東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視ともとれる発言をしたことに関連し、メディアは連日にぎわっている。
確かに森氏の発言は軽率だと、会見を見ていた私も感じた。しかし謝罪会見さえも「火に油を注ぐ結果」になり、今度は自民党の二階俊博幹事長がボランティアの辞退が相次いでいる動きを「瞬間的」と指摘したことが問題になり、さらに麻生太郎副総理がこの二階発言に対して「ボランティアは大きな大会で必要な力だ。そういった方々に対する敬意に欠けるのではないか」と述べたと言う。
政治家らの”弁解めいた発言”は”老害”極まれり、と言うべきだろうが、それにしてもメディアは「政界の大物の発言を取り上げ、首をとる!」ことに快感を覚えるという悪い癖があるから、首をとるまではこの問題は収まるまい、と私は見ていた。
それにしてもメディアの追及姿勢の異常さにはいつものことながら辟易させられる。野党の批判”癖”だけだったらさほどでもなかったろうが、連日TVなどで騒がれると、森氏の方が気の毒になってくるから不思議だ。
言論の自由を標榜するメディアは、自分らの”自由”を阻害されまいと思っているのか、それとも「コロナ禍」は目途がついたとでもいうのだろうか?他にやることがないらしい。
女性蔑視!だと大合唱するが、我が国には「女3人寄れば姦しい(女性はおしゃべりだから、3人も集まれば騒がしくて仕方ない)」と言う言葉もある。
「女賢しくて牛売り損なう(女は、利口のようでも大局を見通す力がなく、目先の欲に捉われてかえってことを仕損じる)」という浄瑠璃もある。
これらの日本古来のことわざや、文化までも否定すべきものだろうか?
在日欧米の大使館までが騒ぐが、彼らの国には女性蔑視の「フランス小話(イストワール)」はないのだろうか?
内政干渉だとまではいわぬまでも、寄ってたかって「五輪開催国」を誹謗中傷するのはいかがなものか?どうせ大会は”お流れ”とみているのだろう。
まるでアジア諸国に不法侵入して、植民地化した中世欧州の国々を思い出す。それとも「コロナ禍」で鬱積したうっぷんを、おとなしい我が国に対してぶちまけるとでもいう気なのか?相手が違うのじゃないか?
こんな感情的な国々から、「選手」が大勢押し寄せて男女平等だの、オリンピック精神などと騒ぐのかと思えば気が重くなろうというものだ。
言葉尻を捉えて騒ぐ日本のメディアにはあきれるが、外国から言われると更にいい気分はしない。女性蔑視発言だとい騒ぐ前に、自分らの国は五輪精神にかなった行動をとっていると証明してほしいものだ。もっとも、不適切発言をした後期高齢者の時節柄を意識しない軽率な「不適切行動」の方を情けなく思うのだが、それにしても「鬼の首をとった!(とりたい)」かのようにふるまうメディアの幼稚さを諫めたい。
「物言えば唇寒し秋の風」とはよく言ったもの。まるで開発途上国で起きた「文化大革命」の不法な現象の再現に似ている。”紅衛兵並み”の我が国のメディア関係者は少しは大人になったらどうだ!と反省を促したい。それともすでにそこまで、シナの共産化が及んでいるとでもいうのだろうか?
まるで幼稚な”文革”の再現だ!