軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

裁判官の常識

連休で各地は家族連れで賑わっているようだ。空気も食料も汚染され人民が呻吟している国もあるというのに、わが国は実に「ユートピアだ」と痛感する。
問題は「銀のスプーン」を咥えて生れ落ちてきた国民が、その“幸せ度”に気が付いていないことだろう。
欲求(といってもほとんどは金儲けだが)は増すばかりで、叶えられないとストレスで体調を壊す…。その悪循環のように見える。儲かるのは健康食品会社と病院だけか…
読者の皆様には、連休間、交通事故などに遭われないように…


このところ暖かいので、我が家周辺の小鳥や小動物たちの動きは活発になってきた。自然界は現代日本人のように極度の高望みをしないから、例年淡々と与えられた命を大切に過ごしているように見える。

7年間見よう見まねで育ててきたフジが、今年は期待に応えてくれて、美しい姿を披露している。家内が丹精込めたバラのつぼみも、どんどん膨らんでいて、毎日その幼気な姿に感動している。



≪やっと期待に応えてくれた藤の花と、エントランスのチューリップなど:人間界の乱れには無関係・・・≫


驚いたことに、仲がいいキジバト夫婦もまた戻ってきて、バーゴラに巣を構えようと狙っている。追い出しても逃げないところが「ずうずうしい!」

≪戻ってきたキジバト君。今年は蛇が出ると困るので、“転入拒否”の予定!!≫


ところで先日の名古屋高裁の判決には驚愕した。近頃の裁判官には、人間の血が流れていないらしい。


『徘徊事故、妻に賠償命令 JR監視不十分と支払いは減額、名古屋高裁
≪平成19年12月、愛知県大府市で徘徊症状がある認知症の91歳男性が電車にはねられ死亡した事故をめぐり、JR東海が遺族に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁は24日、「見守りを怠った」などとして男性の妻(91)らに賠償を命じた一審名古屋地裁判決に続き、妻の責任を認定し359万円の支払いを命じた。長男の責任については一審判決を変更し、認めなかった。

昨年8月の一審判決はJR側の請求通り720万円の支払いを命じたが、高裁は「JR側の駅利用客への監視が十分で、ホームのフェンス扉が施錠されていれば事故を防げたと推認される事情もある」などとして減額した。

判決によると、認知症で「要介護4」の認定を受けていた男性は19年12月7日、JR共和駅構内で電車にはねられ死亡。同居していた当時85歳の妻と、近くに住む長男の嫁が目を離した間に外出していた。(産経)≫


今朝の産経抄子はこう書いたから少しだけ救われた。おかしいと思ったのは私だけじゃなかったのである。


産経抄】『有吉さんの怒り 4月28日』
≪「徘徊は、どこのホームも引受けないんですよ」「それじゃ私は、どうしたらいいんですか…一人で面倒みなきゃならないって仰言るんですか」。84歳の舅は、ちょっと目を離したすきに家を出てしまう。サラリーマンの妻である主人公は、介護施設に相談してもらちが明かない。

 ▼作家の有吉佐和子さんが老人介護をテーマにした『恍惚の人』を世に問うたのは、昭和47年だ。日本がまだ高度成長に酔いしれ、「認知症」という言葉もなかった時代である。にもかかわらず、今読み返しても古さを感じさせない。

 ▼警察庁によると、認知症が原因の行方不明者が平成24年だけで9607人に達し、そのうち359人が死亡していた。介護に関わったことのある人なら、どれほど徘徊を防ぐのが難しいか骨身にしみている。けっして驚くべき数字ではない。

 ▼それだけに、先日の名古屋高裁の判決の衝撃が大きかったはずだ。愛知県内で徘徊症状のある91歳の男性が列車にはねられ死亡した事故について、介護をしていた妻の責任を認定した。JR東海への賠償額は、1審判決から減額されたとはいえ、359万円に上る。他の鉄道会社も同じような事故で、遺族に損害の賠償を求めているという。

 ▼有吉さんはかつてインタビューのなかで、「なぜ『恍惚の人』になった老人を他人事と感じて、のほほんとしていられるのか」と世間に問いかけたことがある。確かに『恍惚の人』の刊行がきっかけとなり、介護制度の整備が進んだ面もある。ただ今も特別養護老人ホームの入所待機者は、増えるばかりだ。

 ▼「裁判官を含めて世の中には、介護問題に他人事の人がまだ多すぎる」。存命なら83歳になる有吉さんが、このニュースを知ったら言うだろう≫


有吉さんだけじゃない。遠山の金さんが聞いたら、激怒するのじゃないか?
血も涙もない判決とはこのことだろう。裁判官の顔が「鬼」に見えてくる。

彼らは高給取りだし社会的地位もあるから、老後は何ら苦労しまい。共白髪まで生きてきたこの夫妻は、御主人の思いもよらぬ発病で歯車が狂い、裁判所から人生の最後に地獄を見せられたのだ。

この判決文は「患者を抱える家庭は、徘徊しないよう【固縛】しておけ!」または「自分で自分の始末ができない老人は、家族がさっさと【処分せよ!】」というようなものだ。
賠償金が支払えない場合には、91歳の妻は牢屋に入るのか?
この裁判を契機に老人の自殺、老夫婦の心中が増えるのじゃないか? それを奨励した名古屋高裁は責任が取れるのか? 世も末だとはこのことだろう。


この判決を聞いて私は思った。私が残された妻だったら、この裁判官を狙い撃ちにして、逮捕されて法廷に出る。そしてその裁判官を指名して対決するのだ。法廷でディベートして彼らの非人間性を追求してやりたい…
あなただったらどうするか?と。

そして有罪判決が出たら、近所の府中刑務所を指定して“個室”に入れてもらい死ぬまで税金で面倒を見てもらうのだ。
ここは衣食住も医療施設も完備しているから“老後の心配”は全くない。
怖いのは恩赦で出所させられることだけ、その時は人を殺傷してもう一度逮捕してもらう。
こうすれば列車などの交通事故で、多額の賠償金を出さずに済むし、家族と国民に迷惑をかけずに済む…

こんな発想の老人が出てもおかしくないような判決だと思う。


何度も繰り返すが、雫石事件では「国の命令で国家防衛のための訓練中であった貴重なパイロット」が、素人裁判官に裁かれて有罪にされ、癌で苦しみつつ死んでいった。
冤罪だったのだが、国は面倒を見てくれなかった。拉致被害者家族同様、有志の拠金で戦ったが、刑事裁判では有罪、民事裁判では双方に罪ありとされ、最高裁は民事で防衛庁側に有利な証拠(8ミリ映像)が提出されたにもかかわらず、これを無視して2審差し戻しすることなく、自判して逃げた。


今じゃ最高裁も「2審差し戻し」が続いているじゃないか。
今回の名古屋高裁の判決を見て、改めて血も涙もない、どころか理にかなわぬことを平然と実行し、生きている人間のためではなく、六法全書の文言の方を優先するのが裁判官の使命だと公言したようなものだ。
法律とは何のためにあるのだろう?司法研修生時代に何を習ったのだろう?


今私は、時間を見ては書斎の資料整理をしているのだが、昔の新聞記事などに、改めて驚かされることが多い。


この国が現在抱えている問題点は、昔から指摘されていたのだ。にもかかわらず、誰もそれを検証しようとはしなかった。
問題は「解決」されることなく放置され、「棚上げ」「後年度負担」ならぬ「後任者負担」にされて「堂々巡り」を繰り返しているだけ。憲法問題がその最たるものだが、要するに使命感を持った議員や公僕が不在という証明だろう。自分の保身にだけ長けていたということか。
しかも指導者?らは、自分自身の老後の心配だけを優先させて、他人のことなど気にもかけない。こんなことで「事に当たっては身の危険を顧みない…」という崇高な使命感にあふれた若者が育つはずはない。大人の方が腐りきっているのだ。


今日は、多少本題から逸れるところもあるが、発見した古い記事を掲載して、「人間は進歩しない生き物だ」という証拠にしたい。ご参考まで


1、朝日「中国の旅」報道の責任を問う=万人抗は中国の作り話だ(1994・3・14:月曜評論)           現代史研究家・田辺敏雄

不可欠な残虐事件の究明

戦前、戦中の日本の行為が、何もかも悪かったという断罪でぬりこめられた「東京裁判史観」からの脱却が言われて久しい。今も東京裁判で却下、あるいは未提出に終った弁護側資料の刊行が、有識者の手で進められていることが報じられている。この刊行の重要性は言うまでもないことである。
 だが、同時に忘れてならないのは、日本軍や民間人が中国やアジアで行ったとされる残虐行為の事実究明である。日本軍の代表として南京虐殺三光作戦従軍慰安婦などの問題であり、民間人のものとしてはこれから記す万人坑(まんにんこう)問題などである。
 これらを報じたものを目にすれば、吐き気を催すほどの日本人の非道さ、残虐行為で溢れかえっている。例をあげれば、逮捕した中国人を何人も電線にぶらさげて火あぶりにし、硝酸をぶっかけては殺す。苦しさに七転八倒した死体の皮膚は、他人のものと入れかわってしまう。また、強制連行に反対した労働者の腹をたち割り、心臓、肝臓を抜きとって煮て食ってしまう。これが日本軍の姿なのである。こうして大量の犠牲者がでる。
 馬鹿馬鹿しいと一笑に付すのは簡単である。だが、多くの国民はこういった具体的な話を立て続けに読まされれば、話半分にしても信じてしまう。
 また、このような日本人の姿が、教室に持ち込まれ、教えられているのが現実なのである。
 だから、先の大戦に一定の評価を与える側が、いかに精緻を極め理をつくした論述を展開しても、国民の目から見れば、これらの残虐行為がその説得力を失わせてしまい、論述自体が何やら胡散臭く見えてしまうのも、無理からぬことなのである。
 ために、これら日本軍民の蛮行の事実究明を並行して進めなければ、東京裁判史観の是正が、国民の共感をもって迎えられるのは、残念ながらほとんど不可能事と私には思えるのである。そして、これらの残虐行為の報道の源をたどって行くと、その多くは朝日連載「中国の旅」にたどりつく。

不問に付せぬ深刻な影響力 
 朝日・本多勝一記者の手になる「中国の旅」は、昭和四十八年八月から始まった。連載は平頂山事件、万人坑、南京事件それに三光作戦の四部に分かれて報じられた。さらに、反響の大きさに気をよくしたのか、「大河ルポ 中国の旅」と題した同記者のルポを「週刊朝日」に長期掲載し、さらに「アサヒグラフ」、「朝日ジャーナル」でも追い打ちをかけた。朝日新聞社は日本人断罪の一大キャンペーンを張ったのである。そして、これらを一括、単行本、文庫本『中国の旅』となって今日なお増刷されている。そこに描かれた残酷な行為の数々、その結果生じた万、十万単位という途方もない死者数。当時、七百万部近い部数の爆発力はすさまじいものがあった。戦前の中国を多少とも知る人たちは、自分たちの知らないところで、同じ日本人がかくも残虐非道な行為をしていたことに戦慄を覚えたであろうし、戦争を知らない戦後世代は、かくも無慈悲な行為を見せつけられ、父母や祖父母に対し、表面からはうかがい知れない薄気味悪さを感じたとしても不思議はなかったろう。
 「中国の旅」は日本側の取材を省いた欠陥報道であった。だが、この連載を契機にほかの報道機関、学者、作家、研究者たちが、われもわれもと中国に行き、日本軍民の悪逆ぶりを現地取材と称しては、競うように報じたのである。その結果、南京事件三光作戦、平頂山事件、そして万入坑のすべてが高校の歴史教科書に登場し、史実として市民権を得ることになったのである。

各地に建つ遺骨記念館
 旧満州中国東北部)の交通の要所であった大石橋にマグネサイト鉱山がある。この一角に一棟の建物があり、中に累々たる白骨遺体が展示されている。これが、「中国の旅」が報じ国民に衝撃を与えた「虎石溝万人坑」の発掘現場で、一万七千体(推定)が埋められている、と中国は説明する。
 万入坑とは、現地労働者を酷使し、ケガや病気などで使いものにならなくなると、生きながらも捨てた「ヒト捨て場」だという。また、満州最大の炭鉱、撫順炭鉱には約三十ヵ所の万入坑ができ、犠牲者は二十五万から三十万人に達したと「中国の旅」は報じた。
 さらに、豊満ダム(吉林省)にも日本人の犯した悪業の「鉄の証拠」として同様の記念館が建つ。犠牲者は一万五千入といい「日本経済新聞」が最初に報道した。また、満州側から万里の長城を越えて中国側に入ったところ、山西省の大同炭鉱にも白骨遺体を展示した記念館が建つ。犠牲者は六万人、「毎日新聞」などが大きく報じた。最近では、「昭和史の消せない真実」(岩波書店、平成四年)がこの記念館の白骨遺体を表紙に使い、ほかの万入坑とともに「真実」として断罪した。さらに近くは写真週刊誌「フライデー」がある。“日本侵略のツメ跡「中国ミイラ万人坑」の衝撃”とタイトルをつけた見聞き四ページのカラー写真は、戦後世代であろう読者に、日本軍民の底知れぬ残虐さを見せつけた。平成六年一月二十一日号だから、つい先日のことである。
 大同炭鉱は空路を使えば北京から近いこともあって、これから先、しばしば登場することになろう。このほかにも四万六千人の犠牲者を出したとして、大学教授が告発した憲兵隊主役の承徳の万人坑、さらには平成三年十一月に、またまた朝日などが報じた老頭溝(犠牲者数千人)などがある。
 このように点在する記念館の白骨遺体の訴える迫力は、日本軍民をいかに悪し様にののしろうと、反論を許さないだけの説得力を有している。
 それだけに、視覚に訴える万入坑は、記念館を訪れる世界中の人々に、“東洋のアウシュビッツ“として、日本人を糾弾しつづけるのは間違いないし、これから先も日本で報じられることになろう。事実、日本弁護士連合会は、『戦争被害海外報告書』(平成五年九月)の中で、南京虐殺などと並んで万入坑を告発している。

だが、誰も調べなかった
 加害者とされた炭鉱関係者、その地に住む一般民間人、駐留した軍関係者など、私が直接あたったのは約三百人、調査に要した期間は三年以上である。だが、誰一人として万人坑を見てはなく、万人坑などあるはずがないとほとんどの人は否定し、残る人も聞いたことがないと証言した。
また、報じられた残虐行為についても「荒唐無稽」、「馬鹿馬鹿しい」と一蹴した。状況証拠もことごとく万入坑の存在を否定している。
 詳細は『「朝日」に吃められた現代史』(全貌社)に記述したとおりで、万入坑は計画的な中国の作り話である。
 だが驚くべきことに、このように万入坑を告発しながら朝日、毎日、岩波以下、日本人ジャーナリスト、学者、作家、研究者などから、ただの一人として日本側を調べて書いた人はいなかったのである。朝日が報じたのだから安心とばかりに尻馬に乗って、中国のいうがままに、日本軍民をひたすら叩いたのである。そこには、報道機関として、あるいは学者としての見識など微塵も感じられない。
 さらに驚くべきことは、記事の撤回を申し入れた関係者に、本多記者は「中国の代弁をしただけだから、抗議をするのなら中国に直接やってくれ」と言い放った。
 一方の朝日新聞社はと言えば、撫順炭鉱などからの記事撤回、『中国の旅』の回収要求などに対し、「さらに調査を進める必要があると以前から考えていたが、多忙な仕事が重なって延引せざるを得なかった」と釈明し、現在までのところ中国側証言を覆すだけの「確たる証拠、証言が得られていない」として要求を拒否した。二十年以上も多忙で調査が延引したというのだから、言うべき言葉もない。
 だが、「中国の代弁をしただけ」という愚かな連載のため、いかに日本人が濡れ衣を着せられ、現代史を歪め、国益を害することになったか。しかも、朝日連載は「中国の代弁」どころか、事実として報道していたことは記事から見て間違いない。
 教科書に採用されている三光作戦(三光は殺光、焼光、奪光)などというものが、本当に実在したのか。日本側を調べて事実と確認されたことなのか。万里の長城沿いの三光作戦が、事実無根であることは同書で明らかにした。三光作戦についても、万入坑と同様の経過をたどって史実になったのでは、と強い疑いを持っている。
 事実無根の万入坑が教科書に採用されたこと自体大問題だが、『中国の旅』の影響の深刻さは、教科書の字面を追っていてはわからない。なぜなら、教科書には『中国の旅』は表立ってはでず、教師用の「指導資料」に多用されているからである。先に引用した火あぶりや心臓を煮て食う話などが、『中国の旅』から長々と引用され、同時に生徒への推薦図書になっているのである。だから、『中国の旅』は、これからも売れつづけるわけである。そして、日本人の蛮行は、あとにつづく若い世代に確実に引き継がれていく。
 「中国の旅」報道の責任を、日本側証人が生存している今こそ、問いたださなければならない所以である。
[注:本田勝一記者(本名崔泰英)は、印字工として入社した中国の情報員とされる]


、≪正論≫2008・12・10 「日本の再生」こそ世界を救う               帝塚山大学名誉教授 伊原吉之助

≪伊原吉之助教授≫蔓延る賎民資本主義

 強欲資本主義が世界を横行してゐる。悪の野蛮国が三つある。米國、ロシヤ、シナ。
三者に共通する野蛮は、他者を際限なく貪る者を野放しにしてゐる点にある。これでは、世界は修羅の巷になるほかない。
「金儲けは悪いことですか?」と問ふ人が居た。
悪事に決まってゐるではないか。それが目的なら。それがけじめを弁へぬなら。
給食費を拂ってゐるから、「戴きます」「御馳走様」という言ふ必要はないと言った母親が居た。植物にせよ動物にせよ、生ある物の生命を戴いて生きることへの感謝の念が根本にあり、育てた人、調理した人への謝意も含むことを忘れた罰当たりな発言である。このやうに日本も腐って来た。
 責任ある地位に居ながら、税金や利権にたかるだけで責任を果さぬ「背任横領の徒」が蔓延つてゐる。
 とっくの昔に占領が終って濁立した筈なのに、日本弱体化の占領政策を政府もメディアも後生大事に守ってゐるのでこんなことになった。
 略字・漢字制限・現代綴名遣ひは、戦後育ちに戦前の書物を読ませぬための日本文化断絶策だったのに、政府もメディアもひたすら遵守してゐる。こんな政府もメディアも「反日の元兇」と言はざるを得ない。
 
野蛮国へ退化するか 
 正統を護持せずに、何で日本が日本で居られやうか。
 私は5年前の5月に「反日蔓延る不思議の國日本」を、昨年3月に「動物文明から植物文明へ輯換しやう」を、この欄に書いた。再讀三讀して頂きたい文章である。
 日本は元禄以降、つまり18世紀に世界最初の文明國を築いた。
 勤勉実直・薄利多売・見ず知らずの他人を信用してかかる高信用社会である。
 西欧が高信用社会を築くのが19世紀だ。ロシヤとシナは現在に到るまで、やらずぶったくりの低信用社會の儘に留まってゐる。        
 米國は原住民も黒人も排除した「市民」だけで造った人造共和國である。移民社會だけに、下層民を信用してゐない。
 だから大統領を選ぶのに、一般國民の直選にせず、大統領選挙人(信用ある名望家)を選ばせる間接選挙を採用して現在に到る。
 共和國(國民が市民共同體を形成し、自由で平等で友愛の間柄)と帝國(人民は雑多で不自由・不平等・差別)の二重構造なのだ。
 日本は天皇家を宗家とする家中心の安定した社會構造を持つてゐた。それを、占領軍が民法を長子相続から均分相続に変へた。
 それ以来、家も近隣社會も國民共同体もばらばらに分解した。そこへ慾惚けと邪魔臭がりに基くやらずぶったくりの利己主義が蔓延して、今や野蛮国に退化しつつある。
 
みそぎによる浄化を
 占領軍に限らず、外國は日本を弱体化することによって生延びやうとしてゐる。
 19世紀ロシヤにニヒリズムが生れて以来、人生と社會を根底から破壊するニヒリズムが世界に蔓延して来た。共産主義レーニン主義)は、ロシヤ・ニヒリズムの嫡出子である。
 曾て素晴しい共存共栄の社會を築いた大和民族がかうまで堕落した姿を見るにつけ、私は「死んでも死に切れぬ」思ひを禁じ得ない。
 美と崇高への献身、謙虚で慈愛に満ちていたあの立派な日本と日本国民は何處へ行った?
 みそぎによる浄化が必要だと思ふ。臥薪嘗胆による国民精神の再生が不可欠だと思へてならない。それが日本だけでなぐ、世界をも救ふ筈である。
 幸か不幸か、目下、米國の強欲資本主義に端を登する金融危機が、世界経済を破綻に導きかけてゐる。
 これが、日本を含む人類の浄化に役立つかも知れない。といふより、これを契機に新しい共存共栄が出来るやうに文明を輯換すべきである。
 奪ふ文明、人間性を破壊する文明から、與へる文明へ、多元的で寛容な美と慈悲の文明へ。
 幸い、日本には天皇陛下が居られる。今上陛下が体現して居られる美と崇高と献身と優しさこそ、日本を救ひ、世界を救ふ植物文明の原理である。
 日本は、慾惚けと邪魔臭がり引寵りから脱却し、生きる歓びに目覚めるべき秋である。物的欲望は最小限に抑へ、仲間との絆に基く連帯と心の豊かさを求めるべき秋である。
  (この原稿はその趣旨から「正漢字・歴史的瑕名遣い」で執筆しました)
   

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≪世界が憧れる天皇のいる日本:黄文雄著=徳間書店¥1000+税≫
本文に掲げた伊原教授の正論を参照すればより理解は早いだろう。日本人自身が、いかに皇室の存在を理解していないかがよくわかる。
21世紀は日本人が奮起すべき時なのである!




月刊誌WiLL6月号。「反日包囲網とこう戦え!」は必見である。本文前段に参考文献として掲げた月曜評論誌と合わせ読むと朝日新聞の正体がよりよくわかる。わたしは、加藤康男氏が連載中の「昭和天皇『七つの謎』」で、天皇周辺の赤いユダの存在に確信を得た。
二二六事件で青年将校らが「君側の奸!」と指摘したのは事実だったと思う。ほかに「近衛上奏文と皇道派(山口富永著:国民新聞社刊)」「近衛文麿『黙』して死す=すり替えられた戦争責任(鳥居民著:草思社刊)」を合わせ読むと、左翼主義者らによる戦後歴史の改ざんの実態が浮かんでくる。

告発 コミンテルンの戦争責任 近衛上奏文と皇道派

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近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任

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大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 (自由選書)

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近衛文麿の戦争責任

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スターリンの対日情報工作 クリヴィツキー・ゾルゲ・「エコノミスト」 (平凡社新書)

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大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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ある駐米海軍武官の回想

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自衛隊の「犯罪」-雫石事件の真相!

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