軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「帰って来た蛍~令和への伝承~」を見て思う

30日土曜日、猛暑の中、昔「防衛庁」があった懐かしい?六本木まで出かけて、俳優座劇場で「帰って来た蛍」を観劇してきた。

この作品は平成20年に上演され、その後何回か再演されてきたものだが、今回は時間があったので、「令和への伝承」が果たされるのかどうか、現場で見ようと出かけた。

日野市の田舎から出かけたが、交通網の発達は著しく、殆ど「直通」的に六本木につくことができた。

昔、「防衛庁」があった一角は高層ビルに代わっていたが、周辺の賑わいは依然として変わらなかった。ただ残念なことによく立ち寄った「本屋」は消えていた。若者たちのスマホにとってかわられたのだろう。

熱心な観客で座席はほぼ一杯だったが、若い女性の連れが目立ち、中には私と同年代?の老夫婦もいたし、小学生の少年を連れてきていた家族もいた。

ドキュメンタリー作品の上映ではなく演劇だから、出演者の動作、発言は意図的に独特なものなる。しかしこれが演劇の醍醐味というものだろう。

相変わらず「憲兵」は悪役で損な役回りだったが、当時の時代背景を語る上に欠かせないものなのだろう。

出撃シーンは出発式で置き換えられていたが、「皇居遙拝」など、現代っ子らに理解できなかった点もあったに違いない。それぞれ自らの「故郷」に向かって別れを告げるシーンもそうである。昭和から令和、70年以上も落差がある

 

しかし特攻隊が米海軍艦艇を攻撃するシーンは、米軍の実写シーンの映像だったから、迫力があった。

「特攻作戦」は「統率の外道だ」と海軍の大西瀧次郎中将は語っているが、その通り、外道ではあったが他に手段はなかったのだ。そしてその“主役”となったのが彼ら若き青年たちであった。存命だったら、どんなに優秀で戦後の時代を立派に立て直してくれていたことだろう…運命としか言えない・・・

終戦目前の6月6日に、出撃を命じられた宮川三郎少尉は、この日が20歳の誕生日、その前日「我々が生きていたことは忘れられるのだろうな」と同期につぶやく。日本国民は「靖国神社」を忘れるはずはないのだが。

しかし時代が過ぎ、やがて年を経ると“現代人”には次第に忘れ去られるだろう…と懸念する心境がよく胸に伝わった。

事実、戦後の日本人は、“外野”に騒がれて首相自らが参拝を躊躇している有様で、純真な英霊方の心を踏みにじっているのだ。

 

聞くところによると、墓参りをしてくれる親族知人がいる間は、魂は墓に居ついて加護してくれているが、だれも来なくなったら、やがて天空に去っていくのだという。つまり「無縁仏」になる。

宮川少尉はそれを懸念したのだろう。だから彼は生きていた証として、“戦死”とともに、実家と「富や食堂」に「ホタル」となって“挨拶”に来た。蛍は「魂を運ぶ」という。

 

終戦とともに、価値観は急激に変わった。いや、変えさせられたというべきか。

一人宮川家だけではない。海軍の特攻第一号と言われた「関行男」大尉の愛媛県の故郷では、母親は夫の没後草餅の行商で家計を支えていた。そして彼は新妻を残して出撃している。やがて離縁となるが・・・

母は、当時は「軍神の母」と称えられたが、戦後は一転して遺族に対する国からの扶助も打ち切られ、しばらく草餅の行商に戻るが、昭和28年11月9日に用務員室で急死するまで、石鎚村立石鎚小学校の用務員として生計を立てていた。享年57歳、子供がいなかった関家は断絶している。

宮川少尉は蛍となって、実家に戻ってきたが、関大尉はどうだったのだろう? 戦死後母上が急死するまで、彼も「ホタル」となって母のそばに寄り添っていたと信じたい。

大西中将一家も断絶した。中将は責任を取って自決したのだから、夫人も覚悟していたに違いなかった。

大西夫人も行商中に熱射病で倒れ、それを救ったのが元海軍出身の巡査だったから、零戦乗りとして有名な「坂井三郎元中尉」の印刷所に紹介される。

エンディングで整列する出演者たちを眺めながら、ふとそんな感慨にふけっていた。

公演は昨日終了したが、「令和への伝承」の目的が達せられていることを信じたい。

 

息苦しいのは”猛暑”のせいだけじゃない!

このところ、茹だるような暑さに行動力が少し萎えていた。今年はセミの孵化も遅く、異常気象続きで何かしらの不安感がぬぐえなかったが、豪雨化は通例になった感があるが、それに加えて地震、それに桜島の噴火が加わった。欧州や米国では熱波襲来で山林火災も頻発、フィリピンでも大地震が起きた。天の乱れは人心の乱れからくる、と昔神官に教わったことがあったが、まさにその通りだと痛感する。今以上の人心の乱れは過去にはなかっただろう。

 

わが国でも、政官界の乱れは言うに及ばず、教育会も医学会も、加えてスポーツ界まで乱れ切っている。日本人という“民族”が“異民族化”したのかもしれない。

あまりにも「記事ネタ」が多いので、新聞紙面もほとんどこれらのスキャンダルに覆われているから息苦しくなる。マスクのせいだけではないようだ。

あれだけ物議をかもした東京五輪も、「電通出身」の理事らと、一儲けをたくらんだ洋服屋が「道に外れた行為」をしていたことが明らかになったが、これなんぞ氷山の一角にすぎまい。

日大の理事長といい、今回の五輪といい、どうしてこんな「輩」が組織の上に立つのだろう?人事に詳しい方々の意見が聞きたいものだ。

新興宗教」も異常だ。もともと半島生まれのイカサマ臭い組織だったのだが、すぐ政治家がそれに組して社会に害毒を垂れ流す。禁止する規則がないというのも不思議だが、これもやはり「新憲法」による弊害か?じゃ、憲法を取り消せばいいのに…

 

そんな息苦しい(コロナ禍だけではなく)記事が氾濫する中に、ほっとするエッセイがあった。

80歳の作者の素直な心が現れている。

…黙々と働いておられる姿を奥様や子供さんに見せてあげたい。家では見られないお父さんの姿を見てあげてほしい。何かを感じるだろうな…

 昔、基地司令時代に部下たちの御夫人方による「職場見学」を実施したことを思い出した。翌日「御主人」が「夕食に一本つきました!」と笑顔で語っていたが・・・

福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と説いた。「学問ノススメ」の最初に書いたのだから「学問の重要さ」を説いたのだが、それは広く現在にもまったく当てはまる普遍的な考え方だと言えるだろう。しかし、学問とは別に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に励んだエリートもいたが・・・

以前「職業に貴賤はない」という言葉を取り上げたことがあったが、この作者の心にはそれが見えてくる。文中に出てくる「若い大工さん」は、「実業」に携わる若者の姿が活写されている。それに比べて「虚業」にうつつを抜かし、虚業の最たるものである政治?の世界に飛び込んで、分不相応に当選したものの、不真面目な“字=虚名”で通し、かつ外国から参加する、などという輩が出てきた。国会とはまるで「幼稚園の学芸会」ではないか!そこまで日本の政治は堕落したのかと思う。しかもそれさえ「取り締まれない」というからまさに「漫画の世界」だ。

話は変わるが、14年前に秋葉原で集団殺人をした男に死刑が執行されたという。こんな「非人」を14年間も生かしておいたのはなぜだ?被害者の人権は無きに等しいが、加害者は14年間も「国費」で生き延びさせる価値があるとでもいうのか?まさに「放置国家」である。

言い出せばきりがないが、それもこれも「政治がまっとうに機能していない証拠」だと言えるのではないか?

 

ところで私が顧問を勤めていた「兵法研究会」で、家村会長が「陰謀と戦争の人類史」についての講座を開くという。彼は言う。

【人類の歴史は、陰謀と戦争の歴史です。万物の霊長として神聖にして博愛に富むべき人類の理念を捻じ曲げ、人々から自由と平等を奪い、歴史を塗り替えてきた陰謀、そしてその陰謀によって引き起こされてきた数々の戦争がありました。本講座では「陰謀と戦争」を主軸に古代から現代まで人類史の実相を究明し、故意に消された真実の歴史を見つめながら、地球と人類の平和について考察いたします。8月の講座では、地球上で最初にできた陸地である日本列島とこれを雛形としてできた世界大陸をそれぞれの地理的特性から比較するとともに、日本と世界が相似地形を形成している理由と、そこに秘められた人類へのメッセージなどについて、『古事記』『日本書紀』やそれ以前に記された古文書を紐解きながら解説いたします】

われわれ日本人は、今一度わが国古来の歴史(のみならず近代歴史も)と伝統、文化、習慣、しきたり、人々の付き合い方などについて、立ち止まって考察してみる必要があるのではないか?新聞には、あまりにも不合理で怪しい話が連日溢れかえっていて読者は悪に「不感症」になっている気がする。そして、あまりにも身勝手すぎて、自らの首を絞めているように思えてならない。蝉の声に励まされて「反省の記」を書いてみた。

 

届いた書籍のご紹介

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「WILL」、「HANADA」が軌を一にした安倍首相追悼特集号を出している。それぞれの執筆者が安倍元総理に哀悼の意を表するとともに、その業績を称え、テロへの憎しみを述べている。ただ、死が唐突だったからか、わが国の歴史などと比べた歴史考察を踏まえた評論はみあたらない。

「安江邦夫・小林政学共著:明窓出版¥2000+税」

安江先生の近著である。帯にあるように「新しい医療の可能性を理論物理学者とともに探求している」体と心の合体が、今一番要求されている時ではないか?

右往左往している厚労省のコロナ対策を見ているとそう考えさせられる。

「国家理性及び国体について・小堀桂一郎著:明成社¥2000+税」

「苛烈なる現代の国際社会における安全保障の最大の条件は、国際関係の法的秩序が常に公正に維持されてあるということ」であるが、わが国の外交は、他国は「当然法的秩序は維持されている(はずだ)」言う前提に立って進めているのじゃないか?

今回のロシアのウクライナ侵攻を見て、70年前に我が国が被った満州樺太北方領土に対する無謀な侵略行為を、ほとんどの日本人が忘れてしまっている気がしてならない。

その秩序を安定した形で保持すべき要因は端的に武力・軍事力以外にない」と先生は喝破している。将来を担う学徒にぜひご一読願いたいと思う。

女性の活躍に期待する!

国家基本問題研究所の今週の直言【第943回】 令和4年7月19日に「憲法改正を必ず成し遂げる」と自民党政務調査会長衆院議員である高市早苗議員が書いている

第1次安倍政権退陣後の平成 22 年 2 月 5 日に、同志議員とともに、基本理念を立ち上げた。同日付で発表した「基本理念」の一部に「自衛隊を「国防軍」と位置付けよ」とし、その理由として「われわれは、戦後ただの一度も憲法を改正できず、自分の国を自分で守ることも、誇りある歴史と伝統を学校教育を通じて次代の子供たちに伝えることも、公務員制度を含む行政改革等も、十分になしえてこなかった責任を強く自覚せざるを得ない。誇りある独立国家として復活するためには、このような『戦後レジーム』からの脱却を何としても成し遂げなければならない」とする。

そしてその後、平成 24 年 4 月 27 日に、自民党は前文から第 102 条まで全条文を整えた『日本国憲法改正草案』を発表したが、高市議員は「憲法は、『国家の統治機構の設置根拠と運営の基本』と『国民の地位』を定めた『最高法規』だ。よって、憲法に反する内容の法律は作れない。長年の議員立法作業で直面したのは、常に憲法の壁だった。現行憲法制定時に較らべると、人・モノ・情報が容易に国境を越える時代になり、インターネットの普及など技術革新が進み、日本の安全保障環境も激変した。そして【現代と次代に生きる国民の生命、領土、国家の主権と名誉を守り抜ける憲法の制定は急務だ。遺された同志議員の力を結集して、必ず成し遂げる】と力強く結んでいる。

確かに‟環境”は変わった。今年の第167回芥川賞は5人の受賞者すべてが女性作家であることからもわかるように、意気地のない“男性”に比べて“女性の活動力”は圧倒的に群れを抜いている。筋肉量の少ないことはやむをえないが、それでも格闘技に進む女性も多いから、やがて大相撲も女性に席巻されるのではないか?(笑い)

少なくとも男性陣が“尻に敷かれる”ことは請け合いだろう。ここまでくると、憲法改正も”女性陣”に任せた方がいいと思う。期待しよう。

しかし宮嶋氏が「直球・曲球」に書いているように、女性の中でも「アイツら」はしぶとい。こんなお方もいるから油断はできないが、まっとうな方々は実力を伸ばしていることは疑いない。

”しぶとい”彼女たちは視野狭窄症の方々だから、比較するのは控えるが、次回の選挙では“一掃”されることを期待したい。

今朝の産経は、今回の選挙を分析し、「ネット活用続々新タイプ」と見出しに書いた。

従来以上に候補者による交流サイト(SNS)の活用が目立った。インターネットで影響力を持つ「インフルエンサー」が数多く出馬したのも特徴だった。背景には2年半以上にわたる新型コロナウイルス禍で、政治家にも有権者にもネットの利用が増えたことがある。

選挙戦ではその影響力が如実に現れた】というのだが、インターネットの世界が拡大し、詐欺事件も、殺人事件もネット利用で行われていて、社会問題化していることに気が付かなかったのだろうか?やはり「政治の世界」はメディアの「ワイドショー」に“分類”されていて、インフルエンサーの影響力を過小評価していたのだろう。メディアにおいてもこうだから、ましてや「既成政党議員(候補者)」は無視していたに違いない。

これが我が国現代社会の落とし穴で、「政治は政治、インターネットは別」的に”上から目線で”差別していたのだろう。

しかし、昨日書いたが、「想像もしなかった?」参政党の議席獲得につながった。

記事には【自民幹部は「我々も選挙スタイルを再考しなければならない」と舌を巻いた】とあるが、そんな認識で「声なき声」を収拾できると思っていたのか?

「国民の身に寄り添って…」だの、「聞き上手を得意とする?」と総理はいうが、自分に反発する者の声は聞こえないのじゃないか?。シンパばかりの声に耳を傾けていたのではないか?

軍隊の作戦会議では、あえて幕僚の立案に反して、別の案を採用するのが指揮官の務めである。それが「指揮官の責務」なのだ。

 

同好の士?が自然に集まってきて組織ができ、資金さえも‟統一教会のように強引に”奪い取らなくても、自然に進んで金品を寄付、つまり‟喜捨”したくなる応援団を作るのが、真の民主的な選挙方式ではないのか?何にそんなに金が必要なのだろう?

再び「参政党」の話だが、ABCテレビが神谷君の記録を投稿していたから、「参政党」の動きの一部をご紹介しておこう。この姿が真の候補者の姿だと思うのだが・・・

【密着】結党から2年で議席獲得「参政党」とは? 街頭演説に黒山の人だかり ベースは今の政治への“不信感”【参院選2022】 - YouTube

 

「参政党」の躍進に見る!

いささか旧聞に属するが、産経新聞参院選挙に関して次のような記事を書いた。(他の新聞は読んでいないから知らないが)

この記事を単なる「選挙結果の報道」だととらえるか、それとも「世情を表すバロメーターの一つ」としてとらえるか、という視点がメディアはじめ、既成政党グループには欠けているように思う。

参政党は令和2年に神谷氏らと有志が集まって設立されたものだが、わずか2年で一議席を確保することは至難だから、選挙中は誰も無視していた。

そこで見向きもされない「諸派」と称する「泡まつ候補」の中に含められていたが、本来の「諸派」たる「ごぼう」「幸福」「日本一」「くにもり」「新風」という、何回挑戦しても芽が出なかった本来の「諸派」から抜きんでていた。これは新しい「宣伝方法」である「ユーチューブ効果で、短時間で拡散したことが要因」とする分析が多いが、実に‟偏見に満ちた”分析であろう。

本来選挙とは、国民(有権者)にその信を問うものであって、一時的な人気取り行動ではないことを忘れている。なぜ勤勉でまじめな日本国民の有権者が、今まで50%程度しか投票に行かなかったのか?を分析していないのだ。つまり真面目な有権者にとっては「投票するに値しない候補者や政党」がいなかったのだ。

時事通信は【参政党は初めて挑んだ参院選議席を獲得し、得票率2%以上の政党要件も満たした。結党から2年だが、支持をじわじわ広げてきた。「党員参加型」のスタイルで、既成政党と差別化を図りながら勢力拡大を目指している

 参政党は、参院選で初当選した神谷宗幣副代表兼事務局長を中心に、2020年4月に結党。参院選では比例代表と全45選挙区で計50人の候補者を擁立。比例で約176万票(得票率3.3%)を獲得し、1議席を得た】と報じたが、その“躍進”について【参院選では、「投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる」をスローガンに掲げ、党員になれば党の政策づくりに参加できることをアピールした。インターネットでの情報発信に力を入れ、支持者らが街頭演説の様子を動画投稿サイト「ユーチューブ」に積極的に投稿。党員・サポーター数は今年1月時点で約1万人だったが、15日現在約9万4000人に急増した。 政策面では、新型コロナウイルス対策での「マスク着用自由化」といった主要政党が掲げていないことを訴え、既成政党に不満を抱く有権者の受け皿になったとみられる。外国人労働者の増加抑制などの保守的な政策も唱え、自民党内には「岸田文雄首相に不満を持つ保守層が参政党に流れた」(中堅)との見方も出ている』と分析している。そして【来春の統一地方選で、参政党は全国各地で候補者を擁立する方針。次期衆院選を見据え、党の基盤強化を目指す。15日に東京都内で記者会見した神谷氏は「地方の支部の地道な活動が躍進の一番の原動力だった。地域組織をいかに強くしていくかが(自身の)大きな仕事だ」と強調した。】と結んでいる。(2022/07/19)

つまり既成政党のほとんどは、過去のしがらみや票勘定に躍起となりすぎ、有権者の意識の流れを掴んでいなかったのだ。そんな「口先だけの」候補者に真っ当な日本人が投票するわけがなかろう。要するに政府自民党はじめ既成政党は、マンネリズムに陥っていたのであり、「希望的観測」に浸って自らを省みることをしてこなかったのだ

つまり私の言う「法治国家ならぬ放置国家」を形成していたのである。

この「国民の不満」について、今回は参院選という政治の場で、「参政党」が真っ当な政治のあり方を提示したのだが、どこまで有権者が理解できたことか。次回の選挙からは「台風の目」になることは疑いなかろう。

さて、話は一部変わるが、今回の安部元首相殺害事件は、一個人の似非宗教団体への不満から起きたものだ、と識者は考えているようだが、その認識も甘かろう。

企業関連コンサルティングをしている高島康司氏は自身のメルマガで「今回の殺害事件は、3つの点で同種のテロがこれから日本で拡大する可能性を示唆している」とし「1つは容疑者は特定の宗教団体によって家族がバラバラになったと逆恨みした単独犯の犯行である点。2つ目に、容疑者は過激思想を持つ特定の集団の指令で行った犯行ではない点。そして3つ目は、銃撃に使われたのは手製の武器であったという点】だとして、【これら3点から、同種のテロは政治家を殺害する動機のあるものであれば、基本的には誰でも実行可能であることを示した】と警告している。

そしてその背景には、【30年近く続く低賃金状態、拡大する格差、放棄された終身雇用、拡大する派遣と低賃金労働、若者や女性を中心とした自殺の増加などという多くの国民が直面する苦しい状況がある一方、企業の巨額な内部留保金、日銀が演出する高株価とミニバブル、所得を増加させた富裕層、有効な政策を出せずに停滞する政党政治などの現象がある】【いまの日本では、社会に対するストレスが沸点に達しており、いつ爆発してもおかしくない状況だからだ】という。そして【こうした長年続く極度の閉塞状態に苛立つ国民は多い。そしてそのストレスを、派遣と低賃金労働に喘ぎ、ある程度の学歴があるにもかかわらず、結婚もできず将来も見えず、生きる意味と希望を失った「無敵の人々」が集中的に表出するようになっている】と分析し、「安倍元首相の殺害は、日本社会で沸点に達したストレスを表出する「無敵の人々」に、新たな表出方法の可能性を示したのである」というのである。

この論法を「参院選」に借りれば、安倍氏の‟犠牲”による“同情票”で躍進したことを忘れて満足していてはならないはずだし、「参政党」の躍進こそが、国民大多数の「不満の表れ」であるということをも知らねばなるまい。

そして政権にしがみつく“与党”、とりわけ既成の「泡沫野党」などは、戦後70年以上も「存在している意義さえなかったことに気が付かねばなるまい。

「参政党」の参加により、既成政治に「風穴」が開いたことは事実だろう。

 

驚いたメディア関係者の不勉強!

安倍晋三元首相が銃撃され亡くなってから、早10日たった。国民の大多数は、民主主義を暴力で否定した行為を憎み、安倍氏の死を悲しんでいるが、犯人の襲撃原因が、カルト宗教に一家を破滅に追い込まれた恨みであることがほぼ判明した。

しかし一部の政治勢力の中にはその死を「自業自得」と印象付けようとする動きがあるが、日本人とは思えない卑劣で恥ずかしい行為だと思う。多分統一教会派かそれに類する組織の動きなのだろう。

テレビ朝日に出演した有田芳生参院議員があれほど世間を騒がせた統一教会の「強制的な合同結婚」や「インチキツボ」の販売など、その正体のいかがわしさについて「テレビ局の人でさえ知らなかった」として「旧統一教会をめぐる報道の空白に危機感を示した」ことは意義があった。如何に「ワイドショウ」という名の番組が、いい加減な調査とうわさや想像で無責任に世間を誘導しているか、という証拠だからである。

今まで判明した報道から見ても、この事件は明らかに「一家が崩壊した恨み」を「統一教会」に当てはめ、そんな宗教組織に、一国の総理たるものが「祝辞」をビデオレターで提供していた軽率さに、容疑者は目標を変換したのであろう。

ここが「味噌も糞も」同一に「票」と「人気取り」に目がくらんだ現代政治家らの落とし穴があったのだ。

そんなあくどい集団の活動も禁止できない政治とは何だ!有田氏は「政治家が拒否した」という。

そうなるとこれが現代民主主義の限界でもあるのだろう。

直接政治に指導力を発揮している“それに近い”宗教団体の強引な集票手段(住民票の一時的移動や、移動もままならぬ老人を選挙会場へ強制移動させて代筆投票する)などをあてにしたこの党の“違法行為”を黙認してきていた、選挙管理委員会などへの批判で、最近は投票所の監視活動は比較的“厳正”になってはいるが、抜け穴はまだまだある。

今回の選挙で、この党の集票能力が落ちた!」とされているのは、このような裏の手段が利かなくなりつつあるからだろう、と私は見ている。まるで米大統領選挙の投票所に似ているじゃないか!

時代をさかのぼると、このようないかがわしい“団体”が誕生した裏には、1962年のキューバ危機や米ソ間の米ソ冷戦という緊張状態があったことは事実である。

しかし、終戦で「牙を抜かれた」大日本帝国は、依然として国家的危機には無関心で、一部の有志が気をもんでいるだけだった。「勝共連合」という団体の創設は、まさにそういった世界的緊張が最高潮の時期であったことは知っておくべきだろうが、高学歴で“無教養”な札束勘定にたけた社会人が当時の国内には跋扈していた。

忘れては?いまいが、そのころはベトナム戦争真っただ中で、国内ではなんとなく“不安を感じる”青年たちが、やり場のない不満を日米安保闘争という、イデオロギー闘争でうっぷん晴らしをしていた時期である。成田闘争もおそらく知るまい。

そしてベトナム戦争に対するアメリカの直接関与は1973年まで続いていたのである。つまり国際情勢に著しく左右されていた日本は、経済的には“特需”をむさぼっていたが、冷戦構造という中にあっては、アジアにおける最前線に立たされていたのであった。そんな中で、大東亜戦争を引き継いでいた?日本の政財界人たちが反共精神をたぎらせていただろうことは理解できる。

戦後育ちの私でさえも、ベトナム戦争に関しては「大東亜戦争の決着をつける『反米決戦』ととらえていて、仏領インドシナ(今のベトナム)に残留した多くの日本兵が、一度武装解除したフランス軍が、終戦とともに戻ってきて、日本軍“捕虜”にソ連軍ほどではないがあくどい仕打ちをしたため脱走して、ゲリラとなってべトコンを援助し、ついにベトナムから撤退させたが、今度はそのあとを埋めるように侵攻してきた米軍と戦い、ついに日本軍的戦法をもって米軍まで撃破した。つまり、昭和50(1975)年4月30日にサイゴンを陥落してベトナム戦争終結させたのである。つまりベトナム戦争大日本帝国陸軍の「大東亜戦争の弔い合戦」だったと私は見ている。平成24年12月8日、青林堂から上梓した「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」に詳しい)

さて、そのような観点から戦後史の一端をのぞき見るとき、半島からの、阿漕な「恨」的行為が、日本人弱体化を目指して、陰に陽に繰り返されていることを知る。

統一教会もそうだが、それよりもはるかに強力な組織が、日本の保守政治?を動かしていることを、メディアの方々はよもや忘れてはいまい!

有田氏がどういう観点から発言したか知らないが、もっとメディアの方々には、「常識力」を強化してほしいものだ。あまりにも不勉強だろう。でなければ、安部元首相射殺問題も、見事に?躱されて終わるような気がしてならない

国葬」もいいだろうが、根本的な日本再生運動をメディアが先頭に立って開始すべき時期だと思う。落日迫る「新聞」でも構わない。しかし、だれも手をあげないだろうな~

安倍氏が掲げた「日本を取り戻す」のはそこにあるのだが・・・

世にはびこる”恐るべき新興宗教”とその害毒

世界平和統一家庭連合」とは、恐れ入った。どこにも「世界平和」を追求する姿勢はなく、単なる‟標語”にすぎないばかりか、「家庭連合」とはいったい何を表すのか?「信者の家庭」を破壊して不幸にしておきながら、ヌケシャーシャーと言ったものだ。

事実この集団では「跡目相続」で内紛が起きているというじゃないか!どこが「家庭連合」か

この“宗教集団(統一協会)は1954年、韓国ソウルで創設され、現在194カ国で活動しているという。日本では59年から活動を始め、64年に大阪府出身の東竜太郎都知事時代に認証されて宗教法人となっている。

1954年と言えば、朝鮮戦争が一時休戦になったころであり、わが国では防衛庁自衛隊が発足しする一年前に当たる。そのころ、半島に「世界平和を目指す」「高名な聖職者」が誕生したとは、寡聞にして聞かない。

記事によれば、創始者文鮮明氏は1920年生まれで、熱心なクリスチャンとして育ち、1935年の朝、イエス・キリストが霊的に現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受けたとされ霊的な守りの中で育った韓鶴子夫人は1954年5月1日、ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立したという。

白馬にまたがって霊的に出現した偉大な人物、などとはこの手の物語を脚色する手段である。半島には北にもこの手の話は非常に多い。(講談社から上梓した「金正日は日本人だった」に詳しく書いた。)

文鮮明氏は1968年には世界を共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設しているが、「勝共」というネームが当時の情勢下の日本では、特に一部保守派などに受け入れられたのかもしれない。しかし、北朝鮮が未だにカルト国家であるように、この国の‟物語”らしい側面が非常に多い。だれも「神の世界」は見ることができないし、赤ん坊の霊的啓示など見えないからである。

本音はおそらくこの一家の「生活手段確保」としての生業だったのだろう。人心の乱れを利用した、半島らしいカルト集団だったと思われるが、お人好しな日本人はころりとだまされた。

おそらく終戦で苦労して半島経由で帰国した日本人も多かっただろうから、日韓間に人種的意識もそう強くはなかっただろうと思われる。尤も終戦までは同じ”国民”だったのだから。

 

統一教会とは に対する画像結果

なぜか天皇を気取りたがるたがる半島人(インターネットから)

報道によるとこの集団は、多くの日本人信者をターゲットにして、徹底的に寄付集めをし、それで「韓国人入信者」の家庭を潤していたというから「従軍慰安婦」問題や、軍艦島における「強制連行」事件に共通した流れが感じられ「詐欺的国際犯罪」ではないか?

「神様」を掲げて法外な献金を要求するということが、この集団の「俗物性」を表している。

日本の神様は、お賽銭は“要求”するが、法外な‟献金”は要求してはいない。その時点で直ちに理解して“離脱”すべきであったが、家庭内の不幸で心身ともに疲労していたであろう容疑者の母親には、その判断がつかなかったのだろう。もとより“彼ら”はそこを狙う。

この実例は、世界を脅かしたオウム事件がよく表していたが、すでに昔のこと。犠牲者家族以外はだれも覚えていないし、教訓も学んでいない。

熊本出身の目の不自由な男が、空中浮遊できると称して、多くの若者(それも高学歴者)をマインドコントロールし、世界平和どころか、日本社会を破壊しようとした事件である。この時も多くの識者が、どうして高学歴の青年たちがいとも容易くマインドコントロールされたのか?と議論していたが、弱みを持つ人間には、必ず人にわからない”弱点”があり、相手はそれを突いてくるのだから、よほど強固な意志を持つもの以外防ぎようがない。

事実、政界にも、憲法に抵触する宗教集団が、まるでコバンザメのように食らいついて、日本の政治(家)?を票でマインドコントコントロールしているじゃないか!

こんな状況下においては、政治家たちは票を気にするあまり「正常な判断」が働かず、組織にうまく利用されることになる。だからいつまでも「憲法改正」ができなかったのだ。

奈良での事件を聞いた私は、当初「山上容疑者の裏にある宗教集団」とは、これではないのか?と“激震”が走ることを予測したがそうではなかった。

実際は同じ半島に根を持つ組織であったが、被弾した安倍元首相こそ気の毒だったと言える。政治家らしく、票と金、それに支持率には敏感だから、提供する必要もない「ビデオレター」で参加する愚を犯した。おそらく周辺に“シンパ”がいたのだろう。

今回の事件に登場した「会長」に限らず、テレビに登場する“大人たち”の人相には、どこか共通性がある。上に立つ人物として「不適格」な人相なのだ。

もう一度言おう。どこの国の神様も、食べ物もお小遣いも不要なのだ。必要なのは周辺にたむろして、「神様」を利用して稼ぐ“詐欺師”集団なのだということを「お人好し日本人」にはこれを契機に自覚してほしいと思う。

この世が始まって以来、聖者と呼ばれる人間は「キリスト」「モハメッド」「釈迦牟尼」など数人しか出ていないのだ。雨後の筍のように「聖人が生まれる国」はおとぎ話の世界だと知るべきだろう。

「お人好し日本人よ、早く目を覚ませ!!」

 

違和感覚える「安倍氏銃撃事件報道」

8日に安倍元総理が狙撃されて死亡した事件で、参院選挙に浮かれていた国内には“激震”が走った。

テレビ各社は取り急ぎ?情報を伝えたが、それぞれまれにみる?混乱ぶりで、危機管理がなっていない今の日本の状況を率直に伝えていた。いや、危機管理などという大げさなものではなく、要するに「たるみ切っている現代日本社会の醜態」をさらけ出したのである。

他社に先駆けようとするのはいつも報道陣の習性だが、それにしてもお粗末だった。

特に緩んでいたのは警備上の緊張感欠如だったろう。

奈良県警本部長が、自らそれを認めていたが、私は現地の自民党選挙対策本部にも大きな過失があったとみている。演説会場を見れば一目瞭然だろう。360度全方位から敵に狙われる配置じゃないか!なぜ警備担当者がそれを指摘しなかったのか?

通常配備する「宣伝カー」から降りて、聴衆と握手をする「人気取り」の段取りばかりに気を取られ、全く隙だらけであったから、私はやはりわが国には「軍事的発想」がある“責任者”は全くいないな~と落胆していた。そこに事件である。SPも警察官も、銃声を聞いて「花火?」とでも思ったのか、VIPに体当たりして防護することさえしなかった。要人防護ができなければ警備失格である。

奇妙な機材をぶら下げた報道陣も目ざわりだ。しかし「民主警察」だから報道陣の排除もできない。テロリストはいくらでもこれらを活用して目標に接近できる。

 

これからどんどんスタジオにはコメンテーターが登場してくることだろうが、あとはそれに任せるとして、元自衛官として聞き捨てならぬ報道に一言苦言を呈しておきたい。

犯人が「元海上自衛官」だったということと、今回の事件はどう結びつくのか?100年一日のごとく、続いているのがメディアの「自衛官たたき根性」である。

元海自の特殊部隊長だった伊藤祐靖氏は「イメージが一人歩きしている」として山上容疑者の犯行を「事前に銃撃に関しての専門教育を受けていたという印象はまったく受けませんでした。自分なりに射撃の練習はそこそこやったんだろうなとは感じましたが、組織的な教育を受けたいわゆる『プロ』の動きではありません。凶器として使われた銃にしても、あれは銃と呼べる代物なのか疑問は残ります。映像を見る限り、自作した金属製の打ち上げ花火と考えるのが妥当なのではないでしょうか」と断言している。

私も「元自衛官」の一人として言わせてもらうならば、新隊員課程を修了した程度の技量もない。今はやりのユーチューバーオタクだろう。

他方、テレビ報道に関わってきた専門家も今回の「報道に違和感」を覚えている。

その第一は、(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのかということである。まさか「政権与党」を忖度?したのじゃあるまいに、私も違和感を持っていた。論者も「警察が団体名を発表しておらず、取材でも明らかになっていない」つまり「テレビ局側も知らない」可能性。

供述は警察署の中でされているのだから、原則的に警察側からの情報がなければ宗教団体が明らかになることはない。あとは容疑者の周辺を取材して、聞き込みから関連のある宗教団体を割り出していくしかない。

もうひとつの可能性としては、テレビ局は宗教団体の名前をすでに知っているが、なにがしかの配慮で報道していない場合。この場合、どういう配慮が働いている可能性があるのか』と書いている。そして「しかし今回の場合、事件の犯行動機は「宗教団体への恨み」と報道されているから、この団体の名前を明らかにし、またその宗教団体に取材をしなければ事件の真相解決にはつながらない。そこにもし「配慮や忖度」が働いているとすれば、それは少しおかしいのではないかということになる。やはり本来であれば宗教団体の名前を明らかにし、宗教団体側の取材もきちんと行ってその内容も併せて報道し、もし安倍元首相とその宗教団体との関係が明らかでなければ、その旨もきちんと報道すれば良いだけのことである。』と書く。

次に「今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」という問題」なのだろうか?という点である。

彼もきのう各局の特番を見ていて気になったのが、「この事件は言論の自由を奪おうとするものだ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが多用されていたことだ。

たしかに、この事件への受け止めをインタビュー取材された政治家のみなさんがそう答えるのは至極当然だ。一般的に外形的に捉えれば、「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元首相が殺害された」わけだから、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦であると言うべきだろう」という。

そしていかにも「専門家」らしく「事件の報道時間が長すぎるということで「テレビ東京を除く各局とも、ほぼ事件発生時から夕方のニュースそして深夜のニュースが終わるくらいまで、すべて特番編成をしてこの事件について放送したが、それは適切だっただろうか。」というのである。そして「ゴールデン・プライムタイムの時間を全て埋めなければならない。いくら、警察署や事件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。」述べている。ウクライナ戦争でもそうだが、「安倍元総理が撃たれる映像が繰り返し流れる」ことになる。視聴者に何を伝えようというのか?

これがTVの特徴でもあり「弱点」でもあるということを視聴者は理解しておくべきだろう。さて、事件は終わったから次に出てくるのは安倍元総理の“回顧談”になるのだろう。つまり彼に言わせればこれから放送できるのは、「事件発生状況のまとめ」と「各界および各国の反応」と「これまでの安倍元首相の振り返り」くらいだということになる。

こうしてメディアはあることないこと画像を膨らませていく。「英雄」に仕上げるのも「極悪人」として始末するのも報道次第だ、ということになる。( 一部現代ビジネスから )

その昔、私が空幕広報室長だった頃、「THE 21」という雑誌が「第4の権力、新聞を疑え」という特集を組んだことがあった。これを利用して私は部内教育で自衛隊に対する報道の真実を例示したことがあった。今回の事件報道を見ても、内心穏やかならざる気にさせられる。

昭和59年2月に陸自の山口射場で心身虚弱な新隊員が、実弾射撃時の発砲音に驚いて、小銃を3発発射し、同僚4人を負傷させた事件があった。その時新聞各社は「乱射!」と大見出しで報道した。そこで私は記者団に「乱射の定義」を訪ねたが、「ダダダーと2、30発撃つこと」だといった。「この事件で彼は何発撃ったのか?」と問うと驚いたことに皆知らなかったので「3発だよ」というと皆怪訝な顔をした。

そこでたまたま60年6月に横浜で起きた強盗に対する警官の発砲事件の記事を示し、「4発発泡」「発射」じゃないか。なぜ自衛隊員は「3発で乱射なのだ?」と聞いたが皆無言であった。

平成元年6月に「中国天安門近くの外国人アパートに対して解放軍兵士が「10分間も乱射」という記事が出たから、「時間的には約10分撃ち続けると「乱射」になるのだな?」と念を押したことがあったがもちろん皆無言である。

四国の松山でタクシー会社の元従業員がダイナマイトを仕掛けて家族を殺したことがあったが、この男が10か月間自衛隊員だったことを知った新聞は「火薬の取り扱いに完熟した元自衛隊」と書いた。

半面、平成7年に名古屋で、定年退官した空自隊員が人命救助で警察から表彰されたとき、身分は「元自衛官」ではなく再就職した会社の「会社員」と書いた。

大分で、山で行方不明になった婦人を救助した「陸自隊員」は「救助隊員」とされ、佐賀で、横断歩道を渡っていた医者を、現職の新聞記者がひき殺した場合には、夕刊の片隅にベタ記事で「医師はねられ死亡」と医者が主語で書かれ、犯人は「会社員○○さん」とさん付けであったが、遺族に見とがめられ「自衛隊だったら大きく書くのに自分の会社の記者だとこの扱いか!なぜ自分の会社の社員だと書かないのか!」と週刊新潮に取り上げられたこともあった。

国家安全保障論が高まり、防衛費増額という流れができても、こと新聞メディアには「反自衛隊員」感情が残っていることに変わりはないようだ。

元最高指揮官だった安倍晋三氏は、未だに隊員たちがメディアに蔑まれていることを知り、やり残したことに気が付きやすらかに眠られることはなかろう・・・合掌