軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

組織改変と“専守防衛”

1、今朝の産経新聞に、空自の改変案が報じられた。「航空総隊司令部による指揮の一元化を念頭に、全国に4つある航空方面隊・混成団も統廃合する」という。
10年以上も前になるが、現役時代に私はこれと同じ構想を提案した事を思い出す。時間との勝負が掛かっている『航空部隊』の特性を生かすため、指揮の一元化、対応の迅速化を図るべく、総隊司令官が四つの航空方面隊を“直接”指揮するようにすべきだ、といったのであるが、当時は全く無視されたものである。航空自衛隊は、約五万の組織に過ぎない。人数だけで見れば米空軍の戦術部隊程度であろう。しかも情報伝達手段は日進月歩、当時は「バッジシステム」が完成し、中央で一括指揮が可能な状態であったのだから、せいぜい2個航空団と数個のレーダーサイト、数個の高射部隊などを統括する方面隊司令官(空将)を廃止し、総隊司令部に『方面担当部長…例えば北部方面担当部長(空将補)』をそれぞれ設ける、という考えであった。更に、司令官の職責を軽減する為、幕僚長を1佐に格下げして、例えば「政務担当」「基地問題担当」などの2名とし、代わりに『副司令官(空将)』を設けるものであった(この改変は方面隊などでは数年前に実行されたが)。今回の防衛庁案は、それに近いので第1段階の改変だと思われる。ここまで来るのに10年以上もかかったのか、と感無量だが、当時の主な反対意見は「空将ポストが減る!」というものだったから呆れて物も言えなかった事を思い出す。その後、陸自の師団数改変(削減)が行われ、陸将の数が減った事からやりやすくなったのかもしれない。
「指揮の結節をなくす事」が重要だと、幹部学校で機会あるごとに教えている割には、現実には「結節が多すぎる」というのが私の考えだったのだが、当時は『勉強と実際』は乖離していたのであった。今後は世界最強の空軍と肩を並べて任務につくようになるわけだから、『有効な戦力発揮』を期待したい。

2、「人の口に戸は立てられない」という。情報は必ず漏れるという事だが、8面の「風を読む」というコラムに、論説副委員長の中静敬一郎氏が、実に貴重な『事実』を書いているが、敢えて言えばこの事実はすでに「軍事関係者の殆ど」が知るものであった。
「日本に一時滞在中の戦略地勢学者で米海軍技術顧問、北村淳氏が語った話は衝撃だった。小泉純一郎首相の北朝鮮訪問により、金正日総書記が日本人拉致を認めた2002年9月17日の後、米空軍は日本が報復すると想定して、支援の為の作戦行動をとったというのだから。
その行動は、レーダーに探知されにくく、敵地深く攻撃できるF117ステルス戦闘機がグアム島から韓国・烏山基地に派遣された事だった。
当時、ホノルルのシンクタンクにいた北村氏は米空軍士官らから派遣の理由をこう説明された。
『多数の日本国民が北朝鮮国家により拉致された以上、日本政府が何らかの報復措置に出る可能性がある。その場合、同盟国の米国が支援するのは必至である。万一の事態を想定しての行動だ』
北村氏がこれに対し、『日本政府は絶対にそうした報復措置を行わない』『報復したくてもそれを敢行する戦力を有しない』と語ると、士官らは一様に『信じられない』表情を見せ、『何の為に日本はF15戦闘機を保有し、F2対地支援戦闘機を開発しているのか』と不思議がったという。(以下略)」
三沢や沖縄勤務時代に数多く体験した事だから、私は“不感症”になっているのだが、中静氏には“新鮮だった”のだろう。要するに我国は「国際紛争解決手段として軍事力を行使しない」のであり、「専守防衛」なのだから、F15もF2も政治家達にとっては「展示飛行用」なのである。
私はこれと正反対の現象にも遭った。退官後、韓国や中国の研究者達との会議で、我国は「憲法の制約があるので他国を“侵略”する気はない」とか、「自衛隊は戦力ではない」等と得々として解説する我が方の学者に対して、韓国の研究者達が一斉に「世界最強のF15戦闘機を200機も持ち、最新鋭のイージス艦を4隻も持ち、90式戦車を開発していながら、軍隊ではない、とはナンセンス!。そんな嘘をつくから我々は日本政府を絶対に信じられないのだ」というのである。
これが世界の常識なのであって、我国の考え方と実態とは、あまりにも中途半端であり、この中途半端さが抑止力にならないばかりか、逆に「不信感」を与えている元凶であると思ったものである。

3、13面の『正論』欄に、岡崎久彦氏が「『靖国』は日米離間の武器にならず」「中国の戦略に脅えることなかれ」と題して明快な論を書いている。特に「米国は自由な国であり、あらゆる歴史の見直しが可能な国であるが、米国以外に本格的に日本と戦った国として、中国、英国となると、戦勝国の権利は決して譲ろうとしない。端的に言えば『悔しかったら、戦争に勝ってみろ』という事であり、もう少し丁寧な場合も、『あなたの国は戦争に負けたんじゃないですか?』という事である」という点に興味がある。
しかし、敢えて言えば、私には「彼等は相当苦戦した」のであって、「簡単に勝てなかった事」がコンプレックスになっているように思う。つまり、私が最初の北京の会議で、中国の若手学者達から「中国は戦勝国」であり、日本の「歴史認識」が間違っているとして、過去の「侵略行為」を詰られた時、私は堪りかねて「我々日本人は、先の大戦では貴国(正確に言えば相手は「国民党政府」であって、「共産党政府」ではないのだが)に負けたとは思っていない。米国に負けたのであって、天皇が停戦を命じられたから矛を収め、勝っていた軍隊が“負けていた軍隊”から武装解除されたと認識している。そんなに我が国を責めるのであれば、もう一度戦争して決着をつけるか!」と発言したところ、彼等は「そんな事は我々の教科書には書いてない」と叫んだが、「それは貴国の勝手である。一度日本に来ると良い。我国の本屋には、学術書からエロ本まで並んでいるから何でも自由に読むことが出きる」と言った事を思い出す。つまり我々日本人にも、英国や中国人同様に、彼等に対する「不完全燃焼」の部分がわだかまりになっている様に思うのである。勿論、媚中派の方々は何を根拠にしているのか不明だが、「ただただ贖罪意識が残っている」らしいが、大方の日本人の中には、中国には負けていない、という潜在意識が残っているから今でもギクシャクしているのではないか?と思っている。
また、岡崎氏が「東京裁判の裁判長ウェッブ自身の個別意見は歴史判断の参考になろう」「つまり、A級戦犯の死刑は間違いだと言っているのである。それでも彼等は絞首刑に処せられた。戦犯は誰一人として判決の内容に納得していない。彼等は一貫して苦笑、冷笑した。にもかかわらず彼等は従容として死んだ。それは連合国には責任は感じなくも、国家国民に対する戦争責任を取る為であった」とする意見には全く同感である。
その昔、堺事件の責任を取らされた下級武士達が、フランス人達が見守る中で「切腹」に際しとった行動を思い出す。彼等は腹を切り裂きながら「よく見ておれ、われらは貴様等に詫びて死ぬのではない。武士として主のために死ぬのだ」と叫んだのであった。
また、岡崎氏の「たとえ身は、千々に裂くともおよばじな、栄えしみ世を落とせし罪は」という東條英機元首相の獄中での辞世の句を上げ、「靖国に詣でる人は自ら厳しく戦争責任をとった東條の心情を掬(きく)すべきである」という結びに感動した。今私は平河総研のHPで、「大東亞戦争の真実を求めて」という一文を連載中だが、史料を通読すればするほど、この大戦に関わった責任者達の多くは、避けられぬ悲劇に覚悟を決めていたと思われるから、戦後、戦犯として処刑されたのはまさに「自国民に対する償いではなかったか?」と感じ始めていたからである。
そして悲しい事に、彼等の心情を汲み取る努力もせずに、ただただ頭から「戦犯」として非難しているのが、ほかならぬ「日本国民自身」であることの悲しさを痛感していたからである。