広がっていることに気がつく。それは「どんなに理不尽なこと」が強要されても、「敗戦意識過剰な」旧軍人は敗軍の将・・・?らしく「黙して語らなかった」し、「悪しきシビリアンコントロール?」の影響からか、部下には厳しく当たっても、外部には一切「弁解?」しなかった。つまりなんら「反論せず」、真実から逃避するかのような行動をとって来たから?である。そこに大東亜戦争の真因解明に関する、何か“共通点”があるように感じてならない。その黙して語らぬ「悪しき伝統?」を、反日団体(勿論外国勢力も)や一部マスコミにうまく利用され続けてきたように私は感じているのである。反論しない以上「言い得、やり得」なのであり、軍事力を行使しない以上、竹島は取り得、尖閣も「取れる」と見ているのである。

昭和天皇も反対されていた、“敗戦が避けられないと分かっていた”あの「無謀な戦争」になぜ突入したのか?
作為的か不作為からか、近代日本歴史を全く教えてこなかった国の学校教育の欠陥が、そろそろにっちもさっちも行かなくなりつつあるのではないか?と感じているのだが、その背景には、わずか34年間の拙い自衛官生活に過ぎないけれども、何か共通する点があって、気になって仕方がないからである。
過去の大戦の反省はもとより、現代の報道に見られる「腑に落ちない解決」からだけでも、これでは同じ過ちを永久に繰り返すのでは?と心配なのである。
要らぬお節介かもしれないが・・・