軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

シビル・アンコントロール!

尖閣事件”VTR流出問題で、仙谷官房長官は「政治職と執行職のトップの責任の在り方は違う」と述べ、またまた責任を海保長官に押し付けた。船長釈放では「那覇地検の独自の判断だ」と逃げ、政府は関与していないと責任を那覇地検に押し付けた。

いやはや、なんという無責任内閣だろう。植木ひとしの「無責任節」が聞こえてくるようである。そういえば、菅総理大臣も、自衛隊の最高指揮官だという自覚がなく、「知らなかった!」と言って自衛隊幹部の度肝を抜いたが、きっと本音、悪い冗談だとは思えない。


昭和55年10月14日、衆院楢崎弥之助議員の「シビリアン・コントロールの原則」に関する質問主意書に、政府はこう答えている。


≪民主主義国家において、政治の軍事に対する優先は確保されなければならないものと考えている。
わが国の現行制度においては、国防に関する国務を含め、国政の執行を担当する最高の責任者たる内閣総理大臣および国務大臣は、憲法上すべて文民でなければならない事とされ、また、国防に関する重要事項については国防会議の議を経ることとされており、更に国防組織たる自衛隊も法律、予算などについて国会の民主的コントロールの下に置かれているのであるから、シビリアン・コントロールの原則は、貫かれているものと考えている。政府としては、このような制度の下に自衛隊を厳格に管理しているところであり、今後ともこの点に十分配慮していく所存である≫


もちろんシビリアンとは国民から選出された国会議員であって役人でないのは当然だが、その「シビリアン」という自覚が欠落していたのが国政の執行を担当する最高の責任者たる菅総理であり、今回の仙谷官房長官ではないか?


命令指示した者に責任がなく、その命令を“執行した”者に責任があるのであれば、組織は持たない。
自衛隊だったら、スクランブルを命じた司令官に責任はなく、スクランブルしたパイロットの責任だ、というようなもの。これじゃ弾は後ろから飛んでくるだろう!
どう見ても1946年に生まれて、青春時代の大切な時期、つまり20〜30代を、安保闘争や学園紛争で浪費した“高学歴だが無教養な”ものらしい典型的な「無責任者」の発言である。


私はこのような状況を称して「シビリアン・コントロールならぬシビル・アンコントロール」だと揶揄してきたのだが、今回、図らずも仙谷長官発言でうらが取れたような気がした。


今朝の産経抄子は、≪民主党政権の「政治主導」によって、政治家の「無責任化」は進む。国力低下もなんのその。気楽な稼業ときたモンダ≫と皮肉ったが、今の政府の言動を見ていれば、茶化している暇はなかろう。

仙谷・菅体制の恐るべき無責任体質がばれたのである。おそらく彼らは「日本国民の生命・財産保護」にも≪一切の責任はとるまい≫と思われる。国民は自分自身で身を守らねばならないのである。真面目におさめている血税は“朝鮮学校”や中国様にODAとしてさし上げつ…


“主役より目立つ”官房長官はとてつもない“悪代官”ぶりを発揮しているが、たんなる「無責任」「親中派」だけではないような気がする。ブログに様々な意見が寄せられているように、国家解体をもくろんでいるとしか思えない。


今回の官房長官発言を、全海保隊員に対する職務の“執行職”である海保長官はどう受け止めたか?
おそらくこの発言を聞いた時点で、自衛隊、警察など、各“執行者”たちは、今後“政治職”者からの命令や指示を気安く受け取って「執行」しなくなるに違いない。つまり、だれも政府の言うことなんぞ聞く耳持たなくなるだろう。
「国政の執行を担当する最高の責任者たる内閣総理大臣および国務大臣」を「政治職」という造語でだまして、自らその責任を“放棄”する発言をしたのだからその「責任」ならぬ≪罪≫は大きい。


ただでさえ、民主党政府は「政治主導」を掲げ「脱官僚」を豪語してきた。そのくせ官僚が書いた文を棒読みするのだから、きっと官僚たちは陰で笑っていることだろう。
彼らにはお気の毒だという以外にないが、そうしている間にもこの国は着実に≪崩壊に向かって≫いる。いやはや、政権交代以後、空いた口がふさがらない毎日である。
口直しに、産経の「主張」を張り付けておくことにする。

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