軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

南京事件について(その4)

前回に続いて大阪朝日新聞(昭和12年12月10日)の記事を続けよう。

『狂う支那軍の大破壊 外人の専門家呆れる』

「(ニューヨーク特電8日発)ニューヨーク・タイムズ紙南京特派員は、まさに陥落せんとする南京にある専門家の視察を8日次の如く報道している。すなはち南京に踏み止まっている外国軍事専門家は最近4,5日間にわたって城外並びに近郊の支那軍の防備状態を視察したが、その暴状には度膽をぬかれている形である。すなはち支那軍は何等の軍事的目的もなく、ただやたらにありとあらゆる事物をぶち壊し焼き払っているのであって、専門的見地からすれば全く無意味な了解に苦しむもので、これは支那軍を豪も益せぬと同時に日本軍に対しても大した痛痒を与えぬとみるのが至当である。
ただ建物が一軒もないので日本軍はこれを宿営に当てることが出来ず、テントを使用せねばならないという不利があるのみだ。
それならば何故こういう無謀が敢えて行われつつあるのか。残された唯一の説明は、支那軍がこの破壊行為によって僅かにその鬱憤を洩らしているという恐るべき事実である。すなはち支那軍の上下を通じて存在する『日本軍にはかなわぬ』という劣勢意識は、彼らを駆って狂気の如き残忍行為をなさしめ、その犠牲は単に町や村落のみに止まらず市にさえも及んでいる。
その昔成吉思汗の大軍がかっては栄華を誇った数々の大都市を一変して焦土と化せしめて以来、現在揚子江下流沿岸地方において行われつつあるが如き、組織的な破壊が支那軍自身の手によって行われたことは未だないのである。
日本軍の空襲砲撃の与えた損害は殆ど軍事施設に限られており、これを全部合わせてもなお支那軍自身の手によってなされた破壊の十分の一にも足らぬであろう。
これは中立国の一軍事専門家が余(ニューヨーク・タイムズ特派員)に語ったところで同氏は更に語をつぎ、
支那軍が今やっていることから推して自分は次のような結論に達せざるを得ない。即ちシナは今後百年或いはそれ以上その土地の支配権の回復を全然予期していないもののようだ。それだから彼らは仇敵の所有に帰すべきこの土地を思う存分荒廃せしめているのである。今支那の取りつつある焦土政策は敵に対する最善の挙とは決して考えられぬ。なんとなればその敵は確かに一時的には侵入者であることに違いはないが、決してこの土地を植民地にして了おうとは考えていないのだから。
支那軍によって破壊されたところのものは、彼らの祖先が額に汗して孜々勉励刻苦何代かにわたって蓄積したものなのである。狂気沙汰としか思われないこの都市村落の焼き払いを主張する人々はかくすることによって現在までに蓄積された数十億の富が根こそぎに抹殺され、若し破壊されなかったならば近い将来支那政府がこの地方から租税を取り立てることが出来て戦後国力回復のための財源を求め得るものであるということを考えようともしない。この地味豊饒でしかも世界で最も人口稠密な地方は、国家財政に取り有力なる財源供給地であるが、今や猛火の下に消え失せつつある。この地方の復興のためには巨額の経費を必要とするであろう。現在の支那軍の行為を納得させる唯一の説明とも言うべきものは、例の古来の東洋思想たる『面子を救う』ということを持ち出すことであろう。すなはち支那軍は退却にあたり不毛の原野や残煙立ち昇る廃墟をあとにのこしてこれを日本軍に占領させた方が、ただ虚しく退却するよりは彼らの威信を高めるものだと信じているのだ。この考えは戦闘地域に住む数百万の支那住民の福祉を全然無視するものだ。
今や日本軍の進撃を前に奥地に殺到する避難民は数百万に達しているが、支那政府が彼らを救済しようとしても何事もなし得ぬ今日、彼らは如何にこの冬の衣食住を得んとするか、これは想像に余りあるものがあろう」

繰り返しておくが、これは当時の大阪朝日新聞の記事であり、しかもやがて我国と『開戦』する米国の記者の記事の引用である。ニューヨーク・タイムズの南京特派員が見た惨状と心配は、松井大将の心情に通じるところがあると思うがいかがであろうか?

毛沢東時代に「大躍進」という科学的根拠を欠く奇妙な事業を人民に強制して経済活動に大打撃をもたらし,1966年5月から1976年10月にいたる間、「文化大革命」というすさまじい文化破壊を継続し、貴重な文化財を始め,多くの若者達を犠牲にした『政争』はよく知られるところだが、世界中のどこの国民も理解できない支那人たちによるこの暴虐無人な破壊行為は、彼らのDNAから来るものだと見て差し支えないであろう。
この、大陸国家独特のDNAは、我々「海洋国家」民族には到底想像できないものであるということを、しっかり認識して「過去の事実」に学び、将来に活かしていく必要があると思う。
おかしい事に,南京虐殺事件というと,我が国民の間には,既に『既成の事実』だと決めつけた上で議論し,『30万人か,2万人か?』などと数勘定に陥り,まことしやかに意見を述べる学者が目立つが,戦場における『狂気』や,同僚を失った兵たちの悲しみ,苦しみなどという『復讐心』が戦場を支配する事については一顧だにされない事が多すぎる.問題は、国家、あるいは軍隊という組織が、明瞭な組織活動として起こした事件であったのか,それとも戦場という特殊な環境下における,例えば記事にあるように,焦土と化した戦場を弾薬や食料の補給が追いつかないまま計画外の速度で南京に進軍する我が兵たちが,南京に到達すれば食料にありつける!と頑張った挙句,それが達成されなかった時の落胆と混乱を,同胞として考慮してみる事が大切ではないのか?
そのような悪条件を部下に強いた上級司令部の責任は極めて大きいが,そんな中にあっても規律を守ろうとした我が将兵の心中に思いを寄せるのが彼らを送り出した日本国民の思いであるべきではないのか?と私は思うのである.
一部の兵士達,あるいは小グループで,食料調達のために行った窃盗や,夏服のまま送り出された将兵が,寒さに耐えかねて『民家』から衣類を奪った行為を,憲兵隊が取り締まろうと行動していた事の方に注目すべきであろう.記事を読めば当時の南京城周辺での惨憺たる状況が理解できると思う.強調しておきたい事は,中国の南京軍司令部が厳命して行った,自国兵士を敵の手中に放り出すような組織的暴行ではなく,いわゆる『南京事件』は,少なくとも日本軍命令,政府指導で行われた『事件』ではなかったと考えられる事である.
次回は、このような「非人道的戦法」をとった支那軍が南京城内から撤退した跡に入城した日本軍が、そこでいかなる惨状を目撃したかについて報じる、大阪朝日新聞北支版の記事を紹介する。