軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

憲法を信じたあげく?

バングラディッシュダッカで起きた人質殺害事件で犠牲になった同胞とご遺族の悔しさと怒りを思うと言葉もない。謹んで哀悼の意を表したい。
其の昔、日揮社員が同じような武装グループに殺害されたことがあったが、開発途上国のために献身していても、このような悲劇が起きるということを、改めて日本人は自覚せねばならないと思う。
国内では、ぬるま湯にどっぷりと浸かっているいい歳した大人たちが連日「幼稚園の学芸会」的幼稚な行動しかとっていないのだから、世界中で行われている「正義と悪の対決」などは今の日本人には想像できないのだ。


今回テロリストに向かって「アイムジャパニーズ、ドントシュート!」と叫んだ方がいたと報じられているが、今の日本人の大方がその発想を持ち、「なぜ出先の“途上国”のために献身しているのに、殺されなければならないのか?」という疑問を抱いているだろう。


我が国の“欠陥”憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼すると書いてあるし、日本は「平和国家」で「専守防衛国家」だからこちらが手出ししなければ、相手も襲ってこないと信じきっている様子が見え見えである。
この「いいことをしている日本人“だけ”は襲われないだろう」という感覚が恐ろしい。
これもおそらく、安全確保の柱は「盾と槍」の関係であり、同盟国・アメリカは危険な敵地に進出して戦争するが、自衛隊は国土を防衛するだけだから安全だ、と繰り返し国会で答弁されてきたから、国民の多くがそんな思いを抱いていたのだろうか?と悲しくなる。
特に混沌とした今の世界においては、いったん外国に出たら、身を守るのは自分以外にはなく、在外公館などは、危険通知を出すだけで、実力行使は“絶対に”してくれないことを自覚すべきだ。

今回の事例は“戦後平和教育”の弊害がもろに出た事件だったというべきなのだが、今回の参院選挙でも、全く自覚のない主張をしている政党がいるのにはあきれ果てて言葉もない。
彼ら候補者は口車だけで一切国民を守ってはくれないことは、北朝鮮に拉致された多くの同胞を未だに見殺しにしていることが明白に証明しているではないか。

彼ら政治屋が自ら犠牲になる事など、考えてもいないのだから、7人の代わりに“犠牲に”なって欲しかったくらいだ…。そうすれば少しは自覚したかも…。

今回、無残にも将来を閉ざされた7人の犠牲者のためにも、主権在民である有権者は真剣に候補者を選んで投票すべきである。


次に控える都知事選挙の立候補者の顔ブリを見ていても、今回の犠牲者の無念さを自覚している者はほとんど見当たらない。現代日本の政治とは、田舎のお祭り程度の価値ほどもなく、御輿に乗って騒ごうと躍起になっている厚顔無恥、自信過剰な方々の人相は見飽きた。


ところで、東シナ海スクランブルした空自機と、シナの戦闘機の異常接近事態は、この空海域の今後を占う重要な事態だと私は思っているが、なぜか政府は昔の民主党時代と同様、公式発表を控えたようだ。


今回の事案のポイントは、「領空侵犯事態」が起きていたのか、それとも「公海上の偶発事態」だったのかに絞られるが、おそらく後者だろう。しかし、わがパイロットが危険を感じて離脱したということは、シナ側の自信過剰なパイロットが、空自側を脅かしてやろう!と独断で行動に出た可能性もある。


その昔、築城基地から日本海スクランブルしてソ連のTU95・2機を発見して2000ft(約600m)離れて警戒監視していた時、我々に気づいた2機が突然我々を挟み込むように行動し始めたことがあった。
「13mm機銃など豆鉄砲が撃てるものなら撃ってみろ!」とでも言わんばかりに接近してきたので、旧式の86Fは接近してくる彼らから回避する以外に取る手はなかった。
処がどうしたことか、突然2機が急におとなしく密集隊形に戻り、水平飛行に移って北上を開始したのである。


そこに地上のレーダーサイトから、「後方から米軍機が接近しますから、離れてください」と言ってきた。
後方を見ると、当時最新鋭機であったファントムが2機急接近してきてそばを通り過ぎ、TU95に向かっていった。機体には2発のミサイルがついている。1番機は95の上下左右をなめまわすように飛び回っているのだが、TUのリーダーがじっとされるがままになっているのは、ファントムの2番機が2マイル後方で掩護体制(ミサイル照準)を取っているからだ。
その2番機が、やがて徐々に我々に接近してくると、後席のレーダーマンが手を振りつつ「もう帰っていいよ」と言うハンドシグナルをする。
地上に報告すると「では帰投してください」と言われ、これほど悔しい思いをしたことはなかった。ソ連兵に86Fの貧弱な武装をからかわれたことも無性に腹が立った。
ミサイルを積んだファントムは岩国の海兵隊所属だったから、ソ連兵も恐れをなしたのだろう。この時ほど「何とかして我々もミサイルがほしい」と痛切に感じたことはなかった。
しかしわが国がスクランブル時にミサイルを搭載したのは、昭和55(1980)年8月18日で10年以上も遅れたのだが、これが“現場と大本営”の認識の差を示す悪例である。私は我が国の国家防衛の緊張感は、政治家の方がはるかに遅れていると感じたものだが、今でも全く変わっていないことを痛感する。

≪昭和60年9月、能登半島沖に出現したソ連のTU2戦略爆撃機バックファイアー。翼下には空対地核ミサイルを搭載している。撮影はファントム。空軍は時間が勝負。発射されてからでは遅いのだが…≫


軍事の基本は、相手に勝る武器を持つことである。この時のソ連兵は、何をやらかすかわからない米海兵隊パイロットを恐れて、神妙に行動したことは明白であった。
今回のSU30のシナのパイロットも、多分この時のソ連兵の感覚で、接近したのではないかと私は思っている。

当時の86Fは貧弱な装備だったが、今のF15は高性能である。しかし彼らは「ついに空自に追いつき、追い越した!」と錯覚している上、空自機の行動は法的にがんじがらめに縛りがかかっているので「絶対に先制射撃はしてこない」と確信しているからだ。
このような思考が、偶発戦争を惹起するのだが、基本的に「民主主義国」の日本と、「共産党独裁政権下のシナ」では第一線兵士の行動に格段の相違があることを、民主主義国日本の指導者である政治家は十分に理解してかからねばならない。事が起きてからでは遅いのであり、今回のダッカ事件のように、東シナ海で犠牲者が出てからでは遅いことを肝に銘じてほしい。
このような事態に備えて政治家が指導することを「シビリアン・コントロール」と一般に呼ぶ。
しかし、それができないようでは「シビル・アンコントロール」と言われても仕方あるまい。


政治家にはより一層混沌とした国際情勢に対応できる素養を求めたいが、それを選定できる有権者には、ダッカで「ドントシュート」と叫びつつ犠牲になった日本人の無念を晴らすためにも、憲法が今のままでいいのかをしっかり考えて投票してほしいと思う。憲法9条には何の効力もなかったことが証明されたのだから…


テロ犯6人は貧困家庭の出ではなく、いずれも裕福な家庭出身で、中には大学で高等教育を受けていたというから、今や「テロリスト=貧困家庭出身者」と言う図式は崩壊した。
タリバンに銃撃されて重傷を負い、2014年にノーベル平和賞を受賞したパキスタン出身の少女、マララ・ユスフザイさんは、国連で「1人の子供と1人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えることができる」と教育の重要性を訴えたが、バングラで“高等教育”を受けたテロリストらには通じなかったようだ。
既に「教育」の持つ意義と目的にもひび割れが始まっている。何も信じられなくなりつつある現在、せめて信じるに足る『自家製憲法』を持つことが急がれると思うのだが、未だに時代遅れのシーラカンスや、ゾンビが粋がって出てくるようでは、第2、第3のダッカ事件は防げないだろう。


ご参考までに7日の産経【宮嶋茂樹の直球&曲球】を紹介しておく。全く同感だから。


≪センセイ方、憲法9条の精神をIS支配地域でに広めてきたれよ
 むごい…また同胞がイスラムテロリストどもによって殺された。しかも7人。ただ異教徒であるという理由だけでである。

 7人はゼニもうけのために、かの国へ赴いたのではない。洪水のごとく浪費を繰り返した前東京都知事の、おそらく何十分の一かの費用で質素な宿に泊まり、かの国のお役に立ちたいと額に汗して働き、奉仕しとったのである。

 そんな善良な、しかも丸腰の外国人をなぶり殺しにするという、何という卑劣な、何という冷血漢。

 誤解を恐れず言わせてもらう。ここ最近のテロの多くがイスラム教徒の手によって起こされてはいないか?

 イスラム教徒の多くは平和を愛し、殺人など認めていない、テロリストは本物のイスラム教徒やない、というんやろ。

 それでもや、現実見たらイスラムという宗教が、テロリストどもの洗脳に利用されやすいのは間違いないんとちゃうんか?

 この国民の重大な危機に、わが国の官房長官が地方遊説しとるのはケシカラン、と野党第一党の代表がほえとるけど…最高責任者の安倍晋三首相は地方遊説を取りやめ、国家安全保障会議開いとるからエエやん。現政権を「危機管理がなっていない」とコイとるけど、アンタもどっかの遊説先におったんとちゃうの。今回の悲惨極まる事件を政争の具にするんやなくて、政治家として、いや人間としてやることがあるやろ。口先だけやなくてや。

 野党のセンセイ方が金科玉条のごとく尊ぶ憲法9条。ノーベル平和賞にと実のない運動やっとるヒマがあるなら、ぜひバングラデシュ、いやイラクやシリア内のイスラムスンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の支配地域へ行って、戦争放棄をうたった憲法9条の精神、広めてきたれよ。ISに無残に殺された犠牲者にも9条の素晴らしさを訴え、魂の救済をしてきたらどないや。

 ただし、納得してもらうまで日本に帰国したらアカンで。いまだフリージャーナリストがイスラム原理主義者に捕らわれとることも忘れるな。彼や彼の家族にも思いをはせていただきたい≫


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SAPIO・8月号
今月号はEU離脱から国防軍創設を説いているが、次号はより直接的な、「ダッカ事件から国防軍創設」が説かれるのではなかろうか?

ぬるま湯に浸った「御人よし日本人」にうってつけの内容だと思うが、反戦左翼には目障りだろう…。


「軍事研究」8月号。
大国はもとより、中小国においても国家防衛のための武器と技術の開発は一刻と言えども休むことはない。わが国だけは、いかに近代武器を装備しても、軍隊ではなく“法的には”「警察予備隊」だから縛りが多すぎる。
今月の記事では、≪戦闘外傷からのサバイバル「駆け付け警護」自衛隊は戦死者続出≫が貴重である。
著者は元陸上自衛隊富士学校・衛生学校研究員の照井資規氏である。
≪高速ライフル弾で撃たれると肉がはじけ骨が砕ける…、そんな銃創の現実が日本では認識すらされていない。失血死を防ぐ止血処置の時間はわずか2分、そのため先進国軍ではすべての戦闘員が救命装備を携行している。“駆けつけ警護”に赴いた自衛官が銃撃されたら、戦死者読出は必至だ!」とリードにある。三沢基地の演習で、その実態をよく見て感心したものだが、“軍隊もどき”のわが方には、その発想すら当時はなかった。
大東亜戦争の延長上で戦争ごっこをしているのか?と感じたものであった。
今回帰国した7人の司法解剖を担当した医者は十分理解したであろうが…。
防衛大臣に、陸自ではどう習ったか、そして今はどの程度改善したのか伺いたいものである。

安保法制と自衛隊

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戦闘機パイロットという人生

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日本を守るには何が必要か

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stranger

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