軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

厳しい年明け

   昨年末に友人たちから「よいお年をお迎えください」と挨拶されるたびに、私は「よいお年ではないので、おめでとうとは申し上げません」と答えるので笑われていた。

  きっと「へそ曲がりの病み上がり者だ!」と思われていたことだろうが、事実だから仕方ない。

 私事だが、後期高齢者の仲間入りをして以降、年賀状は終了したのだが、それでも「いただくこと」が多く苦慮していた。今年も70通を超える年賀状が来たので、返事を控えることが失礼に思われ、久しぶりに差し上げたが、標記のようなものになった。

 

 年明け早々の能登半島地震は、被災者の方々には全くお気の毒としか言いようがないが、続いて起きた羽田での航空機事故は、十分に避けられたものであった。どこかにゆるみがあったのだろう。

 私には「確信」があるがあえて言わない。何度も体験してきていたものだから・・・

 関係者はいろいろと理屈を述べるだろうが、離陸時と着陸時に最も注目しなければならないことは、着陸する滑走路の「安全確認」である。

 そのために管制塔はあるのであり「管制官」がいるのである。当然、着陸する操縦者もいるのだということは誰もが知っているのにだれもが「忘れている」のだ。犠牲になった海保の乗員は実に気の毒である。

 JALの方は乗客の協力もあり無事に済んだが、これが乗員たるCAの仕事である。彼女らは任務を果たしたに過ぎない。

 これらの事例に対する「報道」を見ていると、この国は「緩んでいる」と思わざるを得ない。

 友人の陰陽師氏によると、辰年には不思議な事件事例の因縁があると言い、その実例を挙げているがよくあたっているので感心する。

 天変地異の代表格である「地震」は、あれだけ「予知連絡協議会」などが活動していても、未だに「当たるも八卦」である。

 自分の身は自分で守る、のが人間たるものの生きていく上での「基本条件」であることを改めて思い知らされる。戦争もそうだが地震大国ならではの国民の諦観とでも言うべきものだろうか?

 

 最近、特に近しい方々の訃報が続くが「時代の転換期」だと改めて思わされる。

 国基研の副理事長であった田久保忠衛氏も天に旅立たれた。憲法はじめ思い残されることは多々あっただろうに。

 

 友人であり師でもある小堀桂一郎先生が、「何よりも『強い国日本』の復活を」と唱えておられる。私も全く同感だが、「強いことは悪いこと」だと勘違いしているこの国で、いかほどの人たちが同感することだろうか?と寂しくなる。

「時代の転換期」は、国そのものの「転換期」でもあるかのように見える。

 厳しい年の明けである。