軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

入院日記 地獄篇(その7)

 入院3日目も普段どおりの日課で始まった。血圧も安定、点滴も順調!問題は隣の老女の「独り言」で安眠できないことである。
 検査が終わるとやることがない私は「文芸春秋」を読むことにした。
巻頭のグラビア写真に「日本の顔」鎌田實(医師・諏訪中央病院名誉院長)とあり、ベストセラー「がんばらない」の著者だとある。迫力ある顔写真だが、59歳、私より一回り若い!偉い!と思う。
 病院内の特別養護老人ホームでの写真に、先日、A大先輩が入所しておられる近所のホームのことを思い出し、日本の縮図を見る思いがした。私が入院しているこの病院は、御老人達が車椅子で楽しそうに手をつないでいる諏訪中央病院とは違って、ベッドに横たわったまま処置を待つ御老人で溢れて?いるのだが・・・


 麻生太郎氏と与謝野馨氏の対談、救国提言「日本よ、“大きな政治”にかえれ」の中で、与謝野氏は「戦後の高度経済成長期までは個人も会社も、勿論政治家も成長という国家目標を自然と抱いていたと思います。だが現在は、何のために努力するのか、何を目標にするのか、が見えにくくなって一種の目標喪失感が社会全体を覆っている」と発言し、麻生氏も「明治以降、日本は中央集権型で官僚主導、そして業界協調という体制で坂の上の雲を追い続け、世界に冠たる経済大国にはなった。その成功体験という残滓からなかなか抜け出られない・・・優秀な官僚ほどそれに縛られ、しかし現実にはそれでは対応できないから自信を喪失する。それに国民も気がついて官僚不信を募らせる。完全に府の連鎖です」という。そして「時代が求めるリーダー」として麻生氏は「日本のおかれた状況を客観的に把握した上で、崇高な国家観を持ち、それに基づき政策の旗を掲げ、内外の反対に対して確固たる信念でやりぬく。そのための度胸と覚悟が、国の舵取りをするリーダーの要件でしょうね」といえば、与謝野氏も「いい社会、いい国の形を明確に示し、その実現に向けて、皆で共に汗を流そうと国民に呼びかける。そうすれば国民一人ひとりはそれぞれの持ち場で奮起されると思う。日本人はそれだけの素質も高い教養も持っています」と続ける。
 いつも聞かされてきた言葉だが、歴代のリーダーに実行力が伴わないので国民は空疎な言葉として誰も聞こうとしなくなっているのだ、と思う。要は、麻生氏が言った中の「度胸と覚悟」が戦後のリーダーに足りないのである。つまりリーダー達に「勇気と自信」がないのである。


 元自民党総務会長の堀内氏の「“後期高齢者”は死ねというのか」も面白かったが、「“KY”が日本語なんて・・・」と云う、大野晋国語学者)、丸谷才一(作家)、井上ひさし(作家)3氏による「言葉をめぐる憂国鼎談」では、大野氏は「僕も、日本をだめにしつつあるのはお笑いタレントの興隆だと思いますね。彼らは自分で転んでみたり、相手の頭を引っぱたいたりして喜んでいるに過ぎず、あれでは劇にもなっていません。愚劣な騒ぎを繰り広げているようにしか、見えませんね」といい、丸谷氏は「あの無茶苦茶な戦争をやって、負けて、その代償として得たのが基本的人権言論の自由だったわけですが、六十年たって気がついてみると、その言論の自由を使って語るべき内容が政治家にない、それを使って風刺したり笑わせたりする芸が芸人にない、ということだったんですね」といい、井上氏は「日本のように、くだらなく徹底的に真面目な態度を貫く姿勢は厄介ですね。ある入学試験で私の短編が使われたのですが、設問は『これを書いたときの作者はどういう気持ちだったでしょうか』。これに対して、一、悲しい、などと選択肢があるのですが、『締め切りが過ぎてあわてて書いている』と云うものはありませんでした(笑)。こちらは悲しいとか嬉しいで書いていません。設問の仕方が幼いですね」といっている。いやはや、こんな無責任で幼い作家たちの悪影響はどうなっているのだろう?と考えた。


 午後家内と次男が見舞いに来た。曜日の感覚が薄れていたが今日は土曜日なのだ。次男は自分が体調を崩した時に「良く効いた」という飲料水を3本買ってきてくれたが、私はまだ「禁水」の状態である。夕食にも縁がない私は、点滴の連続、採血と検温、血圧測定が終わると何もやることがない。
 隣の老女のところには、今日も息子さんが見舞いに来ている。親孝行な息子さんだな〜と感心する。


 夜も8時を過ぎると、走り回っていた看護婦さんたちも来なくなり、一部の検査などのほかは、病室も静かになる。ラジオで音楽を聴きつつウトウトしていると、老女の「独り言」が始まった。これが明け方まで続くのだからやりきれない。
 ところが今日は様子が変である。相変わらず酸素と点滴をはずすから、看護婦が来てはつけ直しているのだが、看護婦との会話にも元気?がない。
 一晩中誰かと「会話?」しているようなしゃべり方で、時々思い出したように数を数え始める。ところが「いちっ、にっ、さん・・・」から40まで行くと、突然60にとび「ハイ、良くできました!」と云う。こうなると、隣に寝ている私としては「数の連続性」が気になるから不思議なものである。数を飛び抜かすと気になるし、ぶつぶつ独り言を言い始めると今度は老女の体調が気になり、“4次元の世界”と交信しているのではないか?と気にかかるのである。こうして3日目の夜も更けていった・・・        (続く)

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