軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

草花の生命力に驚く

早四月。昨日は急に暑くなって閉口した。私は今、体力回復のためショートウォーキングの試行を始めたのだが、服装は軽めにしたものの、汗ばんで苦労した。

 鶯の声も上の空だったが、枯れ枝(と思っていた)ベランダの枯れた枝だけの植木鉢に新芽が吹いていたことには驚いた。

 家内が植えたバラなどの木々も整理しようと思っていたのだが、てっきり枯れた、と思っていた枯れ枝から、小さな芽が噴き出しているのである。草花の生命力の強さに感動した。

 枯れた?植木鉢を整理しないで!という家内の命令だな!と感じたので、今年も土を入れ替えて手入れ(せざるを得ないi?)しようと思った。

                     

   

 

【一応水遣りだけはしていたが、まさか生きているとは思わなかった!「枯れ木に花を咲かせましょう」と冗談交じりに言っていたのだが・・・】

 

 気温が上がると、気分も上昇する。自然界の中で、「リハビリ」に専念するときが来たと思った。まだ足腰が強くないが、ぼ~とつまらないTVばかり見ているのも脳がない。それこそ人生の墓場に向かっていくようなものだ。毎週日曜日に楽しみにしている「ぽつんと一軒家」の主人公のように、誰もいなくなった先祖代々の山の中で、先祖の墓を守り、周辺の田畑の手入れをすることの方が、人間らしく思われ、高齢者の「手本」に思える。

 

 町内の知人の元民生委員であったご婦人は、二組の高齢者夫婦に毎日食事を届けているが、私にはまねできないものの「頭が下がる」。こんな思いやりの精神にあふれた「ご老人方」が、町内に多いことを、家内の機縁で知った事は幸せだった。

 そして、やることもなく、ただTVばかり見ていると、視野が狭くなり益々老化するな~と実感した。

 

 晴耕雨読というから読書を考えていたのだが、昨年体調を崩して以降、視力の衰えがひどくなったようで、読書もままならない。

「人体の老い」を自ら実験しているようで情けない。しかし、10キロ減った体重も6キロ戻ってきて、食欲は減退していないから、まだ少し望みはあるようだ。

 朝起きて新聞を取りに外に出ると、すぐに「花粉症」がぶり返し、新聞を広げると更にクシャミが出るのは、新聞屋のそばに「杉の木」があるのかもしれない!?

 しかし雨の日には丁寧に新聞がビニール袋に包まれているから感心する。

 いつも思うのだが、国のルーティンの仕事が進むのは、こうした「思いやり」と責任感を実施する国民がいるからではないのか、と思う。

 毎週必ず続けられる「ごみ収集作業」も同じだ。西欧で時折これらの人々が「ストライキ」をして作業をボイコットすることがあるが、わが国にはない。

 これからどうなろかわからないが、外国人労働者を入れるなどして、日本人が作業から手を引くことにならない限りは続くのだろう。 日本は、本当にいい国だ、と感謝している。

 

 そこに防衛に関して次のような記事があった。私はA紙は見ないから知らないが、無責任な「評論家」もいるものだ。これが新聞の実態(見てきたような嘘を書く)なのだが、空挺部隊で少しは学んだらどうだ?

 私は昭和39年5月に、操縦コースに入る前に、習志野の空挺隊で約1か月間落下傘降下準備訓練をさせられたが、それは実に厳しい訓練であった。

 これはいかにもA紙記者らしい引っ掛け記事だが、流通大学准教授は、想像で物を言っている。無責任極まりないが、この記者も自分の新聞が売れる(飯が食える)のは、販売店員の並々ならぬ努力の結果である事に気が付いていない。

 私のところには、産経新聞売店がないのでA紙販売店から届くのであるが、それでもビニール袋に入れて濡れないようにしてある。編集局は偏った記事を書くが、販売店は「庶民の見方」なのだ。 

 その努力で売れているにすぎず、記事がデジタルになろうが紙であろうが、変わるまい。

有事の国民保護では・・・自然災害ですら自衛隊なしで対処ができないのでは思いやられる」とジャーナリストの小笠原理恵さんは書いているが、尖閣有事ではA社が堂々と彼らに抵抗してくれるのだろうな?

 A紙記者は「枯れ枝」の様に見えるが、実は生きていて抵抗力もある頼りになる「草花」なのかもしれない・・・

 

届いた書籍のご紹介

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シュレディンガーの猫を正しく知れば、この宇宙は君のもの。保江邦夫・さとうみつろう共著:明窓出版¥2200+税(上下とも)」

量子力学研究者の保江先生の近著。それにさとう氏が加わっている。パートが10までと別れていて、それぞれが示唆に富む。私は今のところ、「観測装置における浜松ホトニクスの功績」(パート5))とパート9の「認知と可視に関わる脳のバグーー見えるはずのものが見えない?」に興味がある。浜松ホトニクスは、旧「浜松テレビ」と言ったが、飛行機好きの人事部長と友達になり、よく話を聞いたものである。浜松を去ってからは、ホトニクス研究所長から見学に誘われたが、その機会がなかったのが残念であった。実に些細なことを深く研究する人たちの集まりで、テレビとは言うものの医学機器のすぐれたメーカーだった。

 「認知と可視~」については保江先生に伺ってみたいことがある。

1冊が350ページを超える大冊だが、きわめて読みやすい。

機会があればご一読あれ!

荒れる”戊辰の歳”

 年頭に当たって書いたように、まるで今年の干支に合わせたかのように、奇妙な事件・事故が相次いでいる。

 大相撲の歴史的快挙初め、大谷選手の快挙を国民上げて喜んでいたが、それらの「喜びごと」は次々に消え去るほどの衝撃的事件・事故?が続いている中で、「健康保持のためのサプリが人殺し」になるなど、信じられない奇妙な事件続きだが、原因不明だから犠牲者は増えるだろうから「干支」のせいにしたくなるだろう。

 要は人間自身の「堕落」と「几帳面さが失われた結果」に過ぎないと私は思っているのだが、その影響力は非常に大きいから、犠牲者も多くなる。

 どうしてあの「几帳面」で「律儀」だった日本人がここまで転落したのだろうか?と残念でならない。

 その昔、難関を突破して念願だった操縦コースに入ることが出来、以来多くの先輩方の指導を受けてきた。

 私は「昭和39年3月23日」付で「少尉(3等空尉)」に任官し、以降、機会をとらえてその時々の出来事や、所見などを「将校日誌」に記入してきたのだが、その中に、多くの「戒めのことば」が書かれているが、そのほとんどは司令や隊長、教官方の教えで、私の「任官挨拶状」に対する返事の「恩師や知人」の言葉もある。

 それらのほとんどは「慎重かつ間違いのないように」という戒めの文章だが、その中に「少尉任官おめでとう。長い間の苦労がやっと実って、これからパイロットとして勤務される姿が目に浮かぶようです。地上と異なり事故も多いことと思います。大学(防大)で会得した基本を忠実に実行して間違いの無い様精一杯務めてください。」という中学時代のクラス担任恩師の一文があった。

 中には「将校として兵の教育訓練はもとより、国や国民に対しても真に重大なる責任を負荷されておられるのであります。御自愛の上一層のご活躍をお願い申し上げます」という中学の校長先生の一文もある。

 防大時代の尊敬する指導教官からは「将校任官に当たり、餞として左の句を捧ぐ。『先憂後楽』」との言葉もある。

 

 これに対して「実に有り難いことで、心に命じておかねばと思う。ご期待に応えるべく専心努力すべきを誓う」と私は書きとどめているのだが、幹部候補生学校修了に際して、「操縦は人格であり、芸術である。人がそのまま表れる。欠点を直し完全になれ」「操縦は武道そのものである」「物事に几帳面であれ」等と指導教官からの叱咤激励の言葉もある。

 

 操縦コースの最初である静浜基地に着くと、ノモンハン作戦時の“勇士”であった西原五郎隊長が、「1,自己との戦いである。安易につくな。2,初心を忘れるな。操縦教育は冷酷である。神経を太く持て。3,人間は苦しむと一人前になる。4,パイロットである前に軍人、社会人、日本人であることを忘れるな。」と厳しく指導された記録もある。西原隊長は実に「温顔」な方であったが言葉は厳しかった。

 

 我々のころの自衛隊内には旧軍の軍人が多かった。命をかけた戦いであったのだから、犠牲者は多かったが、生き残った方々からは、他では得られない「金言」が得られたものである。

 

 今こうして、古びたノートをめくっていると、その一枚一枚に先輩方の遺志がしみこんでいて何かを訴えている気がする。

 

 今日は朝から雨、鳴き始めた鶯の声も聞かれない。静かに身辺整理でもしようと思うが、靖国神社では桜の開花宣言もないという。

 昨今は「甲辰の歳」らしい、珍しい事案が続いているが、いつかは本来の歳に戻るだろう。昔の人はこの時期を「三寒四温」と言ったじゃないかと思う。

 

届いた書籍のご紹介

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Hanada 5月号

 いよいよ?日本保守党の出陣近し!のようだ。変な記事?もあるが、読者のご判断のお任せしよう!

 

Will 5月号

 

こちらも日本保守党が頑張っている拵えて?が、内容は種々で読み出がある。「ナルホド日本は多様(性)国家だわ!」は気鋭の女性作家の対談だが、女性同士が言うのだから説得力がある。私は「アダムとイブ」をこしらえた”神様”の意見が聞きたいと思うのだが・・・

「操縦学生の人相」と「軍隊の組成」を見る

「尊富士」関の優勝でスポーツ面は大いに沸いたが、残念なことに、「野球の神様」に近い大谷選手には災難が降りかかった騒ぎになっている。全国、いや、全世界の青少年たちのあこがれである大谷選手の「通訳」たる水原一平氏の賭博騒ぎだが、今日の会見で大谷選手はきっぱりと「関係を否定」したにもかかわらず、一部のメディアは騒ぎを“面白くする?”ためか、しつこく追及している。

 戦闘機操縦教官を4年以上も務めた体験がある私としては、彼のような“健全な好青年”が彼のような“得体のしれない不健全な”青年と知り合ったのか、が不思議でならない。誰かに仕組まれた?とは思えないが、人相を見れば誰もが“感じる”だろうに。 

 戦闘機操縦‟術”で肝心なものは、人相である、と私は思っている。

それはパイロットに合格させた場合、部隊に出て単独になると、親身に世話してもらえなくなるから、学生時代にその体験がない者は、やがて個人として道を踏み外す(事故死)例が多いのである。

 これは私だけではなく、当時教官であった多くの仲間たちが感じていることであり、事故報道が伝わると、教官室には何人かの仲間が集まり「彼の教官は?」と詮索が始まったものだが、やがて当該人物の名を知った元教官は「あいつか!」と絶句して、一人で悔やむことがある。そして聞いてみるとその兆候は教育中からあったことが分かるのである。「あの時首にしておけばよかった…」と決心が付かずに卒業させてしまったことを当該教官は悔やんだものだが、おいそれとは首にできないものだ。学生の人生がかかっているから簡単には決心できないのだ。空中で、互いに命をかけて訓練してきた者にしか理解できない私たちの体験だ。

 すでに退官して30年以上過ぎた私には、未だにその時の「人相」を判別する癖がついていて、しかもそれがよくあたる(と自覚している)口にはやすやすとは出さないが・・・。

 その意味では大谷選手には気が付かなかった‟落ち度”があったのかもしれない、と言っても過言ではなかろう。

 元通訳の人相には‟陰り”があり、目に落ち着きがなく濁っている。どういう経緯で大谷選手と知り合ったのか?と前から不思議に思っていたが、今回、とうとう化けの皮がはがれたのだと言えましまいか?。

 ギャンブルは、麻薬と同様「癖」であるから一朝一夕には治らない。

 私が退官して「一般人」になった時に、多くの方々と知り合い、グループに誘われたこともあったが、「自衛隊」という健康な組織から出て見た「外部の姿」は、「何とサギ(それもクロサギ)が多く飛んでいるのだろう」というに尽きた。まんまと騙されそうになったこともある。「紹介した先生に迷惑が掛からなかったことが幸い」であったが、それ以降は十分に気を付けたものである。

 金銭問題は「貧乏自衛官」だったからなかったが、仕事などに名前を利用されそうになったことはあった。

 そんな私だから、この問題には大いに興味がある。大谷選手に悪影響が起きないことを祈るしかない。

 

 ところで一気に国際問題に飛ぶが、今大きな話題はロシアにおけるテロ攻撃だろう。ロシア大統領・プーチン氏は早速敵対している「ウクライナ」に話題をそらした。ウクライナ犯人説である。

 自分の方が攻め込んで、多くのウクライナ人を殺戮している事などはみじんも公表する事なく、犠牲者たるゼレンスキー氏に責任を押しつけるなんぞ、さすがは「世界の指導者」だが見苦しいと言わざるを得ない。

 しかし、P氏はすでに忘れているだろうが、この問題の背景には「ソ連アフガニスタン侵攻」問題があるのである。

 そしてその後2021年8月にアフガニスタンで戦闘行動を継続していた米国が、アフガニスタンから、武器をまるごと捨てて撤退した。バイデン大統領である。この時米国のあまりに無様な撤退に多くの非難が各方面から上がったが、それは多くの最新兵器を遺棄して逃げたからで、米国が供与してきたアフガニスタンの「正規軍」からタリバンにわたったからである。つまり、「チンドン屋」の様に形だけ保っていた「アフガニスタン政府軍」を構成していたのは、金だけが目当ての雑兵が殆どだったからであった。

 

 私は「操縦学生の人相」に関心があると言ったが、「人相」は旧帝国海軍の操縦者育成にも「適用」されていて、資料によると80%の的中率があったという。

 もう一つ私が見ているのは「軍隊の組成」であり、特に近隣諸国に関心を持ってみている。人民解放軍は?_韓国軍は? ロシア軍は?というわけだが、超大国と言われたソ連軍(今のロシア軍)を見ればわかるだろう。

 言ってみれば「大国軍」とは何ぞや??というわけだ。

 

 大陸国には、未だに「山賊、蕃族に近い少数派武装集団が群雄割拠している」と言っても過言ではないのだ。

 それに比べて…憲法?で武装を禁じられている、と思い込んでいる日本国の現状が、情けなくて仕方ない。

 かっては4年間も「世界」を相手に「特攻隊」まで繰り出して日本人は戦ったのだが、今やその気力もない。

 あの“天下の”米国でさえも、軍内部には“男女平等”などで「衰え」が目立っているから心配なのだが、岸田首相は気が付いてないと思われる。

 それにしても、今回のいち国会議員の“去りざま”を見るがよい。ちんけなローカルヤクザじゃないか!

 

 英霊方の嘆きが聞こえるが、国会はもとより、地方議会もその名の通り「痴呆」だから頼りにならない。

 明治も昭和も、実に遠くなったものだ…

 

 

 

「尊富士」関の110年ぶりの新入幕優勝を祝す

今日は率直に「尊富士」の優勝を褒めたい。

 前日の「朝の山」との対戦で負傷したので、千秋楽の出場は無理か?と思っていたが、新聞によると「ここでやめたら『悔いが残る』との思いから、出場を直訴した」というからなおさら嬉しかった。根性がある!

 横綱照ノ富士に「お前ならできる」と声をかけられたのも、決意の一助になったようだが、「この怪我で相撲を取れないと男じゃないと思った」というのも嬉しい。

 とにかく最近は我が国の「若い男に意気地がない」のが目立ちすぎる。草食系・・と言われるゆえんだろうが、「憲法で戦うことを禁じられているからか?」と疑いたくなるほどで、それほど男がだらしなく私には感じられていた。

 照れくさそうに?話す母親との姿もいい。

 下の写真にある祖父母も嬉しかっただろう。この照れたような笑みで、彼が津軽人らしい「じょっぱり」だとよくわかり親しみが持てる。

 私も現役時代三沢基地に通算3年間住み、五所川原市も上空からはもとより、よく知っているから尚更だ。本当におめでとうと言いたい。

 

 今日の産経抄氏は「尊富士」の「しこ名」の由来を含めて良いことを書いているから、はなむけに掲載しておきたい。おめでとう!

ロシアでテロ~115人死亡説

令和6年は甲辰の歳、つまり物事の最初と、成長を意味した年だと言われる。事実、1月1日には能登で大地震が起きたし、今年は良かれ悪しかれ、時代に大きなうねりが生じる予感があったが、それを飛躍の年にするかどうかは、いつに活きている人間そのものの自覚によるだろう。

 子細なことだが、私はそんな観点から「神事である大相撲」を眺めているのだが、気のせいか近年“外人力士”が上位を占めてきたことに“違和感”を覚えていた。ところが今場所は、新入幕の前頭17枚目(最下位)の尊富士の健闘に驚いた。

 11枚目の大の里の躍進にも目を見張ったが、今回の尊富士の躍進はそれ以上に目立つ。

 それに比べて上位力士達のふがいないことに「時代の流れ」を感じたのだが、ここにきて尊富士にアクシデントが起きた。さて千秋楽がどうなるかに関心が高まる。

 スポーツ界にも世代交代の波が押し寄せていて、選手の若返り交代は目覚ましい。 

 良い方向に変化してほしいものだが、政治の世界は世界中で停滞し、混乱を助長させている。その最たるものが「ロシアのウクライナ侵攻」だが、とうとうロシアにも重大なテロ事件が発生して、今朝の新聞報道によれば「ロシアの首都モスクワ郊外の大規模コンサート施設「クロッカスシティホール」に22日夜(日本時間23日未明)、自動小銃を持った数人の武装グループが侵入し、市民に対して無差別に発砲した。発砲と前後し、施設では大規模な火災も起きた。露捜査当局は23日未明、死者数が60人超になったと発表した。死者数は今後、さらに増える可能性がある(115人死亡)という。タス通信が伝えた。」とある。

 “やらせ”選挙に「圧勝したプーチン氏」としては穏やかではおれまい。さてこれがロシア国内でどう動くか見ものである。

 

 イスラエルでも戦闘が続いているが、これを仕掛けたのは「ハマス」だから、火種を絶つべき立場にあるネタニヤフ氏としてはやすやすと矛を収められまい。イスラエルでも「ハマスに第2のプーチン」が生まれそうな雰囲気である。

 

 そこで我が国だが、未だに自民党内がぎくしゃくしていて、どんどん党勢が衰えているようだが、今朝の産経の「国境が消える」欄に、「警句」が出ていた。

 中国系資本による「合法的経済侵攻」宮本雅史編集委員は書いたが、言いえて妙である。そして“それに加担している”のが、何あろう、日本人そのものだから「手の打ちようがない」わけだ。

 3面の左柱にその続きが出ているが、「日中友好掲げ『非軍事侵攻』と見出しにある。「空自基地周辺でも展開」と記事にはあるが、北海道はもとより、米軍の存在でかろうじて平穏が保たれている沖縄などは、知事そのものが篭絡されていて、日本の地方自治体だとはとても思えない。第一そんな異変に気が付かないのが「平和を愛する日本国民」なのだ。

 

 その右隣に「防大の卒業式」での岸田首相が「諸君の存在が抑止力」などと述べたことが出ているが、「武力侵攻」だけを想定しているのだとしたら、判断を誤るのじゃないか?ロシアは「自業自得」だとしても。

 

 国防をないがしろにした自民党じゃおぼつかない。「しっかりした政治力=政治家の存在」こそ「抑止力」だろう。

 防大生も「帽子投げ」している場合じゃないだろうに…

北陸新幹線延伸と教皇の白旗発言

 天気も良く、気温も上がったので、いよいよ春到来!の季節になった。震災の復興に励んでいる北陸は、気が滅入る毎日だろうが、徐々に復興の兆しが感じられることは嬉しいことである。

それに加えて明日から「北陸新幹線が、金沢から敦賀へ延長されて開通する」。被災者も少しの間、気が晴れるだろう。

 九州新幹線の開通に合わせて、ブルーインパルスが飛行して勇気づけたが、これは「私の中学時代の同級生」の発案だった。

 偶々電話で、ブルーの展示飛行が出来ないものか?と尋ねられたので、元広報室長として「スケジュールが空いていれば無理ではない」と答えたところ、彼は友人らと「今から西空司令部を表敬するのだが、司令官に言ってもいいだろうか?」というから、「丁度よい、お願いしてみては?。彼が調べて調整してくれるだろうから」と答えた。

 そしてその通りになったので、福岡の仲間たちは大喜び、事実、ブルーは芦屋基地に移動して、前日のリハーサルに合わせて歩行したから、九州ではこの話で持ち切りだった。

 

 私はすでに「どこの派閥」にも所属していない「退役した一OB」の身分だったから、直接後輩たちを煩わせてはいない。

しかし、これには思わぬ「余禄」がついて、ブルーが生き残ったのであった。翌日が3・11だったのである。

 予備機として松島に残っていた1機は被災してしまったが・・・

その後松島基地は大きな被害を被ったので、芦屋基地を根拠地にして、ブルーは活動したのである。何が幸・不幸を分けるか分からないものだ、と痛感した。

 基地司令として、老朽化した三菱のT-2型機から、川重のT-4型機に転換させる任務を帯びていた当時の私の唯一?の功績かもしれない(笑い)、しかし、そんな裏話を知っている者も少なくなっただろうな~

ところで私は、退役後は「軍事評論家」としてブログを立ち上げ、時折記事を書いてきたが、昨年夏に「心不全」で入院した以降、体力がいまいち回復しない。そのくせ年だけは着実に加わっていくから、老けるばかりである。早く暖かくなって、昔のようにウォーキングに励みたいのだが、今のところそれもままならない。

 週一回のリハビリ訓練は強制されたものだから効果は上がっているが、昔に比べると雲泥の差、しかも「軍事」よりも「老人問題」に関心が向き、「軍事評論家」という肩書を返上したくなる時さえある。

 

 今やTVと新聞が大きな情報源だが、それにしても実に「くだらない」事が多すぎる。わが国は、時々刻々と進んでいる国際情勢から、大きく後れを取っていて、弱小国から舐められるだけの国会の動きは「唾棄すべき」ものに近い。

 それに今度は、裸女と戯れる代議士らが出てきたから、所詮国会とは「ガーシー」程度の知力しかない者たちの集まりだということが確認できた。

 今の我が国では、働かないものが高給を取り、真面目に生きている者が「割を食っている」ように思えてならない。いっそのこと「老人問題評論家」とでも肩書を変えようか…

 

 しかし、外に目を向けると、まだまだ広いが狂っている世界が見えてくる。わが国の「政治問題」なんぞ、幼稚園のお遊戯程度に過ぎない。

 TVも取るに足らないものが多いから、ケーブルTVで外国もの、と言っても「凄腕動物ドクター」「英国ミステリー」などを見るのだが、見ていると、動物にも「喜怒哀楽」があることが分かってくる。おそらくポール博士や女医さん方と動物たちとは、意思疎通しているのじゃなかろうか?と思うようになってきた。

 それに比べて“人間たち”には「邪気」が多いし強すぎる。弱肉強食が動物の世界の常態というが、人間の方が弱肉強食であり、陰湿であり、儲け主義である。

 ところで世界の宗教の先頭に立って「平和を唱えている」、とされるローマ教皇の次の発言は、他の民族にいたずらに「誤解」を植え付け、新しく闘争を招くのじゃなかろうか?と危惧する。「教皇」は己の立場をわきまえて欲しいという声が強まるだろう。少なくとも「異宗教信者」達からは。

 早速ポーランドの外相からは「プーチンウクライナから軍を撤退する勇気を持つよう促してはどうか」とクレームがついたが、教皇庁の弁解は見苦しい。これが「世界の宗教の一面」なのだろう。 

 教皇庁といえども「人間集団」、やはり「評判」と「収入源」を気にするからこういう発言になるのだろうが、それにしても軽率のそしりは免れまい。ポール博士の病院に入院している動物たちに意見が聞いてみたいものである。

 

わが国で効果がない「軍事」を解説するよりも、この方がよほど面白いと思うようになってきた。

 

邦画2作がアカデミー賞を受賞

 今朝の新聞に「邦画2作がアカデミー賞」を受賞したと出ていた。偶々、十日の新聞一面で「ゴジラ―1・0・・・戦え日本」という谷本真由美女史の記事が出ていたが、映画を見ていないからよくわからなかったが、彼女が「この映画は創意工夫」が凝らされていて「ハリウッドであれば何倍もの予算と人員をかける部分を(日本人は)工夫で乗り切っていたのだ」と評価し、世界には「日本人が作り上げたものを愛する人が大勢いる」と、労働力不足などで苦しむ「ピンチこそ『創意工夫の機会』ととらえて知恵を駆使して世界に挑戦していくべきだ。」と書いていたことに同感していたから、今朝の新聞を見て納得がいった。久しぶりの快挙であろう。

 連日報道されるニュースを見ていると、政界のだらしなさや、財界人の、進歩の知恵のなさにわが国の先行きは暗いが、今回のアカデミー賞受賞作品が、「低予算、少人数で作ったのに、その効果の完成度がずば抜けて高かった」とする映画評論家の言葉を引き、「技術力と作家性が世界に感銘を与えた」とする今回の記事は明るいニュースである。

 

「国際化?」か何だか知らないが、とにかく「金がなければ何もできない」ように思い込んでいる最近の日本人に「喝を入れた」ことはうれしい。

 私が子供のころは、敗戦直後ということもあって「米国の強大な物資に負けた」と大人たちが悔しがっていた事は覚えていたものだが、「知恵が足りなかった」?というべきじゃなかったのか?と思う。

 事実その「強大な」米国は昭和50年に小国・ベトナムに敗戦したじゃないか! 確かに金は物事を左右する大きな力であるが、貧乏「自衛隊」で過ごしてきた私にとっては、部隊に金がないことは常態であって、その中で「創意工夫」を尽くすよう指導されてきたから、今の財界人のように、最初から金がなければ生きていけないような発言をすることには抵抗を感じる。

 私のころも「メイドインジャパン」は世界を制していたはずだ。それが怪しい?「西欧化という用語」に刺激されて以降、その精神がなくなって、シナに追い抜かれ?ドイツに抜かれた…などと騒いでいるだけの事じゃないか?

少し、腰を落ち着けて物事を見ることだろう。立派なご先祖様を頂いている国だということを最近忘れているような気がする。

 

 日本人独特の「職人芸」はまだ廃れてはいないのだ。その例として、漫画家・鳥山明氏の評価はアルゼンチンでも国民に偲ばれているというではないか!

「アニメの世界」が、戦いを忘れて自信を失った「平和国家日本の男ども」の“名誉”をかろうじて守っているかのようだ。

 オレオレ詐欺にうつつを抜かして「東南アジア」に逃亡し、頭の悪さを世界に広めたり、国内でも「スケベ心丸出し」で、人間の品位を落としている若造連中に、真の日本人の精神を誤解されてはなるまい。