軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

砂上の楼閣だった?防衛力

連日の真摯なコメントに、まず感謝したい。ご提示いただいた書籍など、大いに参考になる。
ところで今日の産経新聞の「連載」もさることながら、「正論欄」の森本論文をお読みになった読者は何をお感じになっただろうか?
森本氏は、防大9期生、7期生である私の2期後輩だが、幹部学校指揮幕僚課程時代は「同期生」だった。卒業後私は直ちに「外務省」に出向させられ「軍縮問題」に取り組まされたが、一年後、彼は北米局安保課に出向してきたから、外務省でも「同期生」だったことになる。その後彼は外務省に移籍し、現在の「安全保障問題」に取り組むことになり、今や第一人者として気を吐いているが、その彼でさえも、現在の日本の防衛は、「全く未完成だ」と今日の正論で明言しているのである。
国民の皆さんは、よくもこの60年間、わが国が「侵略されなかったものだ」と胸をなでおろされたに違いないが、それはそんな≪いい加減な状態下にあることを百も承知で≫黙々と、やらねばならない任務に没頭してきた自衛官たちがいたからである。
勿論、同盟国である米軍の存在はきわめて大きかった。ある意味で、日米関係の底辺は「制服同士の信頼感」で保たれていたといっても過言ではあるまい。その間、日が当たらないままに何人の同志が殉職していったことか!いや、日が当たることを望んでいたわけでは決してない。誰が何といおうとこの国を守る、それだけの気持ちで、黙々と与えられた「粗末な?」武器を大事にしつつ、訓練していたのである。
三沢時代、米軍の高官が私に「自衛隊は極めて精強だが、同時に世界で一番気の毒な軍隊だ」といったことがある。ある大佐は「いつまで占領憲法に縛られているのだ?あの憲法は占領下の縛りに過ぎないのに」といったから、私は「日本人はマッカーサー元帥を尊敬していたから、彼がくれた憲法を大事にしているのだ!」と混ぜ返したのだが、同席していた夫人たちは笑うどころか“軽蔑した表情”をしたことがあった。

防大時代、私の大隊の指導教官は、桑江良逢2佐(後の沖縄第一混成団長)であった。
メレヨン島で飢餓と戦い、復員後すぐに、沖縄名物の味噌を塗った握り飯を持って、全国の失った部下たちの家庭を廻って「供養と状況報告」をされた方である。有言実行型の指導者で、私は心から尊敬していた。
学生時代のある日、大江健三郎から「同世代の恥辱」とまで言われた我々防大生や、憲法違反といわれ続けている自衛隊の不遇さに不満を述べたとき、「佐藤、振り子は必ず元に戻る。今は左に大きくふれているだけだが、日本人は必ず目覚めるときが来る。振り子はまた右に戻ってくるだろう。昔は軍人でなければ人でないかのような風潮があった。女性たちも軍人の妻にあこがれた。そこでだ、佐藤!将来、自衛官以外は人でない!自衛官の妻にしかならない!という風潮を再現してはならないのだ。戻ってきた振り子を再び大きく右に振り切らせるようなことがあってはならないのだ。振り子を中央でとどめることが貴様らの任務なのだ。そのためには耐え忍ぶ勇気を養わねばならぬ。
国民はいずれ分かってくれる。分かってくれないからといって、自暴自棄になるのは未熟者だ」
私はこの言葉を片時も忘れたことはない。しかし、それにしても今までの「自衛・防衛」に対する一部国民、マスコミ、政治家たちの対応はアンフェアーだったと思う。
その結果が、森本論文にあるような、軍事的未整備状態、つまり砂上の楼閣が継続して、100人を越える国民が国内からいともやすやすと「拉致」されても、不審船が跋扈していても、竹島を占領されも、北方領土で漁民たちが、日本人としての誇りを捨ててまでも「漁業」を継続せざるを得ない環境下にあってもこれを放置するという、理不尽さを許容してきたように思う。その結果、子供たちが親を殺し、親が子を殺し、モラル上も理不尽なことがまかり通る国になることを「放置」してきたように思う。
つまり、戦後のわが国は「法治国家」ならぬ「放置国家」だったのである。森本氏が書いたように、防衛に関するだけでもこの有様であったが、教育も、治安も、実は防衛以上に「放置」され続けてきたのではなかったか?

最近の国内ニュースを見るだけでも、これ以上「放置すること」は絶対に許されない時点に来ているように思う。
政界は、次期総裁選で持ちきりだが、その間にも国民の目の届かないところで、金属疲労は進行している。今年はその意味で、防衛の不備にとどまらず、戦後日本が立ち直るのか否かの、大きなポイントになるような気がしてならない。