軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

驚いたメディア関係者の不勉強!

安倍晋三元首相が銃撃され亡くなってから、早10日たった。国民の大多数は、民主主義を暴力で否定した行為を憎み、安倍氏の死を悲しんでいるが、犯人の襲撃原因が、カルト宗教に一家を破滅に追い込まれた恨みであることがほぼ判明した。

しかし一部の政治勢力の中にはその死を「自業自得」と印象付けようとする動きがあるが、日本人とは思えない卑劣で恥ずかしい行為だと思う。多分統一教会派かそれに類する組織の動きなのだろう。

テレビ朝日に出演した有田芳生参院議員があれほど世間を騒がせた統一教会の「強制的な合同結婚」や「インチキツボ」の販売など、その正体のいかがわしさについて「テレビ局の人でさえ知らなかった」として「旧統一教会をめぐる報道の空白に危機感を示した」ことは意義があった。如何に「ワイドショウ」という名の番組が、いい加減な調査とうわさや想像で無責任に世間を誘導しているか、という証拠だからである。

今まで判明した報道から見ても、この事件は明らかに「一家が崩壊した恨み」を「統一教会」に当てはめ、そんな宗教組織に、一国の総理たるものが「祝辞」をビデオレターで提供していた軽率さに、容疑者は目標を変換したのであろう。

ここが「味噌も糞も」同一に「票」と「人気取り」に目がくらんだ現代政治家らの落とし穴があったのだ。

そんなあくどい集団の活動も禁止できない政治とは何だ!有田氏は「政治家が拒否した」という。

そうなるとこれが現代民主主義の限界でもあるのだろう。

直接政治に指導力を発揮している“それに近い”宗教団体の強引な集票手段(住民票の一時的移動や、移動もままならぬ老人を選挙会場へ強制移動させて代筆投票する)などをあてにしたこの党の“違法行為”を黙認してきていた、選挙管理委員会などへの批判で、最近は投票所の監視活動は比較的“厳正”になってはいるが、抜け穴はまだまだある。

今回の選挙で、この党の集票能力が落ちた!」とされているのは、このような裏の手段が利かなくなりつつあるからだろう、と私は見ている。まるで米大統領選挙の投票所に似ているじゃないか!

時代をさかのぼると、このようないかがわしい“団体”が誕生した裏には、1962年のキューバ危機や米ソ間の米ソ冷戦という緊張状態があったことは事実である。

しかし、終戦で「牙を抜かれた」大日本帝国は、依然として国家的危機には無関心で、一部の有志が気をもんでいるだけだった。「勝共連合」という団体の創設は、まさにそういった世界的緊張が最高潮の時期であったことは知っておくべきだろうが、高学歴で“無教養”な札束勘定にたけた社会人が当時の国内には跋扈していた。

忘れては?いまいが、そのころはベトナム戦争真っただ中で、国内ではなんとなく“不安を感じる”青年たちが、やり場のない不満を日米安保闘争という、イデオロギー闘争でうっぷん晴らしをしていた時期である。成田闘争もおそらく知るまい。

そしてベトナム戦争に対するアメリカの直接関与は1973年まで続いていたのである。つまり国際情勢に著しく左右されていた日本は、経済的には“特需”をむさぼっていたが、冷戦構造という中にあっては、アジアにおける最前線に立たされていたのであった。そんな中で、大東亜戦争を引き継いでいた?日本の政財界人たちが反共精神をたぎらせていただろうことは理解できる。

戦後育ちの私でさえも、ベトナム戦争に関しては「大東亜戦争の決着をつける『反米決戦』ととらえていて、仏領インドシナ(今のベトナム)に残留した多くの日本兵が、一度武装解除したフランス軍が、終戦とともに戻ってきて、日本軍“捕虜”にソ連軍ほどではないがあくどい仕打ちをしたため脱走して、ゲリラとなってべトコンを援助し、ついにベトナムから撤退させたが、今度はそのあとを埋めるように侵攻してきた米軍と戦い、ついに日本軍的戦法をもって米軍まで撃破した。つまり、昭和50(1975)年4月30日にサイゴンを陥落してベトナム戦争終結させたのである。つまりベトナム戦争大日本帝国陸軍の「大東亜戦争の弔い合戦」だったと私は見ている。平成24年12月8日、青林堂から上梓した「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」に詳しい)

さて、そのような観点から戦後史の一端をのぞき見るとき、半島からの、阿漕な「恨」的行為が、日本人弱体化を目指して、陰に陽に繰り返されていることを知る。

統一教会もそうだが、それよりもはるかに強力な組織が、日本の保守政治?を動かしていることを、メディアの方々はよもや忘れてはいまい!

有田氏がどういう観点から発言したか知らないが、もっとメディアの方々には、「常識力」を強化してほしいものだ。あまりにも不勉強だろう。でなければ、安部元首相射殺問題も、見事に?躱されて終わるような気がしてならない

国葬」もいいだろうが、根本的な日本再生運動をメディアが先頭に立って開始すべき時期だと思う。落日迫る「新聞」でも構わない。しかし、だれも手をあげないだろうな~

安倍氏が掲げた「日本を取り戻す」のはそこにあるのだが・・・