軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

上海会議・その4

 世界同時株安で、まるで1929年のニューヨーク株式市場大暴落、世界的経済大恐慌時並みの報道である。今日は一応持ち直したというが、12000円台をうろうろ、一株も持っていない者としては「関係ない」のでストレスも溜まらない。
 上海の状況を興味深く見たが、やはり小口出資者のパニック振りが注目される。日本と中国では経済構造がやや違うので、日本のバブル時のような大規模な混乱は起きないだろう、という専門家の意見があったが、デマと風評で暴動が起きるのはどこの世界でも共通だと思われる。当分注意が必要だろう。

 さて、昨年11月末の上海会議の模様を久しぶりに掲載したが、折角だからお終いまで、要点を掲載しておこうと思う。正規の「報告書」ではないので気負わずお気軽にどうぞ!

(承前)続いてR女史が「陳水扁と台独派について非難、台湾有事の際に日本は周辺事態法を発動する気か?日本人は年金問題よりも台湾問題が大事なのか?平和発展に努力を傾注すべきで、中国の立場を正しく理解して欲しい」と長々と“演説”したが、場違いな観は免れなかった。
 最後に若手研究者が、私が1979年に懲罰すると称して中国がベトナムに侵入した件を挙げたのに対して、『中国はベトナム人に謝るべきか?謝罪の場合には、第3者に謝るのは不適切だ』と言ったが、これは、謝るとしても中国がベトナムに直接謝るべきもので「日本に言われる筋のものではない」ということであろうか。別に「謝れ!」といったわけではないから、これも場違いな発言である。
 予定を5分過ぎて1705に第一日目の会議は終了したが、なかなか熱を帯びて面白かった。それは、新任の楊所長が出ていたことと、彼の実兄が外交部長であることと決して無関係ではなかったと思う。

 ところで「台湾は中国の領土であり、台湾人も中国人である」という大原則からはみ出しているのが『陳水扁と独立派』であることが判明したが、彼らは異国人?なのだろうか。台湾問題については試行錯誤しているように見え、強硬意見の裏に内容がないし一貫性に欠けているのはその証であり、彼ら自身も迷っているに違いない、と思われた。案外、我々に仲裁?を求めているのかもしれない・・・「独立宣言」さえしなければ『黙認する』という条件で。しかし、それでは台湾が納得するまい。ここで台湾が選挙で屈服しては「負け」になるのだが・・・

 会議終了後、歓迎夕食会が1730から1910まで開かれた。ここに前所長のY女史が参加、政府から派遣されて地方都市の成都を視察して帰ってきたところだという。
 夕食会の場では「空母の件」で大いに盛り上がった。Y少将が、空母に詳しい川村氏を冗談で『中国海軍空母建造担当顧問』に来てほしい、と言ったことから盛り上がったのである。私が『空母だけでは意味をなさない。艦上戦闘機を搭載してはじめて空母は意味を持つ。私はファントムのパイロットだったから、空母が完成したら一番に着艦してあげる』と言ったところ、少将は私も顧問に招待するという。これを聞いていた金田氏が『空母だけでは脆弱である。護衛艦隊が必要だが、私は昔護衛艦隊司令官だったから、私も招聘すべきである』と言ったので、少将が「3人を顧問に招聘する」と言ったから会場は更に盛り上がった。
 そこで私が「しかし、出来るだけ早く空母を完成してもらわないと、折角私が着艦してもコックピットから降りる時に杖を使って降りなければならなくなる!」と言うと爆笑になったが、彼が私の耳元で「間に合わないかもしれない・・・」と言ったのが印象的だった。
 Y女史が『福田首相のバックには誰が着いているのか?』と質問したが、中国は今最大の懸案事項として分析しているのだろう。しばしば訪中する“実力者”達だ!と皮肉っておいたが・・・

 夕食会後ホテルに戻ったが、デジカメのバッテリーが切れかかっていたので、ホテルの売店で電池を購入した。DURACELLと言う名の単3電池で、一本6元、2本購入した。有効期限は2014年になっている。ところがこれには騙された!
 翌日市内観光中、午後3時半に見学した方塔園で、デジカメの電池が切れたので『中国製』と交換したのだが、何と、その夜の黄埔港夜景遊覧中に、バッテリー交換!のサインが出たのである。期限の2014年どころか、僅か5時間で消耗するとは思わなかった!
 バッテリーは買ったが、売店にないものを買うため数人でホテル周辺の散策に出た。裏門を出ようとすると、『マッサージ』といいつつ女性が近寄ってくる。客引きだが、間違いなく『夜の女性』である。周りには日本語文字のスナックや食堂が林立していて、日本人商社マンなどを見込んでいるらしい。『竹村食堂・そば』などと書かれた食堂があったが、どんなそばを出しているやら・・・。
 裏通りに『ローソン』があり、ノートとヤクルトを購入した。ノートは『Gambol』という商標で日本製と変わらない。それもそのはず、裏に小さく『渡邊紙製品』とある。ヤクルトは日本より味が薄い感じがしたが気のせいか?
 ホテルに戻りTVを見た。北京は50チャンネルほどあったが、映画も劇もなんとなく泥臭いものが多い。上海は60チャンネル以上あるが、歴史的に先進国?的な雰囲気の番組が多いような気がする。 その中のCCTV−7は軍事報道専門チャンネルのようで、軍事報道や戦史の番組が目立ち、1938年末ごろの話と思われる“毛主席礼賛番組”が放映されていた。
 日本軍との戦いも、体験者の回顧談らしきものが挿んであり、長征中の体験などが語られていた。河北TVは「最後的子弾」という映画で、これまた毛主席礼賛である。その他、人民解放軍の歴史ドラマもある。日本では自衛隊を取り扱うのは「チャンネル桜」しかないが・・・。NHK・BS−1も入るが、これはフィリピン経由だとか。
 たまたま軍事チャンネル?CCTV−4で、北京での会議で私の前に座ってやりあった陸軍少将の“軍服姿”を発見した! 訪日する駆逐艦深セン号」の解説を、退役海軍少将と共に『解説』していたのである。早速デジカメに記録した。