軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

草花の生命力に驚く

早四月。昨日は急に暑くなって閉口した。私は今、体力回復のためショートウォーキングの試行を始めたのだが、服装は軽めにしたものの、汗ばんで苦労した。

 鶯の声も上の空だったが、枯れ枝(と思っていた)ベランダの枯れた枝だけの植木鉢に新芽が吹いていたことには驚いた。

 家内が植えたバラなどの木々も整理しようと思っていたのだが、てっきり枯れた、と思っていた枯れ枝から、小さな芽が噴き出しているのである。草花の生命力の強さに感動した。

 枯れた?植木鉢を整理しないで!という家内の命令だな!と感じたので、今年も土を入れ替えて手入れ(せざるを得ないi?)しようと思った。

                     

   

 

【一応水遣りだけはしていたが、まさか生きているとは思わなかった!「枯れ木に花を咲かせましょう」と冗談交じりに言っていたのだが・・・】

 

 気温が上がると、気分も上昇する。自然界の中で、「リハビリ」に専念するときが来たと思った。まだ足腰が強くないが、ぼ~とつまらないTVばかり見ているのも脳がない。それこそ人生の墓場に向かっていくようなものだ。毎週日曜日に楽しみにしている「ぽつんと一軒家」の主人公のように、誰もいなくなった先祖代々の山の中で、先祖の墓を守り、周辺の田畑の手入れをすることの方が、人間らしく思われ、高齢者の「手本」に思える。

 

 町内の知人の元民生委員であったご婦人は、二組の高齢者夫婦に毎日食事を届けているが、私にはまねできないものの「頭が下がる」。こんな思いやりの精神にあふれた「ご老人方」が、町内に多いことを、家内の機縁で知った事は幸せだった。

 そして、やることもなく、ただTVばかり見ていると、視野が狭くなり益々老化するな~と実感した。

 

 晴耕雨読というから読書を考えていたのだが、昨年体調を崩して以降、視力の衰えがひどくなったようで、読書もままならない。

「人体の老い」を自ら実験しているようで情けない。しかし、10キロ減った体重も6キロ戻ってきて、食欲は減退していないから、まだ少し望みはあるようだ。

 朝起きて新聞を取りに外に出ると、すぐに「花粉症」がぶり返し、新聞を広げると更にクシャミが出るのは、新聞屋のそばに「杉の木」があるのかもしれない!?

 しかし雨の日には丁寧に新聞がビニール袋に包まれているから感心する。

 いつも思うのだが、国のルーティンの仕事が進むのは、こうした「思いやり」と責任感を実施する国民がいるからではないのか、と思う。

 毎週必ず続けられる「ごみ収集作業」も同じだ。西欧で時折これらの人々が「ストライキ」をして作業をボイコットすることがあるが、わが国にはない。

 これからどうなろかわからないが、外国人労働者を入れるなどして、日本人が作業から手を引くことにならない限りは続くのだろう。 日本は、本当にいい国だ、と感謝している。

 

 そこに防衛に関して次のような記事があった。私はA紙は見ないから知らないが、無責任な「評論家」もいるものだ。これが新聞の実態(見てきたような嘘を書く)なのだが、空挺部隊で少しは学んだらどうだ?

 私は昭和39年5月に、操縦コースに入る前に、習志野の空挺隊で約1か月間落下傘降下準備訓練をさせられたが、それは実に厳しい訓練であった。

 これはいかにもA紙記者らしい引っ掛け記事だが、流通大学准教授は、想像で物を言っている。無責任極まりないが、この記者も自分の新聞が売れる(飯が食える)のは、販売店員の並々ならぬ努力の結果である事に気が付いていない。

 私のところには、産経新聞売店がないのでA紙販売店から届くのであるが、それでもビニール袋に入れて濡れないようにしてある。編集局は偏った記事を書くが、販売店は「庶民の見方」なのだ。 

 その努力で売れているにすぎず、記事がデジタルになろうが紙であろうが、変わるまい。

有事の国民保護では・・・自然災害ですら自衛隊なしで対処ができないのでは思いやられる」とジャーナリストの小笠原理恵さんは書いているが、尖閣有事ではA社が堂々と彼らに抵抗してくれるのだろうな?

 A紙記者は「枯れ枝」の様に見えるが、実は生きていて抵抗力もある頼りになる「草花」なのかもしれない・・・

 

届いた書籍のご紹介

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シュレディンガーの猫を正しく知れば、この宇宙は君のもの。保江邦夫・さとうみつろう共著:明窓出版¥2200+税(上下とも)」

量子力学研究者の保江先生の近著。それにさとう氏が加わっている。パートが10までと別れていて、それぞれが示唆に富む。私は今のところ、「観測装置における浜松ホトニクスの功績」(パート5))とパート9の「認知と可視に関わる脳のバグーー見えるはずのものが見えない?」に興味がある。浜松ホトニクスは、旧「浜松テレビ」と言ったが、飛行機好きの人事部長と友達になり、よく話を聞いたものである。浜松を去ってからは、ホトニクス研究所長から見学に誘われたが、その機会がなかったのが残念であった。実に些細なことを深く研究する人たちの集まりで、テレビとは言うものの医学機器のすぐれたメーカーだった。

 「認知と可視~」については保江先生に伺ってみたいことがある。

1冊が350ページを超える大冊だが、きわめて読みやすい。

機会があればご一読あれ!