軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

敗者復活戦を期待する!

 昨日は水交会で、私が所属する史料調査会の定期研究会に出席してきた。史料調査会は、毎月一回の割で研究会を開き、講師の講義のあと、田尻会長が整理した「1ヶ月間の世界軍事情勢の動き」(写真)を元に解説を聞き、その史料をまとめて毎年「年鑑」を発行している。(写真)


一冊¥3800と少々高いが、研究者には好評な年鑑である。
 昨日の講師は慶応大学の神保謙氏で「日本の防衛体制(空間横断型安全保障の台頭)」というタイトルの、日本の安全保障の現状をよく把握した良い講義であった。参加者の多くは旧海軍出身のお年寄りだから、33歳の神保氏も話づらかったようだが、核心を突いた質問が多発して充実した2時間だった。
 私は講師の話を聞きながらヒントになる言葉を元に「自分の考えをメモする」癖があるのだが、彼のような若い学者が育ってきたことを嬉しく思った。最も彼も冒頭で、自分が社会に出た頃には「安全保障論・防衛論」が充実した社会になっていると期待していたそうだが、「以前よりも相当国民の関心は高まっているものの」安保論議で飯は食えない!というのが実情だ、という笑い話をした。私も昭和34年に防大に入学し「税金ドロボー」と罵声を浴びつつも「今に見ておれ、我々が部隊指揮官になる頃には、憲法改正、国軍整備、安保論議も全うになる!」と信じていたから、彼の感想には妙に納得した。
 その憲法改正のための国民投票に関する国会論議も、未だに「駄々っ子たち」の妨害で全うだとは言い切れないが、昨日の表決では、中山議長の「賛成の方は起立願います」との発声で、与党議員は全員起立したが、議長席周辺にたむろして抵抗していた野党の“駄々っ子議員”たちも間違いなく「立っていた」のだから、全員一致の表決だった!と理解している。

 さて、今朝の産経新聞は大きなニュースが乱立している。とりわけ「北陸電力志賀原発の臨界事故隠し」と「早大野球部選手に対する西武の裏金供与問題」には共通のものがあり、看過できない。この体質が現代日本社会のモラル低下に大きく関わっていると思うからである。社会的地位が高い?「大人たち」に、どうしてこれほど「隠蔽体質」が蔓延しているのだろうか? 志賀原発問題は、平成11年6月に発生していたもので、当時の関係者は「何を基準に隠蔽したのか」全く理解できない。産経は「北陸電力によると、当時、同発電所の当直から担当課長に報告され、発電所内に幹部が呼び出された。事態の評価を行い、その場で『報告しない』と決まったという。当日の運転引継ぎ日誌にトラブルの記載はない。『日誌には記載しないよう幹部が担当者に指示していた』(室崎純一郎・同社東京支社長)からだ。当時の所長には異常事態だとの認識があったものと見られる。永原社長が事態を把握したのは2日前の(今月)13日だった。同社長は『作業も夜中だったので誰も見ていないやと、発電所内で処理して上には黙っておこうという意識があったかもしれない』と8年前の隠蔽を認め、『(技術部門に)自分達で責任を持ってやりたい、上層部と相談しても分からないや、という空気が感じられた』と社内体質の問題にも言及した」とあるが、安倍首相が「許せない」と厳しく批判するのも当然な驚愕すべき無責任さである。おそらく「自己防衛、保身」に徹する環境がこの会社には上から下まで蔓延していたに違いない。

 次にあきれたのが早大野球部選手の裏金供与問題である。これも社内にごたごた問題を抱えた西武という会社の拝金主義がその底にある。
 私は野球には疎いが、このような問題を防止するために「野球憲章」のような色々な規制が野球界にはあり、球団各社がそれを遵守することで「野球」というスポーツを成立させてきていると理解していた。勿論、勝つためにはめぼしい選手を一日も早く“スカウト”する必要があるから、そこに何らかの行動が先走ることは否めない。しかし、仲間を抜け駆けしてまで自らの社会の「掟」を破ることは、“純な”スポーツ界を“利益第一の商業主義”に貶める言語道断な行為であることは、「大人」だったら当然認識していた筈である。今回の事件はその点が全く作用していなかったばかりか、あたら将来が楽しみな、親孝行な一青年の人生を大きく損なう「甚大な被害」をもたらした。いや、清水青年個人だけではなく、野球を愛する多くの子供達の夢をも「不愉快な」気分にさせた。この罪は、単に一スカウト担当者の罪では終わらない。しかも、志賀原発同様、選手に「隠蔽」を指示し、さらに問題を複雑にした。そんな「醜い大人たち」の行為に耐えられなくなった清水選手は、記者会見で真実を吐露したが、その苦衷は察するに余りある。その結果彼はアマチュア野球界での立場を失うことになった。テレビで見る限り、彼は実に良い青年である。大人たちの「穢れた人相」とは比較にならない「良い人相」をしている。勿論若いからだが、この経験を後ろ向きに捉えることなく、スポーツ人らしく前向きに捉えて、将来に生かして欲しいものである。彼の人生はまだまだ先がある。野球ファンのみならず、大方の国民は、彼の復帰を期待しているに違いない。スポーツのルールには「敗者復活戦」というものがある。くじけず、立派に立ち直って、少年達に夢を復活させて欲しいと思う。微力ながら、私も蔭から応援したいと思う。