軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

浅間山荘事件の教訓は?

 今日は午後から横浜で講演をするので時間がない。しかし、クラウゼヴィッツⅢ世氏が、愛知県の立てこもり事件を酷評しておられるので、この件についてだけ少し書いておきたい。
 私もテレビで見ていて、簡単に終わるものだと思っていたが、夜になっても「LIVE」番組が続いていて、まるでワイドショー。もたもたしている有様に「このばか者ども!」と叫びたくなったから、クラウゼヴィッツ氏と同感である。先日、町田市で起きた同様な立てこもり事件についても書いたが、とにかく警察の上層部は「事なかれ主義?」が徹底していて、勇気がない小役人に過ぎないからか、全く部下の命を無駄にしている。軍事常識がある無いの問題ではあるまい。武器を持った組織とは思われないお粗末な作戦に終始しているように思う。これでは社会の治安維持に貢献しているとは思えない。
 先日の町田事件の反省から、今回はスマートに解決するだろう、と見ていたのだが、29時間もかかって、しかも「手ぶら」で犯人が出てきたところを「御用!御用!」とばかり折り重なって捕らえた「時代劇モドキ」であったから、私のブログのコメンテーターならずとも、「愛知県警よ、お前もか!」といいたくなる。
 中でも私が怒りを覚えたのは、昨夜のテレビで、付近住人で自宅に帰れなくなったご婦人が、警戒している警察官に「家に帰りたいのですが通れませんか?」と言ったところ、この警察官は「すぐに終わりますから」と答え、更に尋ねる婦人に「撃たれる方が良いか、我慢している方が良いか」と言った時である。
 住民は不自由をしのんで警察に協力している。しかし、この体たらくでは、不満の一つも言いたくなるだろう。そこに「撃たれるほうが良いか、それとも・・・」とは、住民に対する“脅迫”以外の何物でもなかろう。こんなことだから交通違反の切符を切られた者が、「ベンツに乗ったヤクザも同等に取り締まれ”」と叫ぶのである。
 今回の場合も、先に撃たれた警察官を収容する時点で、その作業を掩護しているSAT隊員は、犯人がそれを妨害しようとして姿を現したとき、直ちにこれを射殺する任務があるはずである。米国製のこの手の犯罪映画を見るが良い。SATは常に掩護態勢につき、行動する警察官を掩護し、万一犯人が武器を使用する気配が見えたら、直ちに射殺するではないか!
 今回は、その機会を逸した上に、団子状態にあったSAT隊員たちめがけて発射された「めくら弾」が、将来を嘱望されていた優秀な若い警察官の命を奪ったのである。するとどうだろう。政治家や上層部は「不運が重なった。ショックだ」といい、防護装備の改善を検討する、などというのである。昔の騎士のように鎧兜を纏うつもりなのか?軍事を軽視し、攻撃精神を忘れたツケが、とうとう警察にも蔓延した様に思われる。
 その昔、浅間山荘事件で二人の警察官が殉職した。当時現場指揮官であった佐々淳行氏は、武器の使用を上申したが許可されず、その間に殉職したのだったが、武器使用を許可しなかった時の上司はその後代議士や大臣になった。これでは殉職した警官は何のために死んだのか! これを「一将功なりて万骨を枯らす」という。
 私は「正論」6月号に間接侵略について書いたが、この国を狙っている対象国は、この体たらくを詳細に収集し分析していて、いざという場合にその弱点を利用しようとしているのである。
 それでなくとも30年間にわたって、国内から同胞が北朝鮮に「拉致」されていても、まったく治安機関は動かなかった。航空自衛隊も、その昔沖縄で“恐る恐る”警告射撃をしたことがあったが、海上保安庁は、不審船に対して「漸く」反撃して“撃沈?”するまでになった。警察も、大昔大阪湾のシージャック事件で、見事に犯人を射殺したことがあったが、いまや前回の町田市、今回の長久手市のような有様である。浅間山荘事件の教訓はどうなっているのか? 国内に潜伏する勢力は、今回の事件を見てほくそ笑んだに違いない。
 国民はいざという場合に一体誰に命を預けたらいいのだろう。警備する警官に訪ねたご婦人のように「撃たれるより、体育館で寝ていなさい」と言われて、それに従う以外にないのだろうか?
 今回の事件で、周辺住民には多大な損失があったであろうが、その間に受けた「被害」は、一体誰が補償してくれるのだろうか? 警官には時間が長引けば長引くほど、諸手当が出るのだから、意図的に長引かせているんじゃない?といった青年もいた。
 冗談はさておき、国自体が「専守防衛」に徹していて、集団的自衛権さえも「持っているが使えない」と、奇妙な論理を振りかざして恥じるところがないのだから、殉職する「一兵卒」にとっては真面目にやっていられまい。
 何のための武器であり、SAT要員を養成しているのかこれでは全く分からない。
 政府は警察官の武器使用権限を見直し、今回のような場合には直ちに犯人を射殺出来るよう、法改正を急ぐべきである。いや、法に頼らずとも、今回のような場合には、現行法内で十分に対処できた筈である。
キチガイに刃物」男の一人くらい射殺しても、国民は、むしろ警察の処置を大いに賞賛したであろう。上が遅疑逡巡している間に、こうして優秀な人材が次々に失われていく。それに反して「不逞のやから」が生き残って、刑務所で税金を使い、再び社会に出て、悪がはびこっていく。
 今回の警備責任者は、将来有望な林巡査部長を失った責任を取るべきである。中国のオリンピック問題よりも、我が国の治安維持能力の体たらくのほうがよほど喫緊の問題であると思った次第。