軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

南京事件について(その3)

「南京周辺の文化保護措置と支那軍による破壊」に関する、昭和12年12月1日付の外務省情報部長の談話を、同じ東京裁判却下未提出裁判資料から引用する。

 「12月1日付ジャパン・アドバタイザ−紙掲載の二つの記事は、期せずして、人類にとって貴重であるものに対して、日支両軍がとったものであって、よい対照を成す態度を、甚だ鮮明に表している。そのひとつの記事は、ニューヨーク・タイムズ南京特派員の報道であって、中国軍自身でこの中国の首都を徹底的に破壊した事を記述している。
 それは該特派員が、戦闘区域を数日間視察した中立国観戦武官から聞いて書いたものであるが、中国兵は、南京の周囲の都市村落を破壊し、彼らの祖先が、又彼ら自身汗を流して働いて、蓄積した幾十億元の象徴たる文化施設を破壊したばかりでなく、自国人の蛮行に唯とまどうている無辜の住民を仮借なく殺戮しているのである。
他の一つの記事は、上海方面日本軍司令官松井石根大将が南京防衛区中国軍司令官に致した勧告の報道である。右によると、松井司令官は、東洋文明の点から、この古い城郭都市内の文化的施設を毀損する事無く其の儘保存したき由を述べ、かつ無用なる人命の犠牲を無くし中国人が、平和裏に降伏することを促している。
前線からの最近の報道によると、中国側は日本側の勧告を拒否した相である。この拒否が何を意味するかは、戦場からの報告を待って明瞭になるであろう。
然し中国軍が、攻囲軍の猛襲に、頑強ではあるが、無益の抵抗を試みるために、既に自国兵に住むべき家及び資材を奪われたその地域の幾萬無辜の民が、冬の厳冬が近づいている時、自然の儘に放置されねばならぬとは憐れな事である。であるから日本軍は、かかる強情我慢の中国軍を、徹底的によう懲せねばなるまい」

支那軍が,国家国民に対する忠誠心がない、軍閥に帰属する『地方出身の武力集団』であるという特徴をよく表していると思う。地方出身の兵達は、都市部の市民はもとより、農民までも略奪の対象にしている。
又、退却に際しては、全てのものを破壊しつくす「3光作戦」が彼らの常套手段であった。その結果どんな悲惨な情況になったか!

12月10日付の大阪朝日新聞は「負傷兵締め出し 非人道極まる支那軍」と題して次のように書いている。(同資料)

「(ニューヨーク特電8日発)南京最後の運命は刻一刻と近づきつつあるが、この首都を守る支那軍の動揺とその辿るべき憐れな運命につきニューヨーク・タイムズ南京特派員は9日次の如く報道している。
焦土と化しつつある南京については既に屡報道したが、九日特に記者の胸に憐れを止めたものは、かってその威容を南京郊外に誇っていた科学戦研究所もついに支那兵によって火を放たれ火炎に包まれ、又金陵公園内の政府要路の大人達の広大美麗なる邸宅も守備兵の無謀の放火の犠牲となって炎上したことだ。
南京前線間の軍隊の往来は繁忙を極めつつあるが、その中を前線で傷ついた兵士たちはよろめきながら城門に辿りつくが、門扉は厳として閉ざされ彼らはどこに行ってよいのか、いかなる運命が彼らを待っているのかなす術を知らぬ有様である。
八日南京軍当局は負傷兵の入場を許さざる旨厳命を発し、あまつさえ既に城内にある負傷兵をも場外に追放する旨決議した。しかも南京守備軍には野戦病院の設備は殆ど欠けており、かくして南京守備のために戦った支那兵は、今後掛かる無残な待遇のもとに自力で何らの援助もなく痛手を押して城壁を迂回し、揚子江に出て落ちのびるか、然らざれば路傍に野垂れ死にするよりほかなき運命に立ち至っている」

この報道は、ニューヨークタイムズの現地特派員が、南京城内の模様を目撃して書いた記事であり、それを朝日新聞が転載したものである。特派員は、場外で戦い、日本軍に追い詰められた味方の兵(シナの敗残兵)たちが、城内に逃げ込もうとしてたどり着いた城門は、残酷にも閉ざされて入ることが出来ない。そればかりか、城内で負傷して戦力にならない負傷兵もまた中国軍自身の手によって場外に放り出されて日本軍の攻撃に曝した、と証言しているのである。
城内に逃げ込んだ人民、城内の市民達にいかなる悲劇が襲い掛かっていたか、それは次回に書くことにしよう。