軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

軍事力なき外交の限界

その前に、≪まさのり氏≫の質問にお答えしておこう。
愛国者の意味での≪パトリオット≫と≪ナショナリスト≫だが、私はこの「原語」の使用者である米国人たちが、いわゆるわれわれが素直に「愛国者」と言うべきときの用語としては「パトリオット」を使うので、これがそうだと思っている。
ナショナリスト」は、安倍官房長官の著書「美しい国へ」の中に、「偏狭なナショナリズム」という項目に、こう書いてある。
「『ナショナリズムは、まだ国民国家を持たない民族にとっては革命思想であり、既に国民国家を手にしている民族にとっては保守思想になる』という考えがある」
「日本人が日本の国旗、日の丸を掲げるのは、決して偏狭なナショナリズムなどではない。偏狭な、あるいは排他的なナショナリズムという言葉は、他国の国旗を焼くような行為にこそ当てはまるのではないだろうか」
けだし名言だと思う。日本のように2000年以上も万世一系の「天皇」の元、面々と続いてきた「国民国家を手にした国」と、4000年?の歴史を誇るとはいえ、次々と異民族に征服されて王朝が交代して来た中国や、日本の敗戦で「独立」した朝鮮半島の国々のように「国民国家を持たない?」国の差は歴然としていると思う。中近東などの、まだ成熟していない国家のほとんどが、気に食わない他国指導者の写真や人形を焼き、国旗を燃やすことに「愛国者」と勘違いした快感を覚えているのがその良い証拠であろう。
近代的ビルが林立している国家を見て、この国が「成熟している」と考えてはならない。中身を見なければならない。
次に「神道」を外国人が理解できるか否か、については、日本人のように、八百万の神をいただき、おおらかな包容力のある宗教観、ある意味で「ずぼらな宗教観」をもった民族と、一神教に凝り固まった民族では、全く相通じえないところが多いだろう、と思っている。しかし、昨年面白い話を聞いた。東京財団が招待したイラク人の一行が、伊勢神宮に参拝した、というのである。曽野会長(当時)は、彼らは伊勢神宮にお参りして、神官から日本式のしきたりを伝授され(2礼2拍手1礼)、素直に参拝したそうだが、「伊勢神宮こそ天国だ」と言ったらしい。つまり、砂漠の民としては、清らかな水が流れ、樹木が生い茂り、澄んだ空気に包まれた境内(オアシス!)、その上70人の処女たちに囲まれた環境こそ、彼らが言う「天国」の象徴だというのである。同行した「男性」が、曽野会長の脇から「巫女さんを彼ら彼女らはそう思ったようだが処女かどうかは若干疑問がある」と言ったので聴衆は爆笑したが、曽野女史は、伊勢神宮の厳かさが、イスラムの信者にも感動を与えたことを報告した。ちなみに彼女は熱心なクリスチャンである。
お役に立ったかどうか分からないが、ご質問について以上簡単な体験談を述べておきたい。

さて、北方領土でロシア警備艇から銃撃を受けて漁船が拿捕された事件だが、乗組員一名が襲撃されて死亡するという痛ましい事件となった。
船長は、ソ連時代に、ソ連との密通暦がある、つまり「レポ船乗組員」だったようだが、レポ船といっても大方の国民は理解できないかもしれない。北海道を占領したくて必死に情報を集めていた当時のソ連は、北海道内に広く情報網を張り巡らしていた。
漁業で生計を立てている漁民は、国が何もしてくれないので、拿捕銃撃される危険を避け、自存自衛のために「貢物」を持って漁に出て、洋上で「御朱印」をいただき、ソ連国境警備隊の免罪符の下で収穫を上げていたことがあった。そんな悪業に踏み切れない「パトリオットたち」は、収入減をいかんともなしがたく、ある者は網をたたみ、ある者は不本意にも生きるためにしぶしぶその下に入った者もいたという。地元北海道新聞社はそんな時代の「レポ」を多く取り上げているし、記者がドキュメンタリーを「小説風」に書いた書物もある。
政府の怠慢を、漁民の血で贖ってきたのだが、国も漁民もそれが習い性になっていただろうことは否めない。
当時のソ連でも、日本からのレポ船が「貢ぐ」防衛庁に関する各種データーはもとより、カラーテレビや電化製品の氾濫で潤っていたが、ソ連官憲の要求は日増しにエスカレートし、中にはスナックの“ママサン”まで、洋上で“仕事”をさせる実態に、取締りが強化される事態になった。つまり、ソ連側に一部の「特権階級」が出現したのである。島々や樺太との関係で「不平等」が指摘されるようになったため、中央政府北方領土担当の警備隊に厳重な指導をしたため、「貢物」の効果がなくなった(受け取らなくなった)ときがあった。
ところが北海道の西側では、それが適用除外?だったらしく、日本のレポ船の活動は、東側が「絶滅」し、今度は西側が「栄えた?」ことがあったという。
いずれにせよ、暴力団みかじめ料を払って仕事をするような状態には変わりなく、その意味では「日本側官憲の取締り」に問題があったことは事実だろう。
その昔、私が外務省に出向していたとき、北朝鮮警備艇に銃撃されて数人の漁船員が死亡し重傷を負った事件があった。「松生丸事件」である。
この会社は福岡にあり、時の専務は私の中学時代の同級生であった。犠牲者の葬儀を終えた彼は、「自衛隊は何をしているのだ。われわれ漁民を守ってくれない自衛隊になんぞ期待しない。もう税金は払わないぞ!」と葬儀のあと号泣したと仲間が教えてくれた。
拉致事件といい、漁民の「虐殺」といい、「話し合いで解決できる」と思っている方々がまだいるようだが、是非ご意見を伺いたいものである。
越境したかしないか、そんなことでひるむ必要は無い。1945年8月9日、国際法を踏みにじり、しかもわが国との「不可侵条約」を一方的に破って、満州北方領土に侵攻し、15日の天皇詔勅を受けて「矛を収めた」わが軍将兵たちを、極悪非道にも「シベリアに連行し、人道に違反した強制労働」をさせたソ連の悪業を、国際的に訴えなければならないのに、泣かず飛ばずできたわが国の外交姿勢こそ糾弾されるべきであろう。それは「軍事力」が外交を「支えなかった」から外交「力」が発揮できなかったからである。
そんな極悪非道を地でいったソ連を受け継ぐ「ロシア」が、国連の常任理事国であることを、日本国民は決して忘れてはならない。凶悪な殺人犯が裁判長を務めるようなものである。
今回、麻生外務大臣は直ちに行動を起こした。未だかってない速さであり大いに評価できる。しかしいかに全うな論理を展開しても「限界」があるだろう。それは「軍事力」を欠いているからである。外交と軍事は国家の車の両輪であることは常識であるが、その常識欠如が数々の悲劇を生み、国境付近で生計を立てている漁民たちから、心ならずも「愛国者」としての矜持を捨てさせてきたのである。
靖国問題は「日本マスコミ界」の独り相撲であったことが証明された。外務省はこの事件をきっかけに、棚上げされてきた「北方領土奪還問題」に速やかに取り組んでもらいたいと思う。それこそが「殺害された」漁民に対する一番の供養である。