軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

教養なき、場末の芝居小屋!

 この連休間のBBC・CNNは、リーマン・ブラザーズ破綻報道一色だった。日本は新聞休刊日だったこともあって、今朝がその「第一報」、産経は一面トップから2面の主張、3、7,8,9,30面と、これまたリーマン破綻と世界株安報道一色である。

 産経抄子は、リーマンを率いてきたリチャード・ファルドCEOを「彼ほど虚像が膨らんだ経営者をほかに知らない」と書き、この一大事に「ちっとも表に出てこない」と不思議がった。社員達に対してはもとより、「世界の人々を恐慌の瀬戸際に立たせたことへの一片の謝罪もない」と御冠だが、それよりもこんな緊急事態下にあっても「だらだらと自民党総裁選を続けて」いる日本の政治危機のほうがよほど緊急事態ではないのか?

 経済に弱い私には今回の事態についてコメントする資格はないが、個人的には「投資」ならぬ「投機」が世界経済をいいように操っているとしか思えない。何と無く「壮大な詐欺師」たちが世界の金融界を牛耳っていているように思え、その挙句が「投棄」では洒落にもならぬ。しかし、わが経済界の専門家達は、10年前の貴重な体験を生かして、きっと危機を回避してくれるだろうと信じている。


 ところで話題の総裁選だが、5面の「政論探求」欄に、花岡客員編集委員が「『自主憲法』はどこへ消えた」と題して、「『国のありよう』を考える時、憲法にどう向き合うかは避けて通れない課題である。それを真正面から論じられない総裁選。そのことを誰も奇異に思わない風潮・・・。そこに、ぎりぎりまで追い込まれて余裕を失った自民党の実態が透けて見えるようでもある」と結んだが全く同感である。
 自民党の党是は占領憲法を改め、「自主憲法制定」だった筈だ。それが今や「国民の目線」「生活第一」に落ち込んでいるのが問題ではないのか?「国民の目線」よりも「国家目線」「国家目標」こそ問われるべき課題であろう。
 その左の欄に『ユニーク自己分析』というい囲み記事があり、5人の候補者がそれぞれ「自己分析」しているが、「非情になりきれない(石破氏)」「意外に細かいこと(石原氏)」「仕事が趣味。趣味が多すぎるのが短所(与謝野氏)」「乙女心は揺れるもの。気が小さいんです・・・(小池氏)」「ひと言多いこと・・・(麻生氏)」だという。どれもこれも頼りない自己分析だが、場末の芝居小屋で芸人が、受けを狙って安っぽい笑いを取っている場合じゃあるまい。

 13面の「正論」欄に、東京工大名誉教授の芳賀綏氏が「雅量を欠くメディアの醜態」と題して、「首相の観劇にも目くじら」立てるメディアの想像力の貧困さを非難し「高学歴無教養社会の縮図」だと書いた。戦前の記者には「毒筆?の背後には教養」があり、現代記者とは「格が違った」。森元首相の「神の国発言の“釈明会見”の虚しさ」を、「知る者は言わず、思慮深き者はたやすく怒らず。無知・無思慮・無情操で見当違いの取材者群だけがいきり立った会見の場は、現代日本という“高学歴無教養社会”の縮図と化す醜状だった」。鳩山法相を「死神」と書いた朝日コラム氏に対しても、「風刺とはもっとイキな、上質のものをいう」と切り捨て、「問題ははるか根源にある。某コラム記者も滝にでも打たれて心の底を浄め、体内深く教養を積むしかない。他山の石が多すぎる現代、日本社会全般が危機を肝に銘じ、人心の格調を高めて、ふくよかな精神大国を生むよすがとすべきではないか」と結んだが、確かに今やこの国では「教養」という語は「死語」になっている様に感じる。
 
 23面の「断」欄には、評論家の呉智英氏が、裁判員制度について「国家、法律、道徳、国民の義務にまで踏み込んだ根源的な議論もなされてしかるべきだろう」と書き、「法律はなぜ悪の味方をするのだろう。道徳と法律が戦ったらどちらが強いのだろう。法治国家本の学校でどうやって道徳教育をすることが可能なのだろう」と疑問を呈しているが、今や「法治国家」ならぬ「放置国家」に成り下がったこの国では、「道徳」と云う言葉も「死語」に近い。
 ノー天気な政治家たちのワイドショーを、“高学歴無教養”で“雅量を欠いたメディア”が報じて成り立っている今の日本の姿を、片田舎の山の中から見ていると、「場末の芝居小屋」の舞台に上がった大道芸人達が“下手な自己主張”をしているように見えてくるから不思議である・・・。


 偉そうなことを言える身分ではないが、世界中が「金まみれ」「自己中心主義」の毒に犯され、「人心の格調を高める」意識が欠落している様で、「三笠フーズ」の食品汚染以上に現代社会は「道徳的」に「毒まみれ」の状態のように思う。
 悪徳業者に「改心」を期待するのは無理だろうし、「高学歴無教養な」メディア界の穢れた記者が滝に打たれて身を浄める筈もなかろうから、あとは天が「一斉に淘汰」してくれることを期待する以外にないが、社会の一隅で真面目に精一杯生きている者までもが「犠牲」になるのが耐えられない!
 

「教養」とは何か (講談社現代新書)

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教養講座シリーズ〈17〉禅とは何か・人間性と宗教 (1972年)

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福田恆存評論集〈第12巻〉問ひ質したき事ども―言論の空しさ

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日本を思ふ (文春文庫)

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