昨日の朝刊を開いて驚いた。「性別変更に生殖機能をなくす手術が必要だ」つまり、「従来の憲法は、違反だ!」と決定したのである。しかも裁判官15名が全員一致したという。
人間の「性」は、生まれつき天から与えられたものとして、人間はこれに反しないで生活をしてきた。「男は男、女は女」だとされたのである。
遠くアダムとイブのころから定まっていたものを、たかが15名の「日本人の裁判官」が、否定したのである。
「ぺニスを持っているけど、私は女なの」と言って通用するようになったのである。之こそ「天に恥じない不遜な行為」ではあるまいか?
何時からわが国の最高裁裁判官らは、【天をも恐れぬ存在】になったのだろうか?。
しかも、一応政治家のように「我々から選定された人たち」ではなく、「なりたくてなった人たち」なのであり、要するに「隣のおっさん」達が、である。
しかし今の世は不思議なもので、オチャラカ番組は栄えているが、国民のほとんどは、裁判官の「質」を見て見ぬふりを決め込んであるように思える。「性同一性障害者」という人種が、わが人口のどのくらいを占めているか知らないが、(生活が懸かっている本人達は真剣だろうが)、要するに「同好会」程度のものだろう。
翌日ジャーナリストの櫻井よしこ氏が、「判断に強い違和感と危惧」を感じると、産経紙たが、全く同感である。その下に棚村政行という早大教授が、”賛成論者の肩を持つかのように”「不安払拭への努力も不可欠」などと、訳知り顔に書いているが、論旨不明瞭である。
桜井女史は、「15人の最高裁判官が、幾百世代もつながってきた日本の価値観や社会の根幹を変えようとしている。たった15人の判断でこんな大事なことを変えていいのだろうか」と疑問を呈しているがその通りだと思う。
今日の産経抄には、きわめて正常な意見が書かれていて、「私は女(男)ーと言えば性を選べる、そんな誤解を広めてはならない。」と警告?しているが全く同感である。
「男らしさ」「女らしさ」という語が消えて久しいが、言葉は消えても実際は使われていないだけで、世の中には厳然として残っている。
宇宙のどこかに住む知的生命体(もしいるとすれば)が天から見ていたら、彼ら15人の行為をなんと見ただろう。
いよいよ「人間界の歴史」も、最終段階に入りつつあるような気がして、鬱陶しくなった。
届いた書籍のご紹介
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Hanada 12月号
WILL 12月号
両誌とも、かなり激越なタイトルを書くようになった。WILLの10月号に「学はあってもバカはバカ」と岩田氏の論文が出たが、今回の最高裁裁判官たちその中に入るだろう。
今月号には「蛮行を庇う愚か者たち」という飯山陽女史の論文が出た。「黙ってみていられない?」という証明かと思う。雑誌の売り上げに協力するのではなく、市民生活の向上に貢献してもらいたいものだ。