軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

平成30年、年頭のご挨拶

昨年末は、恒例の墓参りと神社参拝で、東北道を北上した。≪天候は大荒れ≫との予報通り、東北道を北上するに従い、みぞれ交じりとなり、気温が極端に低下してきた。
福島の菩提寺につくと、急に青空が出たので住職に挨拶した後お墓に向かったが、お墓掃除の最中からみぞれになった。写経を納入後、仕方なくお花を差し替えただけで辞去せざるを得なかったが、なんとなく心残りだった。
翌日は石巻の神社に参拝のため、懐かしい矢本町に入ると、ここでも突然陽がさし始めた。
矢張り“元空飛ぶテルテル坊主だけのことはある!”と自己満足して神社にのぼり、大祓を受けたが、昼過ぎにはここもみぞれになった。境内が一面の雪景色になることは非常に珍しいことだ。
午後、辞去して帰路についたが、宮城県北部以北の東北道は雪で通行止めだという。
一般道も雪で状況は悪く、かなり渋滞や事故が起きているようだった。


三陸道は矢本〜鳴瀬間で「事故発生」とランプがついたのを見てすぐに一般道に出たので、その後は何事もなく通過したが、南下する東北道は激しい雪で、最高速度は50キロに制限。
今夜中に帰宅は不可能か?と考えたが、その後の状況は、まるで現役時代の吹雪の中のペネトレーションを思い出すような雪との戦いになった。
とにかく、道路上のセンターラインが見えないし、側道も、轍の跡で想像するしかない。そのうえ吹雪だから、視界は非常に悪い。
用心して走行していると、そんな状況にもかかわらず、10トントラックが急に車線を変更して眼前に飛び出すからたまらない。
≪なにわナンバー≫と≪愛知ナンバー≫のトラックにはひやりとさせられた。


関東平野に入ってからは漸く星空が垣間見えるようになったが、久しぶりに目は視力減退でシバシバ、肩と両腕は凝り、体と下半身は「エコノミー症候群」そのままの状態で、深夜無事に帰宅できたのは幸運だったと天に感謝した。


翌日車を洗車したが、激戦ぶり?を示す一面の汚れと、床下に固まって垂れ下がった灰色の大きなつららには圧倒された。これを落としておかないと融雪剤(塩)で車が痛む…。

平成29年は、何とも極端な悪天候と戦う羽目になって終わったが、無事に過ごせたのは神仏のご加護のせいだったといえるだろう。


さて、改めて平成30年の年頭のご祝辞を申し上げます。

≪今年の富士山は曇りベース…今年は何か起きなければいいが…≫


元日は打って変わって穏やかな天候に恵まれた。近くの八幡様に初詣に行ったが、今年は若い夫婦が多数、子連れで参拝しているのを見て嬉しくなった。
学校に入る前の幼児期から、神を敬う心を体験しておくことは日本人として望ましいことだ。所作にはこだわらず、手を合わせて拝むことが重要なのだ。


一旦戻って、今度は我が家の上の山上にある地元の氏神様の小さなお社を参拝した。

≪自宅の裏山に立つ小さなお社≫

こんな全く知られていないお社にも、結構参拝客が訪れるから嬉しい。見ず知らぬ間柄なのに会釈や挨拶を交わすので、何となく楽しくなる。

しかし、毎年のことだが、見渡す住宅街には一本も国旗が立っていない。最近は門松も目立たなくなった。あれほど店に陳列されているのに、誰も買って飾ろうとしないのなら、明らかに「自然破壊」を進めているのじゃないか?と勘繰りたくなる。
子供たちの遊びが、羽根つきではなく「バトミントン」に代わっているのは仕方ないとしても、これも時代の流れと言って済ませることか?


今日(2日)は少し離れた場所にある小野神社に参拝した。
由緒に「天禄年間に武蔵国司として赴任した小野孝康(小野篁の7代後の子孫)がこの地に祖先の篁を祭ったのが始まり」とあったから、この地に移住してきた末裔?の私は、機会を求めて参拝することにしたのである。
ここはかなり賑わっていたが、「氏子へのお誘い」というパンフを見て、思うことがあったから、転載しておこうと思う。


≪…神社には教祖も教義も戒律もありません。しかし、驚くほど長い歴史を貫いて地域の氏子の人々に祀られ、篤い崇敬を受けるとともに、氏子は神様から限りない安心と活力をいただいてまいりました。
地域社会が昔ながらの共同性をどんどん失っていく昨今、また日本の良き伝統が合理主義や経済至上主義によって忘れ去られてゆくこの現代において、神社は伝統的日本文化の最後の砦ともいえます。
そこは神々が鎮まる清浄な場所、ここには長い歴史に繋がった今があります。さらに神社には地域の共同性がまだまだ生きています。祭りは皆の協力の下に斎行されております…≫


「神社は伝統的日本文化の最後の砦」という言葉が印象的だが、地方にはそれがまだ息づいているという事か?


それにしても昨年は、都内の歴史ある神社で、日本人には想像できない驚愕すべき事件が起きた。ふしだら宮司のあの凶行は果してあの神社だけの問題だといえるのだろうか?と疑問に思う。
どこか日本人の心の隅にほころびが出ているのだ。
神事であるべき大相撲がそれを良くあらわしているように思う。
これも“文化の違い”だといってしまえばそれだけだろうが、我が国の成り立ちを考える時、それだけでは済まされない大きな問題を含んでいると思う。


ところで、兵法研究会顧問として、家村会長と共に長年担当してきた「国防講座」だが、会場である靖国会館の使用料が今年から一気に2倍になったという。
僅か数名のボランティアで維持してきた「兵法研究会」にとっては致命的なため、講座の存続が厳しくなったので、会場設定を変更せざるを得なくなった。
靖国の御霊を崇敬する家村会長はじめ仲間の動揺は隠せない。
ここにも何となく、わが国の信仰心が揺らぐ原因の一つがある気がするが、神社も“経営”が大切なようなので私がとやかく言うべきことではない。
“老兵は消え去れば済む”からである。今月二〇日は公示通り実施するが、以降は未定となる。

さてそこで、今年を占うとすれば、朝鮮半島の“事変”は避けられないだろう。
それよりも気がかりなのは、欧州情勢の不安定化である。
今回の石巻の神社参拝でのお告げに、「核戦争は欧州で起きる」という一言があった。
しかし「地球外生命体がそれを回避させるため動いているから大丈夫だ」と神職が付け加えられたので、一安心ではあるが・・・・


何はさておき、今まで「タブー視」されてきた政官界、経済界、神官界、言論界に広がっていた闇が、ことごとく国民の前に公表され、大掃除が始まることだけは確かなようだ。

お互い、掃除されないように気を付けて過ごしましょう!!
今年もどうぞよろしく!


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≪雑誌「丸」2月号≫


≪同上の付録「紫電改」&「疾風」≫



≪雑誌「WILL」2月号別冊≫

朝日新聞も“最後のあがき”のようだ。百害あって一利ない新聞は取る方が無知なのだ!



≪「正定事件」の検証:峯崎恭輔著・藤岡信勝解題:並木書房\2000+税≫

シナ事変が起きた10月に、河北省の城塞都市「正定(せいてい)」を日本軍が占領した夜に、カトリック宣教師ら9人の欧州人が“謎の武装集団”によって拉致され殺害された事件の“犯人は日本軍だ!”とバチカンが言いがかりをつけ、国際問題化しかかっている。
どこまで我が国の「歴史戦」は貧弱なのか、韓国の慰安婦問題でやすやすと10億円奪われた外交上のミスがそれを示しているように思う。ストレスがたまること請け合い!だがご一読あれ。

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